その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」をご紹介します。今日はマックス・ミラー+アン・ボークワイン=著、神奈川夏子=訳、遠藤雅司(音食紀行)=日本語版監修 の『 人類4000年のレシピ バビロニアのごちそう・アステカの主食・華麗な宮廷料理──食の歴史をたどる65皿 』。「はしがき」と「はじめに」をお届けします。

【はしがき】

本書、そしてなによりぼくのこれまでの仕事すべてが実現したのは、バカンス中に友だちのモーリーンがひどく体調を崩してくれたからだった。

 何があったのか説明しよう。2015年12月、モーリーンとぼくはウォルト・ディズニー・ワールドに来ていた。目いっぱい遊び尽くそうと意気込んでいたのだが、まさかの初日にモーリーンがひどい風邪(かぜ)をひいてしまった。それで、滞在期間中のほとんどの時間、ホテルの部屋で、やたらとナチョスばかり食べながらテレビを見て過ごすはめになったのだ。暗い部屋の中、ベッドでゴロゴロしていたとき、大の英国びいきであるぼくが気に入りそうな英国のテレビ番組があるとモーリーンが教えてくれた。その番組は『ブリティッシュ・ベイクオフ』。アマチュア料理家たちが菓子作りの腕を競う英国のテレビ番組だ。シーズンの全エピソードを2人で一気見した。そしてぼくの人生は一変した。

 その頃、ぼくは料理というものにまったく縁がなかった。ひとりではパスタをゆでるための湯を沸かすことさえできなかったくせにと、当時のルームメートはいまだによく言う。情けない奴だと思われていたのだ。でも、番組で審査員を務めるメアリー・ベリーがお菓子作りの奥深い技術について説明するのを見て好奇心が刺激され、挑戦者たちのいろいろな失敗もまるでぼく自身が取り組むべき課題であるかのように思えてきた。それだけじゃない。司会進行役のメルとスーは毎回、キッチンのあるテントから出て、挑戦者(ベイカー)たちがテントの中で作っているお菓子の歴史について視聴者に語ってくれる。ぼくにとっては、歴史が絡めばどんな話題もさらに楽しくなる。

 数多くの失敗(パイを焼くときローズウォーターの代わりにローズオイルを使ってしまい、アパートの部屋全体が巨大なポプリ容器と化したこともあった)を重ねて5年、お菓子作りの腕はかなり上がった。当時ぼくは、ウォルト・ディズニー・スタジオでやりがいのある仕事に就いていた。毎週月曜日、最新作のケーキやペーストリーを会社に持っていって同僚におすそわけし、故事由来を語り添えることも忘れなかった。もっと多くの人と情報を共有する姿を見てみたいと心から思ってくれたのか、それともぼくの蘊蓄(うんちく)にうんざりしただけなのか、ある同僚がそんなに食と歴史に興味があるのならユーチューブで公開してみたらどうかとすすめてくれた。

 番組構成のアイデアはすぐに思いついた。ディズニー・コロラド・スプリングス・リゾートの部屋で、風邪をひいたモーリーンと一緒に初めて『ブリティッシュ・ベイクオフ』を見たときから何年かが経っており、メアリー・ベリー、メル、そしてスーは番組を去り、歴史の解説もなくなっていた。ぼくはそんなすべてを惜しんだ。メアリー、メル、スーをわが家のキッチンに招くことは無理でも、歴史はひとりでも語ることはできるし、なんならもっと歴史のパートを充実させたっていい。というわけで、2020年2月、ユーチューブのチャンネル『マックス・ミラーのテイスティング・ヒストリー』を開設した。その1週間後、コロナ禍が世界を襲い、映画館は閉鎖され、ぼくは職場から一時解雇を言い渡された。それから数カ月間、世界中の人たちが家に閉じこもってサワードウブレッド作りに熱中し始めたときには、よい気晴らしのネタができたとばかりに動画内でサワードウブレッドの歴史について語った。しかし、ほんとうにチャンネルの人気が急上昇したのは、サワードウの回ではなく、家で作るのはすすめられない代物である古代ローマの魚醤(ぎょしょう)「ガルム」のエピソードだった。

