東京の郊外をぐるりと巡る330kmの道、国道16号線。今、この16号線で新たなトレンドが起ころうとしている。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一氏と、投資信託の「ひふみ投信」シリーズを運用するレオス・キャピタルワークスの藤野英人氏が、16号線について語った。前編の今回は、 『国道16号線 「日本」を創った道』 (新潮社)の著者でもある柳瀬氏が見つけた16号線エリアのマーケットと、藤野氏が2020年5月に三浦半島の付け根に位置する神奈川県逗子市へ移り住んだ理由について。
柳瀬博一氏(以下、柳瀬):藤野さんは2020年 『ゲコノミクス 巨大市場を開拓せよ!』 (日本経済新聞出版)という本を出版されましたね。
藤野英人氏(以下、藤野):はい、お酒を飲まないゲコ(下戸)をターゲットに市場が開拓されれば、新たな成長産業になる可能性が高い、といったことを書きました。
柳瀬:僕、『ゲコノミクス』の本に書かれていないゲコノミクス市場を、『国道16号線』を書いているときに見つけました。
藤野:それは興味があります。
柳瀬:ありがとうございます。まず、2018年のこんなデータがあります。
柳瀬:表を見ると、2018年時点で、人々の都心回帰と東京郊外の過疎化が起きているのが事実であることが分かります。まず、全世代で見ると首都圏で人口が増えている自治体のベスト10には、世田谷区を筆頭に東京23区が7つ入っています。千葉県と埼玉県の自治体でランクインしているのは流山市と船橋市、川口市のみ。神奈川県の自治体はゼロです。一方、人口流出が起きている自治体ワースト10を見ると新宿区以外は16号線エリアを含む首都圏郊外の街です。
藤野:そうですね。
柳瀬:ところが、0~14歳の状況を見ると全く逆なんです。
柳瀬:トップ10に東京23区はゼロで、ランクインした自治体のほとんどが16号線エリアの郊外都市です。首都圏の子育て世代は、積極的に16号線エリアに移り住んでいることが分かります。ワースト10は、東京23区が7つランクインし、残り3つは、千葉県市川市と神奈川県の横浜市港北区、川崎市多摩区と都心に近い自治体です。繰り返しますが、これは2018年のデータです。コロナ禍になる前から起きている動きなんです。
つまり、全世代で見ると都心回帰の人口移動が起きていたが、子育て世代に絞ると、むしろ積極的に16号線エリアを選んでいた。この傾向は2020年の0〜14歳の人口移動データを見ても変わりません。ベスト10のうち9つが16号線エリアの自治体で、残り1つは藤沢、23区はゼロですね。
実は日本人は「自動車離れ」していない
柳瀬:もう一つ重要なデータがあります。都心回帰が叫ばれるようになった21世紀の同時期、「若者の自動車離れ」という話もメディアが伝えるようになりました。でも、データを見ると、こちらも必ずしもファクトとは言い切れないのではないか、ということが分かります。
藤野:ほう。
柳瀬:自家用車の1世帯当たりの普及台数のピークは2006年。1960〜70年代にマイカーブームが起きて「モータリゼーション」が叫ばれた頃も、1980年代のバブルの頃も、日本ではまだ車が一家に1台なかったんです。1世帯当たり1台を超えたのは1996年、バブルが完全に崩壊したあとです。さらにいえば、日本全体における自家用車の保有台数はこれまで一度も下がったことがありません。若者を含めた日本人が「自動車離れ」しているとはいえないんですね。
藤野:なるほど。
柳瀬:そして、都道府県別のランキングもあります。1世帯当たりの保有台数がもっとも少ない自治体はもちろん東京です。つまり、東京の人が、日本でいちばん自家用車と縁遠い生活をしている。自動車離れは、東京の人のイメージかもしれません。そして、日本人は決して自動車離れしていないことが分かるのが、小売業の売り上げランキングです。
