その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は野中郁次郎(編著)の『 「失敗の本質」を超えて 安全保障を現場から考える 』。坂口大作氏と戸部良一氏による「まえがき」と、野中氏の「あとがき」をお届けします。

【まえがき】

歪んだ平和主義

 戦後およそ八〇年にわたり、日本は幸いにも戦争に巻き込まれることなく、自然災害を別とすれば、おおむね平和と安全を享受してきた。それを担保してきた自衛隊は、創設七〇年を迎え、災害派遣をはじめとする民生支援に尽力し、国際平和協力活動(PKO)等の国際貢献活動に参加することによって国際平和・秩序維持に貢献してきた実績が認められ、多くの国民から受け入れられる組織となった。

 しかしながら、現在でもなお、なぜか日本社会には安全保障の理解がしっかりと根づいてはいない。国民の多くは、ロシアによるウクライナ侵略に衝撃を受けたとはいえ、自国に対する武力侵攻があり得るとは考えていないように見える。日常生活において安全は水と空気と同じくただ同然のものと見なされている。特に安全保障の根幹をなす軍事について、真正面から取り組もうとする態度は希薄と言うほかない。

 自衛隊も広く社会に受け入れられるようになったとはいえ、一般国民からその任務が正しく理解されているかどうかは、あやしい。災害救援で駆けつけてくれる頼もしくて都合の良い便利屋集団の自衛隊は知っているが、日夜、厳しい訓練に耐え国防の任務にあたる自衛隊の実像を知る人は少ない。

 戦後の日本は、国家の生存や繁栄を左右する安全保障に正面から向き合おうとはせず、しかも、自らを脅かす軍事的脅威から努めて目を背けてきた。自衛隊についての理解がやや中途半端なものに終始してきたのも、そのためであった。

 戦後の日本が軍事から努めて距離を置き、消極的に安全保障に取り組んできた理由の一端は、戦前の軍国主義と大戦の反省にある。戦後の日本社会には、独特の「平和主義」が生まれた。「軍事」=「悪」という認識のもと、自国の安全保障を他国に依存することに安住する歪んだ平和主義である。

 安全保障に無頓着な日本人の信条(心情)をつくったのは、歪んだ平和主義だけではない。戦後の安全保障環境に由来するところも大きい。戦後間もなく始まった冷戦は、核兵器による対立であった。核兵器を保有しない日本は、アメリカの核の傘の下に入り、核抑止戦略からは蚊帳の外に置かれた。それは戦後の日本が、軍事を軽視し経済復興に専念できた理由の一つでもあったが、軍事戦略を含む安全保障を深く考える必要性をなくした理由ともなった。

安全保障環境

 このような歪んだ平和主義のもとにありながら、日本は冷戦期の国際環境にうまく適合することができた。のちに「吉田ドクトリン」と呼ばれた親米・軽武装・経済重視の政策によって、日本は奇跡の復興と繁栄を遂げた。それは、日米安全保障条約(日米同盟)によって国家の安全保障を担保するとともに、アメリカから「押し付けられた」日本国憲法(第九条)と国民の平和主義を梃子に、アメリカからの防衛力増強要求をかわす、という巧妙かつ矛盾に満ちた方策であった。冷戦時代には、これが機能したのである。

 一九八〇年代末、冷戦は終わる。核戦争の恐怖から解放され平和で安定した国際秩序の到来が期待されたが、湾岸戦争、9・11アメリカ同時多発テロ、イラク戦争などが矢継ぎ早に起こり、そこに中国の目覚ましい台頭が加わることで、国際社会は新たな局面とカオスを迎えた。国際環境の変化に応じ、日本の安全保障策も対応を迫られた。

 一九九二年には、PKOのため自衛隊が初めて海外に派遣された。それまで防衛力整備に重点が置かれてきた自衛隊を、いかに運用し機能させるか、ということが重視されるようになった。二〇一三年、安全保障政策の「司令塔」としてNSC(国家安全保障会議)が設置された。二〇一五年には、「平和安全法制」が制定され、従来、国際法上保有してはいるが憲法上行使することができないとされてきた集団的自衛権の一部行使を、政府がようやく認めるに至った。二〇二二年末には、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」からなるいわゆる「安全保障三文書」が策定された。

