進化生物学者で総合研究大学院大学学長の長谷川眞理子さんのお薦め本、1回目は 『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』 (ブレイディみかこ著/筑摩書房)。著者が暮らすイギリス・ハマータウンの労働者階級の生活事情や言い分を丹念に紹介。貧困でも欧州連合(EU)離脱でも、社会が抱える課題に対しては、誰もが自分の意見を持ち、議論をして解決を図ろうとする姿勢を学びたいものです。
労働者階級の生活を丹念に描く
かつて私は、イギリスのケンブリッジ大学に在籍していたことがあります。ただその間、知り合うのは学者の方ばかり。一般の方々とはほとんどお付き合いがありませんでした。イギリス人が普段どういう暮らしをしてどんなことを考えているのか、ずっと知りたいと思っていました。
そこで出合ったのが、ブレイディみかこさんの著作です。みかこさんはイギリスで労働者階級の男性と結婚し、さまざまな人種や移民、懐具合、セクシュアリティの人々が混在するイギリス中部の都市・ハマータウンで、子育てをしながら保育士として働いています。その日常での出会いや出来事などがつづられているわけですが、どれも考えさせられたり、はっと気づかされたり、世の中の多様性を思い知らされたりします。
最近読んだものの中では、『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』が印象に残っています。この本の主人公は「労働者階級のおっさん(おばさん)」。社会では虐げられがちですが、「おっさんだって生きている」と、彼ら・彼女らの事情や言い分を丹念に追っていきます。
例えば、みかこさんが、夫と夫の友人とそのおいっ子の大学生と4人でパブに行って飲んでいる最中、物乞いの若い女性が店内の各テーブルを回って小銭を無心する場面があります。夫と友人は小銭を渡したのですが、おいっ子がそれに異を唱えます。ホームレス支援のボランティア活動にも熱心な彼は、物乞いにお金を与えても本人のためにならない、と。それに対して友人は、そう合理的に片付けようとするな、と諭そうとする。ここから、2人の間で議論が始まるわけです。
誰もが議論するイギリス社会
エピソードはこの後も続きますが、この場面で私は「やっぱりそうか」と気づかされました。確かにイギリスの人々は、社会の状況や現象について黙っていません。それぞれに意見を持ち、議論をして、よりよい解決策を探ろうとするのです。
あるいは、どこかで災害などがあれば、翌日には募金を呼びかけるおっさんやおばさんが街頭に立っている。その根本にあるのは、自分たちが社会を構成し、運営しているのだという自負心と責任感です。その姿勢は、アカデミアの人も広く一般の人も変わらない。これがイギリスの強みのような気がします。
翻って日本の場合、こういう意識は乏しいのではないでしょうか。心の中では思うことがあったとしても、なかなか表に出さない。それよりも周囲と合わせることを優先し、むしろ異を唱える人を煙たがる。特に若い人ほど、他者と対立することを恐れているように見えます。
その要因の一端は、幼児教育にもあるかもしれません。なぜ幼稚園や保育園に入れるのかという問いに対し、欧米では「親から離れて自立できるようにするため」という答えが主流ですが、日本の親はたいてい「集団生活になじませるため」と答えます。確かに「和」も大事ですが、もう少し「個」を主張することを教えてもいいような気がします。
「元底辺中学校」から学べること
教育といえば、同じくブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(1)(2)』(新潮社)も面白い。こちらは公立の「元底辺中学校」に通う「息子」が主人公。彼の目線を通じて、親や多様な背景を持つ同級生との間で日常的に起きている貧困や差別などの問題を描いています。
例えば、息子が得意なはずの数学のテストでひどい点数を取ってきたときのこと。父親(夫)がいつになく烈火のごとく怒り、ついには「俺みたいになるな」と言い出すと、息子はぽろぽろと涙を流したそうです。みかこさんが間に入って慰めると、「そうじゃない。そういうことを子どもに言わなくちゃいけない父ちゃんの気持ちを考えると、なんか涙が出てきちゃって……」と答える。
労働者階級の悲哀のようなものを、子どもなりに感じ取っていたわけです。三者三様の思いやりの気持ちが伝わってきます。
また、中学校では、現実の総選挙に合わせ、校内でも模擬選挙が行われるそうです。実際に各政党のマニフェストを授業で読み、EU離脱や教育などに焦点を絞ってディスカッションして投票するらしい。中学生の段階で現実の社会に目を向けさせ、よりよくするにはどうすればいいか、自分たちの頭で考えさせることが素晴らしいと思います。「おっさん」の原点はここにあるのかもしれません。
学校でそういう授業があれば、家庭でもその話題になります。そこで大人の意見を聞くことで、視野を広げることができる。それを踏まえてまた学校で議論すれば、いっそう深く考えるようになるでしょう。
日本の場合、もともと移民や出稼ぎ労働者が大量に流入するような環境ではないため、社会全体が均一的です。だから特に発言しなくても、なんとなく調和できている面があります。それはそれで幸せなことですが、世界は決してそうではありません。立場や考え方の違う人が同じ地域で暮らし、差別や偏見、利害対立が当たり前のように存在しています。
それを乗り越えて共存を図るには、議論を重ねて打開策を模索していくしかない。そんな社会があるということを、私たちはイギリスの「おっさん」や「元底辺中学校」から教えてもらう必要があるのではないでしょうか。
取材・文/島田栄昭 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/小野さやか