2020年のデータですが、ここ25年ほどで伸びた小売業の多くが、郊外型の巨大モールやディスカウントストアです。業態が違うので小売業ランキングには入ってきませんが、三井アウトレットパークやららぽーと、さらにIKEAやコストコといった外資系企業も郊外に巨大な駐車場を設けて集客するビジネスですね。
藤野:今はベイシアグループも伸びていますよね。群馬県地盤のスーパーであるベイシアを中核として、ホームセンターのカインズや作業着のワークマンなどを束ねる会社です。
柳瀬:以上のデータを見て気づきました。東京都心で働く人、とりわけ政治家や官僚や企業トップやマスメディアの人たちは、かなり偏った世界に暮らしているのではないか。
16号線の内側に暮らす2500万人圏のビジネスパーソンの多くが、鉄道で都心に通勤しています。また首都圏を筆頭とする、日本の八大都市圏の総人口は約8000万人です。しかし、そのなかでも鉄道だけで暮らせるエリアの人口はおそらく半分くらいでしょう。私の実家は政令指定都市で、八大都市圏の1つ、静岡県浜松市ですが、親族や地元の友人たちの生活を見ると、自動車の保有台数は1世帯1台どころか1人1台に近い。
そう考えると、鉄道の充実した本当の大都市圏に住む人たちは4000万人程度。8000万人前後の日本人は、自動車があったほうが便利、あるいはないと不便な世界で暮らしている。札幌、名古屋、福岡といった地方の大都市では、車と鉄道を併用して暮らすケースが多い。

柳瀬博一(やなせ・ひろいち)氏
東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授(メディア論)
1964年静岡県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP)に入社。「日経ビジネス」記者を経て単行本編集者として『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。その後「日経ビジネス」企画プロデューサー。TBSラジオ、ラジオNIKKEI、渋谷のラジオでパーソナリティーとしても活動。2018年3月日経BPを退社、同4月より現職に。著書に『国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社)、共著に『インターネットが普及したら、僕たちが原始人に戻っちゃったわけ』(晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(ちくまプリマー新書)、『混ぜる教育』(日経BP)。(写真提供:新潮社)
柳瀬:バブル崩壊以降の30年間における日本の小売業の栄枯盛衰を見ると、郊外型と通信販売(EC)が圧倒的に強い。都市型で当たったのは、アトレなどJRのグループ会社が運営している「駅上」超一等地を占める事業です。典型的な都市型小売業である百貨店の多くが苦戦しています。
21世紀、自動車の普及と相まって、郊外型の生活スタイルが首都圏中心部以外の日本で標準化しました。そんなとき、新型コロナウイルスの感染拡大がありました。結果、多くの人が「わざわざ鉄道で通勤しなくても、インターネットを使えば大半の仕事はできる」ということが分かってしまった。これはよくも悪くも、通勤システムが終わりつつあるのかなと。おそらく今後新しく鉄道を敷くのは日本国内においては難しい。となると、今インターネットを活用した「新モータリゼーション」が起きつつあるというのが、僕の結論です。
そして、自動車マーケット=ゲコノミクスマーケットになると思うんですよね。自動車社会は、酔っ払えないですから(笑)。
藤野:なるほど、そうですね。
お酒を「飲めるけど飲まない」若者が増えている理由
柳瀬:藤野さんは2019年から「ゲコノミスト(お酒を飲まない生き方を楽しむ会)」というFacebookのグループをつくっていますよね。
藤野:そうです。ゲコノミストの会員や、Facebookグループの投稿を見ていると、最近になって「飲まなくなった」人も多いです。つまり「飲めるけど飲まない人」です。
柳瀬:自分の意思で飲まないということですか。
