第15回 日経小説大賞(日本経済新聞社・日経BP共催)を受賞した『
紅珊瑚(べにさんご)の島に浜茄子(はまなす)が咲く
』(山本貴之著/日本経済新聞出版)が2024年3月に刊行された。江戸時代後期、北前船が行きかう出羽(現在の秋田県と山形県の日本海側に該当)の幕府直轄の島を舞台にした時代ミステリーだ。本書の一部を抜粋して公開する。
※著者の解説記事「
日経小説大賞『紅珊瑚の島に浜茄子が咲く』著者が作品に込めた思いとは
」
『紅珊瑚の島に浜茄子が咲く』のあらすじ
時は江戸時代後期、文化文政の世。遠州浜名藩主の四男、部屋住みの響四郎と町方の女房との根津権現での出会いから物語は始まる。互いに名も身分も明かさずひとつになり別れた。
響四郎は羽州新田藩に継嗣として迎えられることになっていた。外様とはいえ大藩である羽州藩支藩への異例の末期養子は、幕閣の出世頭である浜松藩主・水野忠邦の斡旋によるものだった。新田藩が預かる幕府直轄の島では、蝦夷地の花として知られる浜茄子が咲く。小藩とはいえ譜代の響四郎に白羽の矢が立ったのは、その秘密を探らせるためでもあった。
響四郎に江戸から付き従ってきた浜名藩士が、次々と島で不審の死を遂げる。沖合で見られる怪異現象がささやかれ、忍びや隠密が暗躍する島で何が起こっているのか。その真相が明らかになったとき、そして一夜の情事で刻まれた恋の行方は……。
本書の一部を抜粋して公開
江戸藩邸
開け放った障子の間から、中庭に点在する百日紅の群れて咲く紅白の花が目に鮮やかに映った。夕刻になって微かな涼風が室内に入ってきている。新之助は、藩邸の奥座敷にある響四郎の書見部屋に江戸留守居役と近習頭の後に従って入り、平伏して後ろに控えた。
「響四郎様。わが藩としては、この羽州新田藩との縁組、是非にも進めたいと考えております。もちろん兄君の上様にもご承諾をいただいております」
江戸留守居役が、響四郎の前に座って深々と頭を下げた。新之助は平伏したまま黙って二人のやりとりを聞いている。
新之助は、この江戸留守居役が、響四郎のことを陰で「部屋住みの末子殿」とやや蔑んだ呼び方をしているのを知っている。前藩主、すなわち響四郎の父が先年隠居して、長兄が家督を継いだ。今の藩公である。その下に男子が三人いたが、次男は病弱で若くして夭逝し、三男は一昨年隣国の小藩に婿として迎えられた。その藩は、藩主の子が女子しかおらず、継嗣を迎えるべく早々と養子縁組を進めたのである。留守居役としては、今ここで響四郎が片付けば、藩主一族の子弟の始末はひと段落となる。すでに今の藩公には嫡男が生まれて健やかに育っていた。「いささか突然の話だな。仔細を聞こう」
響四郎は穏やかだが、毅然とした口調で話を促した。
留守居役が顔を上げて熱弁をふるいだした。
「すなわち、先頃羽州新田藩の藩主が流行り病に罹り急に亡くなりまして、急きょ跡継ぎを探されているのでございます」
「その話は、聞いた。しかし、新田藩とあらば、田地を開墾して新たにつくった支藩で、そのような場合は本藩からしかるべき継嗣が出されるものだろう」
「さようにござりまするが、あいにく本藩にはすぐには適したお方がいないようです」
「それが、まず解せぬ。さては、他藩からの持参金を当てにしているのか?」
「いや、そのようなことではござりませぬ。もちろん然るべく用立ては致しますが、わが藩もいささか手元不如意につき……」
響四郎は、穏やかに微笑んだ。
「あるいは図星のようだな。しかし、それで公儀が果たして縁組を認めるのか? 末期養子は禁じられているはず。本来なら世嗣断絶として改易となるのが定法であろう」
留守居役は、いったん頭を下げて額の汗をぬぐうと再び顔を上げた。
「それが今回は、お目こぼしをいただく手筈ができております」
「それがまた解せぬな。幕閣に金でも撒いたのか?」
「いや、そのようなことではございませぬ。当藩と日頃から付き合いの深い浜松藩の水野忠邦公の斡旋にござります」
響四郎は、ふと眉を曇らせた。
「水野様といえば、確か大阪城代から京都所司代に移られた?」
「はい、まもなく西の丸の老中にも上がろうかという、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの出世頭でござります」
「それが、なぜこの件で周旋の労を取られるのか?」
「もちろん羽州新田藩からのたっての願いがあってのことでござるが、水野様ならではのお考えもあるやに側聞しております」
「ますます解せぬな。では、ひるがえって当藩にとって、どのような利点があるのか?」
留守居役は首を左右に振りながら、再び熱弁をふるった。
「それは言うまでもございません。響四郎様が藩主となられ、しかも羽州本藩との縁ができれば、当藩としては願ったりでございましょう。羽州藩は外様とはいえ十五万石の大藩。譜代三万石のわが藩としても、この縁組は大きな礎となりましょう」
響四郎は、再び微笑んで言った。
「なんのための礎かな。さては、兄上は、水野殿より奏者番に推されるなどして幕閣入りでも狙っていると見える」
留守居役は、懐から懐紙を出して、再び額の汗を拭いた。
「いや、まあ、その……。ところで、水野様の浜松藩から使者が参っております」
「わたしにか?」
「はい。塩田恭之介という勘定方吟味役を務める藩士ですが、先年の蝦夷地での港造りで普請奉行をしていたとか。水野様から直々に書状を預かってきているとのことで」
「何やら大仰だな。ならば客間にお通しするがいい」
「では、この縁組のこと、何卒よろしくお願い申し上げまする」
留守居役の念押しに、響四郎は深くうなずいた。
「あいわかった。要領を得ぬこと甚だしいが、藩の方針ということならば、お受けせざるを得まい」
留守居役は、それを聞いて安堵したのか、ふうっと深い息を吐いて、さらに一言付け加えた。
「それともう一つ。まことに申し上げにくいことですが、一昨日のようなことはぜひとも慎んでいただきませぬと……」
響四郎は、それには何も答えなかった。
辻原登、髙樹のぶ子、角田光代の選考委員3氏の全会一致で選出された第15回日経小説大賞受賞作は、江戸時代後期の奥州を舞台に繰り広げられる極上の歴史ミステリー。
山本貴之著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)