 一見すると、安全保障環境の変化に対応して、法制度や政府組織の面での改善がなされたように見える。確かに、これらの措置が以前に比べて改善の方向を向いていることは間違いない。しかしながら、自衛隊の海外派遣や集団的自衛権の一部行使は、その都度、憲法の解釈を取り繕うことで実現され、日本の安全保障政策は、政策本来の内在的有効性をめぐる論議ではなく、冷戦期と同様の形式的な法律論争に傾きがちであった。

 依然として日本は憲法上の「制約」を盾あるいは「口実」とし、安全保障とりわけその軍事的側面について正面から向き合おうとはしていない。一見距離が縮んだかのように思われた国民と自衛隊の間にも、まだ大きな乖離が残っている。災害派遣等の民生協力やPKO等の国際貢献についての理解は深まったが、自衛隊の中核任務たる国防そのものについての理解と共感は必ずしも十分ではない。安全保障の骨幹にある軍事の意義を新しい視点から再検討しようとせず、軍事力および自衛隊の役割をいかに位置づけるべきかについての検討を怠っている。

 つまり、自由と平和および豊かな経済生活を享受している国民は、日米同盟を維持し、現状程度の自衛隊があれば十分だと考えている。安全保障環境の巨大な変化に応じて、これまでの安全保障政策を、軍事を含めてトータルに見直さなければならないとは認識していないようである。

軍事の変容

 かつて防衛大学校長を務め日本の安全保障問題の啓蒙に大きな役割を果たした猪木正道は、安全保障に関する日本人の姿勢について、一九七〇年代に次のような批判をしている(猪木正道「防衛と外交──安全保障の考え方」『国民外交』第二五号、一九七三年七月)。

 「外交は非軍事的な手段によって国家に対する外からの脅威を阻止し、またそれに対処する方法であり、これに対して防衛は軍事的手段によってそれを阻止し、かつ対処するものであるが、これについては一部に、外交と防衛とは代替的な関係にある、という誤解がある。その誤解とは、第二次世界大戦後、核兵器が発達するにつれて、安全保障において軍事力が果たす役割が非常に低下したので、我が国の安全保障に関しても、防衛力を充実させることは時代逆行であり、安全保障は非軍事的な方法すなわち外交によって図るべきだから、今さら役にも立たない防衛力を充実させるのは時代錯誤だ、というものである。これは非常に根強い誤解で、しかも存外広く行きわたっている。たとえば、ある中央官庁の課長クラスの研修会に招かれたときの質問に次のような論旨のものがあった。公害とか土地・住宅問題で国民が非常に困っている今日の社会において、防衛力の充実に財政支出をふやせば、国家の財政力の配分から見て、そうした社会問題の解決がおろそかになる。国家の安全保障という観点から見ても、国民が困っている社会問題に重点的に財政支出すべきであって、防衛力を充実させるための予算を増やすことは安全保障上、大局的に見ればマイナスではないか。このように主張する人たちは防衛力をゼロにしてもよいと言っているわけではないが、今日のような状況では防衛力は極端に減らしても大丈夫であり、安全保障は主として外交によってやってゆくべきだ、と論じている。日本の将来を背負うエリートの中に、このような意見がかなり幅広く存在しているということは問題である。外交さえ十分であれば防衛力は不十分でも宜しいということにはならない。外交をしっかりやろうと思ったらどうしても防衛力をしっかり整備しておく必要がある。外交と防衛の関係は代替的ではなくて補完的なものなのだ。」


 以上のような猪木の批判は、デタントと呼ばれた冷戦後期の緊張緩和の時代になされたものだが、彼の指摘には今でもなお耳を傾けなければならない内容が含まれている。

 冷戦時代、軍事衝突が核戦争にエスカレートしないよう、大国間の戦争が避けられたことは事実である。軍事力の役割が過去ほど際立って重要ではなくなったようにも見えた。冷戦後はグローバリゼーションが進み、ヒト・モノ・カネの往来が盛んになって、相互依存が進展し、国家間の壁は低くなった。また、情報の入手が容易になったことで、戦争の原因となるミス・パーセプションが減少しているとも考えられた。

 しかし、主権国家より上位の権威・権力が存在しない国際社会は、中央政府が欠如したアナーキー(無政府状態)のままである。緊張が緩和したように見えた時期でも、国家間にはひたすら競争原理が働き、国家間の競合がなくなったわけではない。各国は相対的パワーの優越をはかるための権謀術数を日夜めぐらしていたことに変わりはない。