 というわけで、もしバカンス中にモーリーンがあんなに具合が悪くならなければ、もし世界規模のパンデミックのせいで大好きな仕事から一時解雇されなかったら、このレシピ本はみなさんのもとに届かなかったし、うちのオーブンは古雑誌置き場のままだったろう。つまりはそういうこと。人生何が待ちうけているかなんて、誰にも絶対分からない。

【はじめに】

「歴史は勝者によって作られる」という言葉がある。でもぼくの経験からすると、歴史はそれを書き留めた人によって作られるのであって、このことは食に関しても例外ではない。

 有史以来人間が食べてきた料理は無数にあり、ぼくたちが知っているのはそのごく一部に過ぎない。でもごく一部でも伝わっているのは、レシピをわざわざ書き残してくれた誰かのおかげだ。こうしたレシピは、ゆきとどいた材料リストや正確な分量、そして詳しい手順を記したものから、たった数個の材料が漠然と描写されているだけのものまで、ピンからキリまである。歴史上の出来事の記述とおなじだ。ちょっとネタバレになるが、太古から1850年までの歴史レシピの大半は「キリ」に属している。そこにこそぼくの本の出番があるというわけだ。

 本書には、正確な分量、調理時間、そして手順を含む現代仕様のレシピをのせた。そして、こうした具体的な記述の大部分はぼくの創作だ。家庭でも簡単に作れるよう現代的にアレンジしたレシピを、オリジナルの歴史的レシピと並べてのせてみた。オリジナルのレシピをよみがえらせ、料理をしながら歴史への興味を再び自分でかき立てようと思って始めたことだったが、言うは易(やす)く行うは難(かた)しとはまさにこのこと。現代のレシピでも「塩:適量」という謎の指示を見るとイラっとするが、中世のレシピでは「よき材料を加えて適当な頃合いまで調理する」といった記述が頻出するので、この苛立(いらだ)ちは100倍に膨れ上がる。

 とはいえ、歴史上ほとんどの時代において、レシピは料理人によって料理人のために書かれたものであり、レシピを読む人はみな「よき材料」とは何なのか、「適当な頃合い」とはいつなのかを心得ていたのだ。さらに混乱を招くのは、これらの答えが料理によっても年月によっても変化することだ。残念ながら、ルネサンス期のイタリアや16世紀の中国の料理人が身につけていた知識を知ることはできないので、同時代のより詳しいレシピを調べたり、よりあとの時代や現代のレシピを参考にしたりしながら、経験に基づいた勘を頼りに答えを出している。答えが出せず、この先もその見込みはないと諦めなければならないときもある。そんなときはあてずっぽうに頼るか、そのレシピの再現自体をやめてしまう。どちらにしても、歴史料理の再現とはひたすら推測を重ねることで、正しい情報に基づいている推測もあればそれほどではないものもある。だからぼくの再現レシピがほかの人のものと同じになるわけがない。オリジナルのレシピを現代バージョンと並べているので、みなさんは歴史上の料理人になったつもりで好きなようにアレンジしてみてほしい。

 歴史料理は、少なくともこの本では、学問的な研究というよりは楽しむためにある。子どもの頃のぼくは、中世英国の騎士や古代ローマの剣闘士になりきって遊ぶことが大好きだった。あの頃のぼくは、家じゅう走り回って木の剣で家族を攻撃する遊びにはほとんど興味がなかったかわり、大昔に生きた人びとの気持ちになって生きる遊びに夢中になり、飽くことがなかった。そして、この情熱を追求する一番てっとりばやくておいしい方法を見つけた。当時のレシピ通りに作った、昔の人が食べていたのと同じ料理を食べればよいのだ。とはいうものの、18世紀の家庭における料理人になりきって、エバーラスティング・シラバブを作るために30分かけて生クリームを泡立てていたとき、目の前にある電動スタンドミキサーを使わないのは非効率過ぎると気づいた。だから、それぞれの歴史レシピの本質を損なわないように最善を尽くしながらも、現代のキッチン事情に即した変更を加え、読者のみなさんにも気軽に料理を楽しんでもらえるようにしたつもりだ。

【目次】

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【レシピページをちらりと】

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