「生物多様性」の回復を目指す「ネイチャーポジティブ」。先進企業ではどのようにこれに取り組み、ビジネスとの両立を図ろうとしているのでしょうか。『 ESGとTNFD時代のイチから分かる 生物多様性・ネイチャーポジティブ経営 』の著者であり、東北大学 グリーン未来創造機構/大学院生命科学研究科 教授、「日経ESG」シニアエディターの藤田香さんが、事例を挙げながら解説します。
TNFD情報開示の義務化も遠くない
前回「 新たな経営課題『生物多様性』『ネイチャーポジティブ』とは? 」では、ネイチャーポジティブを実践しているかどうかがESG(環境・社会・企業統治)投資の選定項目にもなると説明しました。
実際、資産運用サービスを展開するフランスのBNPパリバ・アセットマネジメントは、「生物多様性フットプリント」という独自の指標で企業の自然関連リスクを評価し、格付けを始めています。勝手に格付けされるのを嫌うなら、企業は率先して情報を開示していくべきでしょう。
国際的には2021年6月に、「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」という作業部会が立ち上がり、企業活動が自然にどのような影響やリスクをもたらすかを示す情報開示の枠組み作りが進められています。名称に「財務」とあるように、自然に与える悪影響による財務リスクや、逆に対策を取ることや新しい解決策を生み出すことで得られる機会を客観的に評価するためのものです。
2023年3月までに試作版が4回リリースされており、最終版は2023年9月に出る予定です。その後、企業はここで示される枠組みや指標に基づいて、情報を開示していくことが求められるようになるでしょう。
同じような取り組みは気候変動で先行して行われており、こちらは「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」という名称が付いています。TCFDの最終提言がリリースされてからわずか6年ですが、提言に沿った情報開示(TCFD開示)は、すでに東京証券取引所のプライム市場上場企業に義務化されています。TNFDでも同様に、短期間のうちに情報開示が求められるようになると思われます。
TNFDの開示項目については、「日経ESG」の記事「 TNFD、最終草案を発表 全業種に15の開示指標示す 」(秀島弘高/TNFDタスクフォースメンバー、農林中央金庫エグゼクティブ・アドバイザー)で詳しく解説していますが、自社のサプライチェーンをすべて調査して開示するのは大変な作業です。TNFDも最初から完璧な開示を求めているわけではないので、企業はできるところから準備を進めておくべきでしょう。
取り組み方(1)サプライチェーン管理
では、具体的に何をすればいいのでしょうか。取り組み方は主に3つあると考えます。1つ目はサプライチェーンのリスク管理、つまりサプライチェーン内に自然に悪影響を及ぼす活動がないかをチェックし、リスクがあれば改善することです。
例えば、消費財メーカーである花王は、洗剤などの原料として調達しているパーム油に関して徹底した調査、対策を行っています。パーム農園は野生生物が豊富なマレーシア・インドネシアの熱帯雨林の違法伐採などで開発されることもあり、オランウータンやボルネオゾウが絶滅の危機にひんしています。
こうした状況を重く見た花王では、調達するパーム油を、環境や人権に配慮して生産されたと認証を受けたものに切り替え始めました。同時に自社のサプライチェーン上流で環境・人権リスクが発生していないかのチェックにも着手し、サプライヤーの協力を得ながらインドネシア、マレーシアの搾油工場まで特定しました。
しかし、その先にある農園は大小合わせて数万も存在し、すべてをさかのぼって、その環境・人権リスクを調査するのは困難です。そこで、農園が点在する搾油工場周辺の衛星画像を確認するシステムを導入し、そのエリアで違法な伐採の痕跡がないかを確認するなど様々な手法を用いて、リスクの把握と対策に役立てています。
取り組み方(2)自然を増やす
取り組み方の2つ目は自然を増やすという方法です。
まず、アップルの事例を紹介しましょう。同社は2030年までにカーボンニュートラル(温暖化ガス排出実質ゼロ)を実現すると宣言しています。その方法としては、省エネや再生可能エネルギーへの転換がありますが、それだけでは削減しきれない二酸化炭素(CO₂)(削減量全体の約25%)については、大規模植林や森林保全活動を行ってCO₂吸収量を増やし、CO₂排出枠を売買するカーボンクレジットを利用して相殺しようと考えています。
そのためにアップルは、生物多様性に配慮した森林作りで実績のある環境保護団体コンサベーション・インターナショナル、さらにゴールドマン・サックスと手を結び、「自然再生ファンド」を立ち上げました。投資家の出資を得ながらCO₂吸収と生物多様性を両立できる森林を作り、そこで産出される高付加価値の木材やカーボンクレジットを販売することで、利益や投資家へのリターンを生み出すという仕組みです。
国内では積水ハウスの事例があります。「日経ESG」の記事「 積水ハウス、住宅の緑化でTNFD開示に備える 生物多様性の向上効果を定量化 」(藤田香)で解説していますが、同社は2001年から、住宅の施主に、庭を設け、そこに在来種の木を植えることを勧める「5本の樹」計画を実施してきました。チョウや鳥を呼び込み、街に生態系のネットワークをつくるという、生物多様性の保全・再生のための計画です。
計画のスタートから20年以上がたち、実際にチョウや鳥が増えたのかを琉球大学の久保田康裕教授が構築した生物多様性のビッグデータを用いて確認したところ、住宅地にやって来る鳥の種類は約2倍、チョウの種類は約5倍にもなっていたことが分かりました。
取り組み方(3)AI、IoT、データ活用
3つ目にはAI(人工知能)、IoT(あらゆるモノをネットにつなげること)、データ活用でネイチャーポジティブに貢献することで、ビジネスチャンスを創出する方法があります。
NECは衛星画像や気象情報を取り込み、土壌温度や水分をセンサーで監視し、AIで生態系に配慮した営農アドバイスをするサービスをすでにビジネスとして提供しています。顧客の農園では窒素肥料を削減する効果が出ています。
保険業を中心にビジネスを展開するMS&ADインシュアランスグループは、顧客企業の活動が自然に与えるインパクトや、リスクや機会を分析・評価するサービスの提供を始めました。
KDDIも自然データの収集や送信、解析に力を入れ、ネイチャーポジティブを実践しようとする企業に向けた新たなビジネスを創出しようとしています。
今後、TNFD提言の最終版がリリースされ、情報開示が始まったとき、花王や積水ハウスのようにネイチャーポジティブへの対応策を示せること、あるいはネイチャーポジティブに貢献できるビジネスを持っていることは、企業の強みになります。
TNFDによる開示が義務化されるのは、証券取引所に株式を上場している大企業だけかもしれません。しかし、その大企業のサプライチェーンに関連していれば、非上場の中小企業や商店、農協や漁協なども、上場企業からの調査を受けることになります。
また、大企業が地方自治体や地域の中小企業、商店や漁協などと組んで、藻場の造成など海の生物多様性を再生して地域を活性化する動きも広まりつつあります。地域金融も関心を持ち始めています。スーパーマーケットなどの小売りも、生物多様性に配慮した商品の品ぞろえを増やしています。ネイチャーポジティブは私たち全員が関心を持ち、推進していくべきものなのです。
取材・文/暮 論子 写真/鈴木愛子
自然・生物多様性を守り増やす「ネイチャーポジティブ」経営の世界動向をイチから解説。アップルからネスレ、花王、丸紅、BNPパリバなど世界の企業・投資家の事例が満載。新入社員から経営者まで、自然資本・生物多様性・TNFDを手ほどきします。
藤田香著/日経BP/2860円(税込み)