 新型コロナウイルス禍でも、国家優先のリアリズムとナショナリズムが露わになり、依然として国家が国際社会の基軸にあり、国家間の権力闘争が続いていることを再認識させた。ウイルスが猖獗(しょうけつ)を極めている間も、北朝鮮はミサイルを打ち上げ、中国は、このときとばかりに南シナ海や東シナ海における海上行動を活発化させ、中国公船は連日のように尖閣諸島周辺を遊弋している。

 冷戦の終焉後、テロリストのような非国家主体による脅威が顕在化し、以前のように国家による軍事的侵略の脅威は低下したように思われたが、二〇二二年のロシアによるウクライナ侵略はそうした見方が一面的であったことを見せつけた。しかも、同じロシアが既に二〇一四年にクリミア侵攻で示したように、そこでは軍事力を主体としつつ、様々な手段・方法を用いた情報戦・心理戦・認知戦が戦われている。戦場も実体としての地理的空間だけではなく、サイバーなどバーチャルな空間にも及んでいる。そこには軍隊同士の戦闘を律した戦争法のようなルールもない。軍事と非軍事が入り混じった様相のハイブリッド戦が展開されている。

 戦いは平時と戦時の区別も曖昧にしている。人為的操作による株価の暴落、サイバー攻撃、敵国首脳のスキャンダル捏造等、多岐にわたる手段が用いられ、庶民の生活に密接に関わるあらゆる手段を武器として、他国のパワーを弱め自国の利益を上げることに注力する国家や集団が存在する。喬良と王湘穂は、武器を使用せず敵の弱体化を図る「超限戦」として、通常戦のほかに、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、心理戦、法律戦、広報戦等二五種類の手段を提示している(喬良、王湘穂『超限戦 21世紀の「新しい戦争」』)。

 安全保障とは、潜在的な脅威が顕在化することを防止し、脅威が顕在化した場合にはそれに対処することである。そして、安全保障が対象とすべき脅威は、軍事的侵略から大規模自然災害や新型コロナウイルスのようなパンデミック等に至るまで多種多様であり、そのスペクトラムが広がっている。戦い方も、武力の行使だけでなく、「超限戦」のように既存の手段やルールとは異質の新たな手法が用いられている。

 そうした脅威に軍事的手段だけで対応することは不十分だろう。軍事以外の分野の発想や方法も不可欠である。だが、軍事以外の分野での発想や方法が重要かつ不可欠だからといって、軍事的方法や手段が必要でなくなるわけではない。脅威に対する軍事的対応と非軍事的対応は、先に紹介した猪木が防衛と外交について指摘したように、代替的な関係にあるのではなく、補完的な関係にあるからである。脅威が多様化し、平時と有事とを問わず超限戦的な戦いが展開されているからこそ、軍事的対応と非軍事的対応との補完性を再認識し、改めて軍事的対応の意味と本質を問い直さなければならない。

 その意味で、安全保障は一部の国防実務者や軍人(自衛官)だけが担当するものであってはならない。国民生活のあらゆる要素が攻撃の対象となり得る現在においては、すべての国民が安全保障の担い手となり、軍事を根幹とする安全保障についての理解力を身につけなくてはならない。軍事についての正しい知識と実践は、脅威の顕在化を防ぎ、顕在化した脅威に対処するために不可欠である。戦争を防止し、平和を導くためには欠くことができない。誰もが軍事を必要としない平和な世界を願う。だが、軍事を排除または等閑視する安全保障はあり得ない。

本書の目的

 前述したように、脅威が変容・多様化し、あらゆる手段が武器となり得る現在においては、国民一人ひとりが安全保障についての理解力を持たねばならない。そして、安全保障の主たる担い手として軍事を担当する自衛隊が、どんな組織であり、いかなる活動を展開し、どのような課題に直面しているかを理解しなければならない。それは、『防衛白書』を読んだだけではわからない。チャートに描かれた自衛隊の組織図を見ただけでもわからない。自衛隊の装備一覧を眺めても、理解することは難しいだろう。

