ソニー(現ソニーグループ)で社長や会長兼グループ最高経営責任者(CEO)などを務め、退任後はクオンタムリープを創業して企業の変革支援に尽力した出井伸之氏が、6月2日に亡くなりました。最後まで日本経済の停滞を憂いていた出井氏が伝えたかったメッセージとは?  ソニー出身で出井氏と親交が深く、書籍 『個のイノベーション -対談集-』 (日経BP)で出井氏と対談したC Channelの森川亮社長にお話を伺いました。謹んで出井氏のご冥福をお祈りします。

君はまだ赤ちゃん

 出井さんで印象に残っているのは、私が「50歳を過ぎました」という話をしたときに言われた、「君はまだまだ赤ちゃんだね」という言葉です。30歳ほど離れていますから、確かに赤ちゃんのように見えたのでしょう。同時に、「まだまだチャレンジを続けようぜ」という激励にも感じました。「これからも頑張ろう」と思ったことを覚えています。

 いつも元気な方だったので、お亡くなりになったと聞いても、正直、実感が湧きませんでした。コロナ禍もあって、最後にお目にかかったのは2年くらい前でした。メールでは頻繁にやり取りしていたのですが・・・。

<b>出井伸之(いでい・のぶゆき)</b> 1937年、東京都生まれ。60年に早稲田大学を卒業後、ソニーに入社。主に欧州での海外事業に従事。オーディオ事業部長、コンピュータ事業部長、ホームビデオ事業部長などを歴任した後、95年に社長就任。以後10年にわたり、ソニーの変革を主導した。退任後、2006年9月にクオンタムリープを設立。大企業変革支援やベンチャー企業の育成支援活動を行う。NPO法人アジア·イノベーターズ·イニシアティブ理事長。22年6月2日逝去。
出井伸之(いでい・のぶゆき) 1937年、東京都生まれ。60年に早稲田大学を卒業後、ソニーに入社。主に欧州での海外事業に従事。オーディオ事業部長、コンピュータ事業部長、ホームビデオ事業部長などを歴任した後、95年に社長就任。以後10年にわたり、ソニーの変革を主導した。退任後、2006年9月にクオンタムリープを設立。大企業変革支援やベンチャー企業の育成支援活動を行う。NPO法人アジア·イノベーターズ·イニシアティブ理事長。22年6月2日逝去。
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 私が日本テレビからソニーに転職したとき、ソニーの社長を務めていたのが出井さんでした。当時はお会いすることはなく、10年ほど前にソニーのOB会で初めて直接ご挨拶させていただきました。

 それから、いろいろとお話しさせていただくようになりました。中国へ進出する際に、「中国はどうですかね」と相談したこともあります。出井さんは、ソニー時代から中国との関わりがありましたし、中国の検索大手、百度(バイドゥ)の社外取締役に就いていたので、いろいろと伺うことができました。

 私は今、半分の時間を中国で費やしています。コロナ禍でオンラインシフトが鮮明になり、越境EC(電子商取引)の事業が伸びており、そこに動画やインフルエンサーを組み合わせる事業モデルに手応えを感じているところです。中国では、肌に付ける化粧品と口に入れる食品については信用できる商品を買う流れが加速しています。だから、日本企業にとってはチャンスが到来しています。ただ、このチャンスを生かしきれていない。

どうやってイノベーションを起こすか

 どうやってイノベーションを起こすかは、日本企業にとって大きな課題です。出井さんとは、「どうしたら日本をもっと元気にできるか」「日本企業はどうやったら海外で活躍できるか」という話をよくしていました。

 日本企業は1のモノを1.2とか1.3とかにブラッシュアップするのは得意だけれども、2.0や3.0にバージョンアップするのはどちらかというと苦手にしています。これでは、イノベーションを起こすことができない。この課題を克服するためにはどうすればいいんだろうか、とよく議論しました。経営者が、社内や株主などの反対を乗り越えて、どうやってイノベーションを実現するのか――。

 それには、コンセプト開発が大事になってきます。出井さんは「VAIO(バイオ)」のようなスタイリッシュなパソコンや「CLIE(クリエ)」のような個人向け情報通信端末などの事業を立ち上げました。私も、ソニーにいたときに、次世代携帯端末のプロジェクトにちょっと関わっていました。もう少し我慢して続けることができていれば、もしかしたらアップルのようになっていたかもしれない。おそらく、出井さんは頭の中では、そのような世界を描いていたと思います。

書籍『個のイノベーション』で森川亮氏と対談した故・出井伸之氏
書籍『個のイノベーション』で森川亮氏と対談した故・出井伸之氏
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 当時の取り組みがようやく花開いてきた。そんな経験をしてきた出井さんだから、「日本企業はもっとできるはずだ」という思いが強かったのではないでしょうか。

 日本では、なぜイノベーションが起きないのか。新しいモノを生み出そうすると、何かを壊すために戦わなければいけない局面が出てくるのですが、日本社会はそれを許容しない環境や文化があるように感じています。また、平和で、満たされてしまっているという点も大きいと思います。

 出井さんと飲んだときに、こんな自慢話を聞きました。「生意気で上司から嫌われることもあり、いろんなところに左遷もされたが、その部署で自分のファンをつくってきた」と――。ソニーには、出るくいを伸ばそうとする文化があります。私が日本テレビからソニーへ移って驚いたことの1つが、“本音でぶつかる議論”が多かったこと。ぶつかりあっても、納得するまでとことんやる。 そんな社風だったから、出井さんが活躍する場があったのでしょう。

「ソニーには本音でぶつかる議論が多かった 」と話す森川亮氏
「ソニーには本音でぶつかる議論が多かった 」と話す森川亮氏
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チャレンジし続ける姿勢

 私が出井さんから学んだことは、チャレンジし続ける姿勢です。あの年代でベンチャーにお金を出す人はいるでしょうが、起業家と伴走して、その気持ちが分かるという方はまずいないでしょう。好奇心も旺盛だし、気持ちがお若かった。それだけに、心残りも多かったのではないでしょうか。

 世界のトップレベルの方々と付き合っていらっしゃったので、情報も速く、先見性がありました。相談するベンチャーの方々からすると、出井さんのアドバイスは後押ししてもらえていると感じたでしょうし、視座が高いので経営者としても勉強になります。出井さんに褒めてもらいたくて頑張っている人も多くいたでしょう。

 カリスマ性があり、鋭い指摘をされる方でしたが、一方でチャーミングな方でもありました。例えば、レストランで苦手な食材を聞かれて、冗談めかして「まずいもの」と答えるような一面がありましたし、部下からいじられる姿も目にしたことがあります。

 私にとっては、出井さんは「生きるとは何だろう」ということを考えさせられる存在であるとともに、「こんな格好いい大人になりたい」と思わせてくれる方でした。自分の美学を大切にされていたのだと思います。

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取材・文/戸田顕司(日経ナショナル ジオグラフィック) 写真/鈴木愛子

突き抜けた個人が、新しい日本を創り出す!

冨山和彦、土井香苗、EXILE HIRO、森川亮、慎泰俊、YOSHIKI――。出井伸之が「今こそ、この人に話を聞くべきだ」と感じてきた6人の「個」のプロフェッショナルと、「個」の発想から生まれるイノベーションを語り尽くす。

出井伸之著/日経BP/1980円(税込み)