藤野:はい、「飲まない」という選択肢を取っている。そのうちの多くが、若者とリタイア世代、高齢者です。リタイア世代や高齢者は健康を気にして飲まない。若者は、縦社会が嫌いだからという理由がまずあります。あとは、引っ越して車に乗ることが増えて、お酒を飲む機会が減った人が結構います。飲むという行為は、電車文化だから成立するものなんですよね。
柳瀬:鉄道を使う従来の通勤の仕組みと、飲酒カルチャー、そして上下関係って、すごく相性がいいと思います。多分、共進化しつつなじんだんじゃないでしょうか。
藤野:そうですね。僕自身も、神奈川県逗子市に引っ越してから車に乗る機会がはるかに増えました。
柳瀬:やっぱりそうですか。
藤野:一家で1台だったのが、1人1台になりました。やっぱり16号線エリアに移動すると、車の保有台数が増えますね。
在宅ワークの意外な弊害は、有休消化率の減少
藤野:もともと僕は通勤という行為が大嫌いだったんです。通勤しないか、タクシーか車か自転車で行けるところで仕事がしたいというのが、大きなインセンティブでした。
そして、実際に自分が通勤に縛られなくなって、次に考えたのが、自分の会社の社員に通勤ラッシュを味わわせたくないということ。コロナ禍になる2年前ぐらいから、コアタイムなしのスーパーフレックス制を導入しました。通勤ラッシュに巻き込まれると体力を消耗するから、とにかく避けてくれと。
そこからさらに、在宅ワークに移行できるように、コロナが流行する半年前から準備をしていました。だから、2020年2月から、在宅勤務体制へと一気に切り替えることができたんです。

藤野英人(ふじの・ひでと)氏
レオス・キャピタルワークス株式会社 代表取締役会長兼社長・最高投資責任者
1966年富山県生まれ。1990年早稲田大学法学部卒業。国内・外資大手投資運用会社でファンドマネージャーを歴任後、2003年レオス・キャピタルワークス創業。主に日本の成長企業に投資する株式投資信託「ひふみ投信」シリーズを運用。JPXアカデミーフェロー、東京理科大学上席特任教授、早稲田大学政治経済学部非常勤講師。一般社団法人投資信託協会理事。著書に『投資家みたいに生きろ』(ダイヤモンド社)、『投資家が「お金」よりも大切にしていること』(星海社新書)、『お金を話そう。』(弘文堂)、『投資レジェンドが教えるヤバい会社』(日経ビジネス人文庫)など多数。(写真提供:レオス・キャピタルワークス)
柳瀬:1年間会社全体で在宅ワークを強化して、変化や効果はありましたか?
藤野:これは何とかしたいと思っているのですが、有休消化率が下がってしまいました。ムダに体力を消耗しなくなり、病気になる人が減ったというのも一因かもしれません。健康になったという点ではすごくよかったと思います。
柳瀬:藤野さんのように、郊外に移り住んだ社員の方はいらっしゃるんですか。
藤野:います。統計通りで、神奈川、千葉、埼玉の16号線近辺に移ったメンバーが多いです。それは結局、首都圏下移動じゃないかという声もあるかもしれませんが、僕は東京の中心から分かれていくトレンドがすごく重要だと思っています。これが進めば、さらに周縁部に人が移動して来るのではないでしょうか。東京の分散化の一つのきっかけになると思います。
柳瀬:なるほど。あとは、食品会社や小売業の人は16号線エリアを昔からチェックしていると聞きます。理由は、鉄道ライフと自動車ライフ、両方のマーケットを同時に見ることができるからだそうです。
藤野:それは間違いないと思います。
柳瀬:今は、自動車や郊外を切り口とした、新しいタイプのコミュニティーやビジネスが立ち上がるチャンスですね。

(後編に続く)
(構成:梶塚美帆)
[日経ビジネス電子版 2021年4月12日付の記事を転載]
“酒を飲まない人”をバカにする人たちは、大きな勘違いをしている。
今回の対談でも言及されたように「ゲコ市場」の可能性は計り知れない。本書は、ゲコの投資家・藤野英人氏が、新たな巨大市場とその経済性・社会意義をSDGs時代の到来と重ね提言。巻末には糸井重里氏との「ゲコ×ゲコ対談」も収録。
藤野英人(著)、日本経済新聞出版、1650円(税込み)