 自衛隊は内外の環境変化に対してどのように適応しようとしたのか。適応するにあたってどのような課題に直面したのか。課題を解決するためにいかなるイノベーションを達成しようとしたのか。イノベーションを達成するうえで、どんな苦悩を味わったのか。こうした実態と実情については、自衛隊という軍事組織のなかで働き、その経験をした者でなければ、正確に、かつ生き生きと描くことが難しい。

 本書では、自衛隊勤務のなかで軍事組織としてのあるべき姿を模索してきた体験を、自衛隊OBが率直かつリアルに語る。そうした軍事専門家が提供し説明する軍事組織の活動と課題の実体を知ることによって初めて、国民一般は安全保障の核にある軍事の実情を理解し、その本質を洞察することができよう。また、そこから安全保障の「実践知」を得ることも可能になるだろう。

 本書の執筆者の大部分は、防衛大学校を卒業し、一九八〇年代から防衛の第一線で任務達成に努力してきた幹部自衛官OBである。彼らが自衛隊の現地・現物・現場でそれぞれ思考し、実践し、苦悩し、蓄積してきた経験が本書のベースとなる。彼らの経験の「物語り」を通して、軍事組織の在り方や目指すべき方向が示される。さらに本書では、世界の軍事組織のなかで最も大胆にイノベーションを重ねてきたアメリカ海兵隊との比較を試み、自衛隊に関する議論が、日本特有の文脈のなかに自閉的に埋没しないよう注意が払われよう。

 本書は四年に及ぶ研究会の成果である。研究会を主宰した野中は、一九八四年に上梓した『失敗の本質』(ダイヤモンド社)において、旧日本軍を組織論のアプローチを用いて分析し、環境適応理論にもとづいて、日本軍の失敗の本質は「過去の成功体験の過剰適応」にあったと指摘した。明治期の戦争の成功体験のために、環境が大きく変化したにもかかわらず、陸軍は「白兵銃剣主義」、海軍は「大艦巨砲主義」というパラダイムを転換しようとはしなかった。

 同じような失敗を、今の日本も繰り返してはいないだろうか。前述したように、日本は冷戦期に成功したいわゆる「吉田ドクトリン」を、冷戦後の変化した環境に対しても、基本構造を変えずにほぼそのまま適用しようとした。平和主義をいわば隠れ蓑にして、安全保障の重要な部分を他人任せにするシステムに安住してきた。

 では、安全保障の核となる軍事を担当してきた自衛隊はどうなのか。過去の日本軍の失敗を教訓としつつ、歪んだ平和主義に安住しているかのように見える日本社会において、自衛隊は、どのようにしてその使命と任務を果たそうとしてきたのか。自衛隊は、戦後日本の「成功物語」のなかで、その環境変化にうまく適応してきたのか。うまく適応してきたとすれば、その「成功体験」は、激しく変動する世界のなかで「過剰適応」を導くことになってはいないか。

 こうした問いかけによって、本書は、変容する安全保障環境のなかでの軍事組織の在り方を根本から再検討し、それを通して、軍事を核とする安全保障の本質を明らかにしたい。

坂口 大作
戸部 良一

【参考文献】
喬良、王湘穂(2020)『超限戦 21世紀の「新しい戦争」』(坂井臣之助監修、劉琦訳)角川新書
千々和泰明(2022)『戦後日本の安全保障』中公新書
──(2024)『日米同盟の地政学』新潮選書
土山實男(2004)『安全保障の国際政治学』有斐閣

【あとがき】

 戦後の日本では、多くの人々が国家の安全保障に向き合うことを避けてきた。「戦後の日本の安全保障とは何であったのか」。その命題を解き明かすため、二〇二一年三月、私は、戦後の日本の安全保障と自衛隊の研究会を始動し、その成果をまとめたものが本書である。

 振り返れば、『失敗の本質』で太平洋戦争における日本軍の敗戦を研究した後、私は、『アメリカ海兵隊』『戦略の本質』『国家戦略の本質』『知略の本質』『知的機動力の本質』と、戦史や軍事組織、そして国家の安全保障について研究を進めてきた。

 経営学者である私が「戦争」を研究してきたのは、なぜか。それは、人間の善と悪が極限状態でせめぎ合うのが「戦争」であると捉えているからである。「国家のために」と言えば、善かもしれない。一方、「人命を奪う」ことは紛れもなく悪である。善と悪という究極の矛盾に直面する戦争という極限状態のなかで、組織、あるいは一人ひとりの人間は、どう判断し、どのように行動するのか。組織論や戦略論を超えて、経営とは「生き方」であると考える私にとって、戦争を研究することは大いに意義があることなのである。

