その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は淺羽茂さんの『 二兎を追う経営 トレードオフからの脱却 』です。
【はじめに】
トレードオフ=経営の核心
企業ではさまざまな意思決定が行われる。例えばトップマネジメントは、中期計画を策定するとき、最終的な目標としてなにをどの程度に設定するかを決めなければならない。米国型のコーポレート・ガバナンス改革が進められていたころは、「ROE(自己資本利益率)が10%以上」といった目標が掲げられていたが、さまざまなステークホルダーを重視しなければならないといわれるようになってからは、脱炭素といった環境についての目標を入れるところも増えている。しかし、ROEを引き上げるという目標と環境負荷を抑えるという目標とを両立するのは難しいので、経営者はどちらをどの程度重視するか悩む。
事業部長は、担当する事業を海外展開するにあたり、自国で開発した製品を海外市場に持っていって低価格で競争するか、それとも進出する市場に適した製品を新たに開発して差別化して競争するかを選ばなければならない。国内で販売している製品を輸出する場合には生産において規模の経済を働かせることができるし、同じ製品を海外生産・販売する場合には開発コストを節約できるので、低価格で製品を販売することができる。他方、進出先の市場はそれぞれ異なるニーズや嗜好を有しており、自国の製品が進出先市場のニーズに適していないときには、いくら安くても売れない。進出先市場のニーズに合わせた製品を新たに開発し、差別化して競争しないと成功しない。
開発部門のマネジャーは、多様な製品を開発したいが、開発する製品が多様になればなるほど、開発コストがかさんでしまう。あるいは、開発のリードタイムを短くしたいが、そうすると開発人員を増やさなければならず、開発コストが増大する。
人事部のマネジャーは、社員のキャリアパスを考える際、長期にわたって同じ(枠内の)部署で経験を積ませるか、短期でローテーションをしてなるべくいろいろな部署を経験させるかを考える。1つの事業、あるいは営業、生産、経理といった1つの職能で経験を積めば、当該事業・職能でのスキルはアップする。しかし、それでは、より広い視野で意思決定しなければならないジェネラルマネジメントを育てることはできない。他方、頻繁にローテーションをすれば、多様なスキルを身につけることができるだろうが、一つひとつのスキルは浅いものにとどまってしまうかもしれない。
このように、企業のさまざまな階層・部署で行われる意思決定は多様であるが、トレードオフを次のように定義すれば、そのほとんどはトレードオフ関係にある複数の目標についての意思決定であることがわかる。本書では、ある1つの主体にとって追求すべき複数の目的があるとき、その主体には資源の制約があり、複数の目的が対立しているので、同時に複数の目的を追求するよりも、一方に集中し(他方を捨て)た方が効果的である場合、この主体はトレードオフに直面しているという。
数年前、『トレードオフ』という本が話題となった(Maney, 2009)。この本には、次のような事例がちりばめられている。「手軽さ」を追求して成功したアマゾン、iTunesとiPod、ウォルマート、ESPN(米国のスポーツのテレビ番組)。「上質」を追求して成功した個性的な独立系書店、iPhone、高級ブティック、NFLの試合中継。
一方、手軽でも上質でもないために失敗した製品や、手軽かつ上質を狙って失敗した製品の事例も挙がっている。この本の著者は、手軽さと上質とはトレードオフ(二者択一)であり、どちらか一方に努力を集中させるべきであるという。「二兎を追うものは一兎をも得ず」「戦略とは捨てることだ」という主張である。
「手軽さ」と「上質」は典型的な対立概念だが、これまで経営(学)では、これ以外にもさまざまなトレードオフが取り上げられてきた。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』には、「企業課題のトレード・オフを両立させる法」という、まさに「トレードオフ」という用語がタイトルになっている論稿がある。この論稿の著者であるドミニク・ドッドとケン・ファバロは、ビジネスには同時に実現させるべきだが対立しがちなさまざまな目的があると指摘している(Dodd and Favaro, 2006)。そのなかでも顕著なものとして、「収益性」と「成長性」、「短期志向」と「長期志向」、「全社業績」と「事業ユニットの業績」を挙げている。
