「どこにいても世界中の情報が手に入る世の中で、なぜ自分の足でニュースの現場まで出向いたり、直接会ってインタビューしたりするのか。それは、自分の肌で感じたことや現場の空気感が、実際に起こっていることを理解するために非常に大切だということを実感しているから」と語る増田ユリヤさん。後編では、自著『チョコレートで読み解く世界史』と『客観性の落とし穴』の2冊を紹介する。
前編 増田ユリヤ 数字や情報だけに頼らない、世界情勢の読み方
情報や数字だけで判断をしてしまいがちになる
AIの登場で私たちの生活はさらに進化したと感じている方も多いのではないでしょうか。もちろん、私自身も基本情報を探すときにはAIの能力を利用することがありますし、取材した内容を確認するための裏付けになるデータを探すこともあります。
でも、どこにいても世界中の情報が手に入る世の中で、なぜ自分の足でニュースの現場まで出向いたり、直接会ってインタビューしたりするのか。それは、自分の肌で感じたことや現場の空気感が、実際に起こっていることを理解するために非常に大切だということを実感しているからです。
そうした経験の積み重ねがあるからこそ、数字のデータから何が読み取れるのかということに深みをもたせたり、自分なりの考察を加えたりすることができる。想像力を働かせることができるのです。
「エビデンス」という言葉が多用される時代に、それが本当に「エビデンス」になるのかどうか、正しい情報かどうかを見極める力は、自分が欲しい情報だけが集められて提供されるインターネットの中だけで生きているのでは、身に付けることができないと個人的には考えています。
チョコレートを切り口にして宗教や領土の争いを語る
私が 『チョコレートで読み解く世界史』(ポプラ新書) を執筆することになったとき、最初に着目したのが、ユダヤ人の歴史とのつながりでした。ユダヤ人がチョコレートをヨーロッパに広めたというエピソードに非常に引かれて、その発端となったフランス・バスク地方に取材に出かけたのです。
するとどうでしょう。驚くほど、チョコレートショップがたくさんあるではないですか! 街中を歩いていると、あそこにも、ここにも! チョコレート屋さんばっかり。なんでこんなちっちゃい街にチョコレート屋さんがいっぱいあるんだろう。現代を生きる私にとっては、とても楽しくおいしいことですが。
世界史で学んだこととつながっていく
しかし、その歴史を探ると、15世紀、スペインのあるイベリア半島で行われたレコンキスタの時代に遡るわけです。
イスラムの勢力が地中海を制覇し、イベリア半島のほとんどがイスラム勢力に占領されてしまったんですね。これに対抗しようとキリスト教勢力が、イスラム勢力を追い出そうとしたのが、レコンキスタという国土回復運動。皆さんも世界史の授業で学んできたことなんですよね。
キリスト教の勢力が拡大すると、イスラム教徒だけでなく、ユダヤ教の人たちもイベリア半島を追われることになりました。行き着いた所が、フランスとスペインの国境に位置するバスク地方だったのです。
もともと中南米で飲まれていたチョコレートのもとになるカカオは、大航海時代の海洋進出によってスペインに伝わりました。メキシコでは、カカオはお金としても使用されていたほど高価なものでしたから、当初口にすることができたのは、王侯貴族やキリスト教の聖職者だけでした。滋養強壮効果があると、サプリメントのような感覚で飲み物として楽しんでいたようです。ユダヤ人は、スペインで学んだその技術を持ってフランスに移住してきたのです。これを利用してバスクでビジネスを展開することになったわけです。
飲むチョコレートは、薬としての効能があると考えられていたので、最初の頃は薬剤師が扱っていました。
例えば、フランス王妃マリー・アントワネットの場合、ストレスが多かったせいか、粉薬をチョコレートに溶かして飲んでいましたが、苦くて飲みにくいと薬剤師に訴えました。すると薬剤師は、粉薬を溶かしたチョコレートを円形の浅い型に入れてコイン状に固めて王妃に食べさせました。王妃は「パリパリとしておいしい」と感激したといわれています。食べるチョコレートのはしりですよね。王妃の薬剤師が開業したチョコレート店は現在も営業していて、王妃のために作られたチョコレートは、商品として売られています。
ジャーナリスト
いつかあのせりふを言ってみたい。本の中の一言
私がフランスで体験したエピソードとして、この本の冒頭に、カフェでオーダーをする際に、ホットチョコレート(ココア)ならハズレがない、ということを書いたんです。すると、読んでくださった方から「ショコラショー、シルブプレ(ホットチョコレートをお願いします)とフランスで言ってみたい」とか、「フランスはチョコレートにハズレがないんですね」とよく言われるようになりました。戸惑いましたね(笑)。
私としては、そこまでおいしいものだというつもりではなくて、街のカフェで、渋いコーヒーとかぬるい紅茶を飲むのであれば、ショコラショーを頼んでおけば、そこそこ美味しく飲めますよ、という程度のつもりで書いたのに、過剰に期待されたようで…。
飲んでも食べても、チョコレートはやっぱりおいしいですよね。
数字だけがエビデンスなのか?
次の本は、
『客観性の落とし穴』(村上靖彦著/ちくまプリマー新書)
です。
さまざまな場面で発言をしたり、話を聞いたりするときに「エビデンスが」とか、「数字は」とか、そういうせりふを聞く機会が増えたと感じています。確かに客観的なデータかもしれませんが、それだけに頼り過ぎていることを私自身、危惧している部分があるんです。
この本でも、大学の授業を例に挙げて、「先生、エビデンスはどうなっているんですか」「それはちゃんと数字の裏付けがあるんですか」と言われる場面が増えたけれど、はたして数字だけがすべてなのかという疑問から出発しているので、ご紹介したいと思ったのです。
数字を根拠にすれば客観性が保たれると考えれば、確かに楽だし安心です。でもそれだけでは言い切れない、自分の経験から考える部分も大事にしたほうがいいと思うんです。誤解を恐れずに言えば、客観性を重んじていることを言い訳に、自分自身で考えることから逃げているようにも感じます。
そうは言っても現実は違うよねと思えるかどうか
私を担当してくださっている編集者が、こんなエピソードを教えてくれました。大企業の経営者の方たちから、例えば国内でも海外でも、現地の生の情報を知らないと間違った判断をするんじゃないかと危惧しているという話をしばしば聞くといいます。
本部に上がってくる情報は、上澄みのようなきれいな情報ばかりだと。だから数字はまず疑え、と言っているそうなんです。その話を聞いた時には、書類を作成する側は、こういう形にしたほうが本部でも話が通りやすいのではないか、などと考えて、書類を作っているんじゃないか、無意識のうちに忖度(そんたく)しているんじゃないか、などと思いました。
でもそうじゃないんですよね、現実って。数字だけでは語れない部分があるのが現実なんじゃないかと思うんです。
その現実を、すべて見ることはできなくても、整った数字を見せられたとしても、もしかしたら肌感覚で、それは違うんじゃないかと思えるか思えないか、考えられるかどうかが大切なのではないか。私自身はそこを大事にしていきたいと強く思っているので、これからも、取材の現場に足を運び続けます。
取材・文/笠原仁子 写真/鈴木愛子