 本書は、戦後の日本の安全保障と自衛隊について、現場の実践者の視点で考え、書き表してきた。終章では、これまでの自衛隊は「過去の失敗体験への過剰適応」に陥ったまま、組織的に新たなことに挑戦する意欲や活力が奪われていたのかもしれないと述べた。それは、安全保障を他人事とし、向き合うことを避けてきた多くの人々に拠るところがあるとも訴えた。一方で、今日(こんにち)、自衛隊が自己変革に挑戦していることも先述した。読者の皆さんには、安全保障に真摯に向き合い、自衛隊の自己変革にエールを送ってくれることを望みたい。

 今、私が経営学者としてあるのは、「戦争」の原体験があるからだ。戦時中、疎開先で米軍戦闘機の機銃掃射を受けながらも九死に一生を得た私は、「いつかアメリカにリベンジする」と心に強く誓った。早稲田大学卒業後に入社した富士電機で、アメリカの最先端の経営学に接した私は、「このままだと日本はまたアメリカに負ける」と強い危機感を抱き、アメリカ留学を決意した。

 また、太平洋戦争時、国家の安全保障のために身命を賭した多くの人々のおかげで、今の私がある。富士電機時代の上司、奥住高彦さんは、陸軍特攻隊として台湾で待機中に終戦を迎えた。彼は、私がアメリカ留学の資金に困っていたときに、快く援助を申し出てくれた。さらに、帰国後、研究者となった私に「企業の失敗事例を研究するのは難しいかもしれないが、防大なら日本軍の失敗の研究ができるのではないか」とアドバイスをくれ、『失敗の本質』執筆につながる防衛大学校での共同研究プロジェクトへと進むきっかけをつくってくれた。

 『日米企業の経営比較』で研究をともにし、今でも親交の深い慶應義塾大学名誉教授の奥村昭博さんのお父上は、特攻用機としても使われた偵察機「新司偵」のパイロットであった。世界で初めて知創部を創設し、組織的知識創造理論を経営の最前線で実践してくれているエーザイの内藤晴夫CEOのお父上も海軍特攻隊員であった。東京大学在学中に学徒出陣で召集され、零戦のパイロットとして特攻の出撃命令を待つなかで終戦となった。

 本書が、彼らのように国家のために身を捧げた人々への恩返しになればと心から願っている。

 研究会発足時、最初に参加してくれたのは、私の防衛大学校教授時代の教え子の番匠幸一郎と三原光明、そして、彼らの後輩の坂口大作であった。その後『失敗の本質』の共同研究者の一人である戸部良一が加わり、研究会も会を重ねた。二〇二三年になると、番匠、三原、坂口と同じ陸上自衛隊出身の木口雄司、また、海上自衛隊出身の内山哲也も参加することになった。同じ時期、一橋大学大学院の教え子であり、現在、統合幕僚学校で野中塾の講師を務める川田英樹もこの研究会に加わった。

 本書は、この研究会メンバーがスクラムを組むことで完成を見た。「失敗の本質」プロジェクト以来の同志である戸部は、本質をついた助言と指摘によって我々の知的コンバットを促進し、坂口とともに「まえがき」を執筆した。各章の執筆担当は、序章―坂口、第1章―三原、第2章―坂口、第3章―番匠、第4章―番匠、第5章―木口、そして、終章は川田と私である。私と本研究をともにしてくれた執筆チームメンバーの労をねぎらいたい。

 最後に、何度も研究会に足を運び、的確なアドバイスと励ましの言葉で、執筆チームを鼓舞し続けてくれた日経BPの堀口祐介さんに深く感謝したい。そして、各々の家族のサポートにも感謝を述べたいと思う。

 誰もが平和を望み、戦争は絶対に避けなければならない。国家の共通善実現のための砦としての安全保障は、誰もが当事者として捉えるべきものだ。本書が、「自分ごと」としての「安全保障」の実践、そして国家の共通善実現の一助になれば、間もなく九〇歳を迎える私にとって、このうえない喜びである。

二〇二四年秋  野中 郁次郎


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示