さらに、経営学の各分野では、さまざまなトレードオフが議論されてきた。組織論における「安定」対「変化」や「効率性」対「創造性」、イノベーション研究における「継続的改良」対「破壊的革新」、国際経営における「グローバル統合」対「ローカル適合」というように、経営学の諸分野の研究で取り上げられたトレードオフの例は枚挙にいとまがない。
このように、組織が追求すべき目的(価値)は複数あり、それらがトレードオフであるということは、さまざまなコンテクストで繰り返し指摘されてきた。これまでの経営学は、トレードオフをいかにマネジメントするかについて研究してきたといっても過言ではないだろう。
トレードオフの対処法
経営の各意思決定あるいは経営学の各分野のありとあらゆる場で、トレードオフが常に観察され、議論されるのは、次のような理由によるのかもしれない。目的が1つしかないのなら、それを全力で追求すればよい。達成するのは大変かもしれないが、意思決定は単純である。しかし、目的が複数だと、各々の目的を追求するために、どのように資源を配分するかを決めなければならない。複数の目的がトレードオフだと、この意思決定はきわめて難しくなる。それゆえ、トレードオフのマネジメントが経営学の対象となってきたのであろう。
上述した『トレードオフ』の著者が主張するように、二兎を追うのではなくどちらか一方に努力を集中させるというやり方(以下、一兎戦略)は、これまで多くの経営者、研究者によって提案されてきた。中途半端はいけない、いずれかに集中せよという主張はわかりやすい。しかし、これは、トレードオフの対処法の1つにすぎない。
これまで経営学のさまざまな分野で考えられてきたトレードオフの対処法は、一兎戦略だけではない。2つの目的(価値)をバランスよく組み合わせて、両方を追求する方法も提案されている。これは、野中(2022)の言葉を用いれば、二項動態経営である。「物事や問題に対して、「あれかこれか(either/or)」という二項対立(dichotomy)ではなく、「あれもこれも(both/and))で双方を両立させ、全体の調和を追求する二項動態(dynamic duality)を追求していく姿勢である」(野中、2022、P.149)。
また、先ほど参照したDodd and Favaro(2006)は、好業績企業の調査から、1つの目的を重視し、もう1つの目的を犠牲にしている企業は、好業績をあげていないことを発見した。1つの目的を重視すると、両方の目的で優れた結果を生むということはありえない。悪い場合には、どちらについても優れた結果を生まないということになると彼らは述べている。
そこで、本書では、あえて二兎を追う方法(以下二兎戦略)を中心に検討する。以下の各章では、異なるトレードオフ問題、異なる二兎戦略について議論する。各章では、まずトレードオフ関係にある(と見られる)異なる目的、価値を追求している例を(いくつか)記述する。次に、どうしてそれが中途半端にならないのか、なぜ二兎戦略がうまくいくのかを議論する。9、10章では、本書で議論されたさまざまな例を抽象化、理論的に考え、いくつかの二兎戦略の基本的な考え方を導出する。
本書の特徴
筆者は「この経営の問題、20年くらい前に議論されていたあの問題と同じだなあ」というようなことを考えながら、約30年間、経営を研究してきた。経営学では、常に「バズワード」が躍っている。バズワードになるかどうかわからないが、研究者である経営学者でさえも、(既存の概念との違いを慎重に検討することなく)新しい概念を模索する傾向にある。実際、筆者が大学院生だったころ、ほかの院生のなかには、「コンセプトが出ない」と悩んでいる人がいた。
よく考えられた言葉はそれを見聞きした人に適切なイメージ、独特な価値を伝えることができるので、言葉をよく吟味して用いることはとても大事なことである。同じ問題が言葉を変えて繰り返し議論されることは、「単なる言葉の言い換えで意味がない」ということではなく、「繰り返し注目される経営の問題の本質は同じである」ことを示唆する。
