東京外国語大学・春名展生学長インタビューの2回目。自身も理系から文系へ転じた経験から、文系や理系という区分けを考える本や、先が見えない時代にどう行動するかのヒントになる本など、お薦めの本を4冊紹介してもらいました。最後の一冊は、心身健やかに過ごすための本です。
文系・理系という区分けは単なる偶然
前回 、お話ししたように私は大学時代は工学部に在籍、大学院では国際関係論を専攻し、理系から文系に転じました。私のいた東京大学では、大学2年生までは教養を学び、3年生から各学部に進学(進振り)します。理科一類で入学したけれども、社会学や経済学に転向する人も多くいます。もともと数字に強かった人が社会学や経済学でデータを扱うとなると、「文系・理系」は二項対立でとらえるものではないのかもしれません。
では、なぜ「文系・理系」という区分けが生まれたのか。その歴史を解き明かしたのが『 文系と理系はなぜ分かれたのか 』(隠岐さや香著・星海社新書)です。
日本における近代化の過程で文系・理系がどのように分かれてきたかを見ると、そこには合理性だけではなく、いろんな偶然性が浮かび上がります。現在は文系・理系という制度ができあがっていますが、歴史を振り返ってみると「必ずしもこの編成でなくてもよかった」「もっと違う分け方にするなら、どういった編成になるか」と新たな発想が広がります。
本校の学生もそうですが、「自分は文系だから」と言ってしまう人は多いと思います。でも、歴史の中で偶然が重なり、たまたま文系・理系に分けられただけ。時代が違えば、違う編成だったかもしれません。文系であろうが、理系であろうが、自分が身につけた「知識」や「技」を社会でどう生かしていくかが大事です。
そういえば2カ月ほど前、本校の学生ではない大学生から突然メールをもらいました。オンラインで面談したところ、彼女は関西で理系の大学に通っていて「理系の教育がテクニカルで面白みを感じられない。大学はもっと自分の知的関心を柔軟に広げられる場所だと思っていた」と悩んでいました。いろいろと話す中で「どうして私に連絡しようと思ったの?」と聞いたところ、「この本を読んだことが背中を押してくれた」と言っていました。
先月はカザフスタンに留学中の本校の学生からもメールが来ました。留学先で中央アジアの交通事情の悪さに関心を持ち、「今から都市工学に専攻を変えられるでしょうか」という相談でした。
この2人の例だけではなく、10代で文系か理系かを決めるのは早すぎる、と思います。仮に一度決めたとしても、後から変更してもいいのです。この本は、文系・理系の取捨選択に迷っている大学受験生や、「文系だから」「理系だから」と自ら制約をかけている人に読んでもらいたいですね。文系と理系を横断した学びは面白く、可能性が広がります。
宙ぶらりんな状態に耐える力があるか
続いては『 ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 』(帚木蓬生著・朝日選書)です。
この本は、小説家で精神科医でもある帚木蓬生さんが「ネガティブ・ケイパビリティ」について書いた本です。我々は最終的な目標に向かって1つずつケイパビリティを身につけていくことが求められます。
しかし実際には、ロードマップを歩いているはずなのに「この道で正しいのか」「これで本当に結果が出るのか」という迷いが生じます。このときに必要なのが「ネガティブ・ケイパビリティ」。簡単に言えば、宙ぶらりんな状態に耐える力です。
今やっていることが正しいのか、役に立つのかは分からないけれども、楽しんでみる。ひとまず目的意識を保留して分からないことを受け入れる。ときにはそうしたある種の「遊び」が求められます。
「遊び」という言葉に抵抗があるのであれば、スティーブ・ジョブズの「コネクティング・ザ・ドッツ」の話をしましょう。ジョブズは大学中退を決めた後、役に立つかも分からないまま、興味本位でカリグラフィーの授業を受けました。その後、初代のマッキントッシュを設計するとき、カリグラフィーの知識は美しいフォント制作に役立ったというのは有名なエピソードです。いつか、点と点はつながるのです。
時代が変わっても人間の規範は変わらない
次に紹介するのは『 論語 』(金谷治訳注、岩波文庫)です。
今さら論語? なぜ? という声が聞こえてきそうですね。今は「変化の時代」といわれ、古いものが全て更新されるような印象があります。しかし、実は変わらないものも多数あり、特に人間の価値観や規範は変わりません。極端なことを言えば、人間はホモサピエンスになってから進化していませんから、脳の中は同じなのだと思います。
恥ずかしながら、私はこれまできちんと論語を読んだことがなく、他大学の学長との会合で「知好楽(物事を知っているだけの人は、それが好きな人にはかなわない。好きなだけの人は、それを楽しんでいる人にはかなわないという意味)」など論語の言葉を聞くことが多く、手に取りました。
今日の取材にあわせて改めて読み返してみると、共感できる言葉が多いですね。やはり長い間読み継がれてきた本には強いメッセージがあるのだと感じました。
前回と今回で好奇心など「心」の本、文系・理系やネガティブ・ケイパビリティといった「技術」の本を紹介してきましたが、人間は「体」も大事です。そのことに気づかせてくれるのが、平松洋子さんの『 筋肉と脂肪 身体の声をきく 』(平松洋子著、新潮文庫)です。
人間である限り、身体から離れて生きることができません。身体が資本ですし、身体の調子が良くなければ仕事のパフォーマンスが上がりません。生きるのに必要な好奇心も湧き上がってきません。忙しい毎日の中でも心身の感覚を研ぎ澄ませ、体の声を聞く必要があります。
私も健やかに毎日を過ごすため、よく歩き、学長室のある5階までは階段で上り下りしています。そうして筋肉量を落とさないようにし、自炊で体調を整えます。心身健やかであれば、精神的なゆとりが生まれ、本が読めますから。
取材・文/三浦香代子 取材・構成/細谷和彦(日経BOOKプラス編集) 写真/小野さやか




