米国の経営学者、クレイトン・クリステンセン氏が提唱した「破壊的イノベーション」。その定義の枠を広げ、社会の在り方や人々の考え方、生き方に大きな変革をもたらした(あるいはもたらすであろう)人物15組・16人の思考と行動原理を探った書籍 『破壊的イノベーター、その視界』 (‎日経BP)。 “世界最高齢のプログラマー”として知られる若宮正子氏のインタビューを本書から抜粋してお届けする。

 若宮正子氏は、“世界最高齢のプログラマー”として知られています。81歳でhinadanというスマートフォンの無料ゲームアプリを開発。これをきっかけに、米アップルが開催する世界会議へ参加して注目を集めました。最近ではデジタル庁のデジタル社会構想会議構成員として活躍したり、ACジャパンのテレビCMに起用されたりと、自身の行動領域を大きく広げています。

 高齢者に対する「隠居」「リタイア」といった従来のイメージを一新させた若宮氏は、まさに人生100年時代のトップランナーとして、「自由にイノベーティブなことを行う高齢者」という新しい高齢者像を体現しています。

若宮正子氏。最近ではACジャパンのテレビCM「バッターボックスに立つ87歳」に出演して注目を集めている(写真:鈴木愛子、以下同)
若宮正子氏。最近ではACジャパンのテレビCM「バッターボックスに立つ87歳」に出演して注目を集めている(写真:鈴木愛子、以下同)
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若宮さんは2017年、81歳のときにiPhone向けアプリ「hinadan」(ひなだん:シニアが楽しめるひな壇飾りのパズルゲーム)を開発したことがきっかけで、その年の米アップル主催のWWDC(世界開発者会議)に参加し、“世界最高齢のプログラマー”として世界から注目を浴びました。hinadanをつくるきっかけについて、改めてお話しいただけますか。

若宮正子(以下、若宮):はい。この頃は高齢者がスマートフォンを使うようになりましたが、やっぱり高齢者には使いにくいんですね。もう一つは、高齢者が楽しめるようなアプリが非常に少ない。だから苦労して使えるようになっても、あんまり、若い人ほどは楽しくない。当然だと思うんです。

 だったら、年寄りが好みそうなものをどんどん増やしていけばいいんじゃないかと思ったんですね、単純に。で、いろんなところでそういう話をしたんですけど、結局誰も若い人たちは乗ってこなくて。それで、東日本大震災のボランティアで知り合った小泉勝志郎さん(スマートフォンアプリ開発や教育などを行うテセラクト代表取締役社長)から、「自分でつくればいいじゃないですか」と言われまして――。それで、自分でつくることにしたんです。

「hinadan」の画面例。ひな人形をひな壇の正しい位置に配置していく無料ゲームアプリだ。2017年2月にリリースし、現在、日本語のほか、簡体字中国語、繁体字中国語、英語、韓国語に対応している。当初はiPhone版のみだったが、2020年1月にはAndroid版もリリースした(資料:若宮正子)
「hinadan」の画面例。ひな人形をひな壇の正しい位置に配置していく無料ゲームアプリだ。2017年2月にリリースし、現在、日本語のほか、簡体字中国語、繁体字中国語、英語、韓国語に対応している。当初はiPhone版のみだったが、2020年1月にはAndroid版もリリースした(資料:若宮正子)
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 ちょうどその頃、アップルのiOSで使えるSwiftという新しい開発言語ができたんですね。何でも新しいものが好きなので、きっとこれの方がやさしいんだろうということでSwiftを使うことにしました。

 そうしてSwiftを使って開発を始めてみたものの、1行ずつのコマンドは分かっても、それを使ってストーリーをつくるとなるとなかなか大変で…。ちょっと自分でつくるのは大変だなと思ったんですけど、小泉さんが「分からないことがあったら僕が教えますよ」と言ってくださったんです。

 小泉さんは宮城県の方ですし、私のうちは神奈川県ですから、通うわけにはいかないので、Skypeを使って教えていただきました。小泉さんに教わったから、6ヵ月で何とかリリースできたんだと思っています。あの方は実務家ですから、プログラミングだけではなくて、例えば先にユーザー登録だけしておいた方がいいとか、そういった実践的なことも教えていただきました。

 ただ、私がつくったアプリが幼稚なので、「もしかすると、プログラムの体をなしてないと判断されて、はねられるかも」ともおっしゃっていて、少し心配もしていました。けれど、別にプログラミングのつくり方まで審査するわけじゃなかったようで、無事通りました。まあ、とにかくおひなさまが画面の中でちゃんと動きますしね(笑)

これからはAIスピーカーが高齢者の味方に

実際、若宮さんのところにユーザーからの声は聞こえてきていますか。それがきっかけでスマホを使うようになった高齢者の方も増えたのではないでしょうか。

若宮:きっかけになったかどうかは分かりませんが、親近感を持ってもらえたとは思います。

 「私の母は、今までスマートフォンなんか見向きもしなかったのに、私がhinadanをやっているのを後ろからのぞき込んであれこれ指示をするので、自分でやってみればって言ったら、きゃーきゃー面白がってやってました」とか、「母と私と娘と親子3代で楽しみながら、おひなさまの並べ方の知識も会得しました」とか、そういった声をいただいています。

 おひなさまって、並べ方に一定の法則があるんですね。年寄りはよく知っていますから、迷わずに並べることができて、威張れるわけです(笑)

確かに威張れそうです(笑)。これからのテクノロジーと高齢者の関わり方については、どうお考えですか。

若宮:私はAIスピーカーを家で使っているんですが、将来的にはこれが一番高齢者の味方になってくれるんじゃないかと思っているんですね。

 というのは、パソコンでもスマートフォンでも、操作手順をある程度覚えないと、どうしても使えないんです。ですけど、AIスピーカーは操作手順などを学習する負担がほかのデバイスより非常に少ない。普通の言葉でしゃべればいいわけです。方言でもあらかじめ登録しておけば、「電気つけてんか」みたいなことを言っても通じます(笑)