ゆえに、「同じような問題が繰り返し研究されるなら、その解決方法も共通しているのではないか? 少なくともいくつかのパターンに分類できるのではないか?」と考えることができる。そして、「今後、『新しい』問題が出てきたとき、そのパターンを適用することによって、容易に問題の解決にたどり着くことができるかもしれない」と期待することができる。これが本書を執筆するきっかけになっている。
本書では、これまでさまざまな分野で考えられてきたトレードオフの問題、その解決方法が集められている。各章で記述される事例やモデルは、ここ1、2年で調べたものもあるが、かなり以前のものも多い。
例えば、第7章で議論される自動車の開発組織の話は、筆者が学部3年生のときに受けた「経営管理」という授業で聞いた話である。第9章に登場する資源投入と価値生産の一連の図は、筆者が大学院1年生のときに、他の院生と議論している最中に思いついたことである。補論3のモデルは、筆者が修士論文で展開したものである。当時、野中郁次郎先生の『企業進化論』に感動しつつも、企業の長期的存続を考えるのであれば、投入する資源の蓄積プロセスの議論がないのはおかしいという不満から生まれたものであった。
また、本書で議論したトレードオフの解決方法自体は、筆者が新たに考え出したものというよりも、これまでさまざまな人が提案してきたものである。読者からすれば、目新しい解決方法ではなく、どこかで見たことがあるものが多いであろう。
本書の狙いは、新しい考え方、斬新なトレードオフの対処法を提唱することではなく、これまで多様な分野、さまざまな専門家が提唱してきた考え方や対処法を、どのようにトレードオフを解決しているかという点から見直し、いくつかの二兎戦略にくくり直して、その本質的なメカニズム、注意点などを議論することにある。
筆者は、どちらかというと、新しい言葉を考え出すよりも、既存の理論や考え方、概念で新しい現象や問題を説明する方を好む。ミクロ経済学の効用最大化や利潤極大化、企業の行動理論の限定された合理性や希求水準、組織論の組織均衡論や(情報処理仮説にもとづく)コンティンジェンシー理論、進化論や学習理論といったいくつかの基本的な考え方を用いれば、大方の問題は理解できるのではないかと考えている。少なくとも、それらを適用してみることで、それでは解けないどのような本質的な問題が残されているのかをはっきりさせることが良いと思っている。
本書も、そのような筆者の好みを色濃く反映している。したがって、「これは、思いもつかなかった新しい考え方だ!」とか、「こんな問題や解決方法は知らなかった!」という感想を読者が持つことははなから期待していない。しかし、もし読者が、「この解決方法とこの解決方法は、このような点から見ると共通しているのか!」というような感想を持っていただければ、筆者の目的は達せられたことになる。情報や知識として経営現象、意思決定問題、解決方法を学ぶのではなく、ある現象や問題をどのようにとらえたらよいのか、解決方法をどのように発想したらよいのかに役に立てば、望外の喜びである。
本書の読み方
このような理由で、本書は、ある特定のテーマに関心のある方だけでなく、さまざまな方に読んでいただけるのではないかと思う。ゆえに、読み方もいろいろありうる。
章の配列は、一応、経営学の分野によってまとめられている(第1~3章はビジネスモデル・競争戦略、第4章と第5章は生産・開発プロセス、第6~8章は、両利きの経営、国際化、企業変革、CSV〔共通価値創造〕といった企業戦略、ジェネラルマネジメント)ので、興味のある分野から読んでいくのが1つの読み方である。また、索引から興味のある企業やトピックを探し、それが書かれている章から読み進めるという手もある。
それらとはまったく異なるお勧めの読み方もある。本書では、二兎戦略が依拠している理論・考え方は、第9章や第10章にまとめられている。そこで、理論編ともいえる後ろの2つの章を読んでから、前の8つの章に戻り、さまざまな具体例を読みながら二兎戦略が依拠する理論や考え方を確認するという読み方もありうるであろう。
いずれの読み方でも結構である。本書を読まれた後、読者が、「目の前にあるトレードオフを再検討しよう」とか「二兎戦略を考えてみたい」と思っていただけたら、幸甚である。
【目次】