関西弁バージョンですね(笑)

「方言でもあらかじめ登録しておけば通じます」とAIスピーカーの使い勝手の良さについて語る若宮氏
「方言でもあらかじめ登録しておけば通じます」とAIスピーカーの使い勝手の良さについて語る若宮氏
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若宮:例えば、明後日から土佐の高知に行くとします。現地の天気を知りたいと思ったとき、AIスピーカーなら「高知県の天気予報は?」って聞くだけで済むわけです。もちろん、パソコンだってスマートフォンだって情報は取れますけど、そのためには機器をバッグから出してきて、電源を入れて、PINコードを打ち込んで…ってことになりますよね。だけどAIスピーカーなら、聞けばすぐ答えてくれる。今はモニターが付いていてテキストも画面上に出てきますから、両手が汚れているときでも大丈夫ですし。

 「その目的に達するための手間」の少なさが、いずれIT機器の普及についての勝負を分けると思うんです。そのときにやっぱり、しゃべるだけでいいAIスピーカーは強いですよね。それに、年寄りっていうのは大概、体が動かなくても口だけは達者ですから(笑)、AIスピーカーはかなり使えるんじゃないかと思うんですね。

テクノロジーによって、今までできなかったことが簡単にできるようになる。これからのテクノロジーの意味ですよね。

若宮:そう思います。AIスピーカーもそうなんですけど、新しい機器で大変なのは初期設定だけなんですよね。でも、そういった新しい機器の初期設定は、(高齢者の)家に息子さんがいたとしても、なかなか難しい。そこで今、お役所に一生懸命にずっと訴えているのは、その地域の包括支援センターなどに、そういった機器の設定をお願いできる支援員を置いてもらったりできないか、ということなんです。

ITによる生産性向上が、人間を自由にする

若宮さんがご指摘のように、最初の一歩を何とかすれば、その先にあるテクノロジーの恩恵を受けられる人が、高齢者を中心にたくさんいます。でも、その人たちがそこに到達できていないという現状があるわけです。この問題が解決したら、どうなるとお考えですか。皆がテクノロジーの恩恵にあずかれる世界が出現するわけですが。

若宮:「熱中小学校」(一般社団法人熱中学園による、全国各地の廃校を拠点とした生涯学習への取り組み)の講師として、北海道の更別村を訪れたときに。いわゆるハイテク農家におじゃましたんです。

 そこでは、ものすごく広い土地を、センサー付きのハイテク農機具を使ってお父さんが一人でいろいろな農作業をこなしておられるのですね。つまり、町の収入を増やすのであれば、お父さん一人いれば十分なわけです。

 だとすると、もし町の収入を増やすということだけを考えるなら、必ずしも人口を増やす必要はない気がするんですよね。少子高齢化が悪いのか、少子高齢化で生産性が低くなるから悪いのか…。

確かにそういった面はありますよね。

若宮:生産性が上がれば、人間はもっと人間らしい生活が送れるようになる。イノベーションはそのためのもの。私はそう思っています。

 例えば、普段着る服はユニクロなどのファストファッションのお店で買ってくればいいわけですけど、今、私が着ているブラウスは私がデザインした布地なんですね。こんなふうに、自分が考えた、自分が最も着たい洋服を自分でつくって着る時代になってきている。母の日にお母さんにプレゼントする服なんかも、布地の柄から自分で全部デザインできる。だから、個人の時代になる。それをサポートするいろいろなテクノロジーが出来上がってくるんだと思うんです。

 こんなふうに個人が主張して、個人が自分の設計図通りに生きられる時代がやって来るのかなと思っています。

若宮氏が着ているブラウスの柄は、自身が考案した「Excel Art(エクセル・アート)」(表計算ソフト「Excel」のワークシートのセルの塗りつぶしや罫線で模様や絵を作成していく手法)で自らデザインしたものだ。ペンダントも若宮⽒が⾃ら3Dプリンターで制作した
若宮氏が着ているブラウスの柄は、自身が考案した「Excel Art(エクセル・アート)」(表計算ソフト「Excel」のワークシートのセルの塗りつぶしや罫線で模様や絵を作成していく手法)で自らデザインしたものだ。ペンダントも若宮⽒が⾃ら3Dプリンターで制作した
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若宮氏による「エクセルアート」の作例(資料:若宮正子)
若宮氏による「エクセルアート」の作例(資料:若宮正子)
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ところで、hinadanで有名になって以来、若宮さんは世界中いろいろなところに足を運んでいらっしゃいますよね。これまで訪れたところで、特に好きな場所、お気に入りの場所ってありますか。

若宮:好きな場所…ですか。やっぱり、初めてのところに行くのが好きですね。

その答えはかっこいいなあ。

若宮:だから、今の自分の境遇って、非常に幸せだと思っているんです。どうしてかというと、講演会やいろいろなことで声をかけていただくことがすごく多いんですね。そうすると、初めて行くところがしょっちゅう。それも、普通じゃあんまり行けないところへ次から次へと行かせていただける。すると、そこで新しい体験ができて、初めてお会いする方に会って、いろんなことを知ることができる。本当に幸せなことですよね。

聞き手/髙橋博樹(日経BP 総合研究所 主席研究員)

新たな価値の創造者たちの行動原理とは

様々なジャンルで世の中に新しい価値を創出した15組・16人の“破壊的イノベーター”が、その考え方や実践について、さらには、原動力となった発想や情熱について語ります。

日経BP 総合研究所 編著、日経BP、2420円(税込み)