『下町ロケット』や『半沢直樹』シリーズで知られる作家の池井戸潤氏が新作
『ハヤブサ消防団』
を出版した。池井戸氏と言えば、技術者や銀行マンなど働く人を描いた作品が多い中、今回は、主人公である作家が一見平穏な地方の町で起こる事件に向き合う田園ミステリーだ。物語の舞台は池井戸氏の郷里である岐阜の山間の町がモデル。ここで暮らす人の日常を読み進めるうち、思わぬ事件が起こり、それぞれが歩んできた人生が明らかになっていく。
プロットを作らずに書き込んでいったという新作について、どのように執筆を進めたのか、また池井戸氏自身を育んだ幼い頃の読書体験、さらに本作の一つのテーマでもある、地域とのつながり方について池井戸氏にインタビューした。まずは前編をお送りする。

故郷をモデルに田園生活を活写
銀行や企業で働く人の葛藤を描き、胸のすく物語として世に届けてきた池井戸さん。新作はガラリと趣を変え、山間の小さな町が舞台です。
池井戸潤氏(以下、池井戸氏):昔から少しも変わることのない田園の暮らしを書いてみたかったというのが、本作執筆の最初の動機です。僕自身、岐阜県の標高500メートルほどのところにある田舎町で育っていて、作品に登場する八百万(やおろず)町は、ほぼそこがモデル。幼い頃から歴史好きな父に聞かされてきた伝承や土地の風習、実在の場所もいくつか書き込んだ、虚実入り交じる物語になりました。
都会から移住してきた作家・三馬が半ば引きずられるように入団した地区の消防団の活動が生き生きとつづられますが、描写がリアルですね。
池井戸氏:消防団の活動については、地元で暮らしている同級生や友人たちからよく聞かされていました。へき地の消防団は実際に消火活動に従事しますし、お祭りや盆踊りなど町の行事には欠かせない存在。しかし、友人たちの話には「そんなこと本当にあるのか?」というような驚きの失敗談や笑い話が多く、それらもこの小説にはたくさん登場しています。
プロットよりも「人間」を掘り下げていく
ところが、連続放火を皮切りに、町では次々と怪事件が発生。その点と点がつながり、町に忍び寄るものの正体が明らかになる終盤までは、謎が謎を呼ぶ怒涛(どとう)の展開です。
池井戸氏:田園生活をのんびり描写しているうち、「ここには何かがあるな」と思い始めました。田舎とはいえ、決して平和な生活や円満な人間関係ばかりがあるわけじゃない。登場人物一人ひとりの人生に踏み込んでいくと、思いもかけないものが見えてくる……まあ、それは僕がプロットを作らずに書いているせいでもあるんですが(笑)。でも、それを掘り下げるのがこの小説の方向性なのではないかと思いました。
プロットなしに緻密なミステリーを書き上げていく手腕もさることながら、人物への洞察を深めていくことが、物語を動かす原動力になると。
池井戸氏:誰が事件の謎を解くためのキーパーソンになるのか。最初は何気なく登場した人の、ちょっとした会話、一見何気ない行動の理由を追っていくうちに、僕自身がさまざまな発見をすることになりました。つまり、作者が探偵役であると同時に最初の読者でもあるわけです。

読書の喜びに心ゆくまで浸った少年の日々
今作は故郷に近い場所が舞台で、主人公はミステリー作家。どうしても池井戸さんご自身のことを思い浮かべてしまいますが、少年時代から本を読むのは好きだったのですか?
池井戸氏:父が本好きだったので、よく本を買ってきてくれましたし、二人で出かけるときも必ず本屋に行って面白そうなものを探していました。
もっとも強く印象に残っているのは、『トム・ソーヤーの冒険』。最初に触れたのは、おそらく小学校1、2年の頃ですが、高学年向けに書かれていたので全部読んだのは4年生くらいだったと思います。アメリカ南部の田舎の開放的な雰囲気がいい。そして、そこで生き生きと動く主人公・トムの存在感に魅了されました。ハックルベリー・フィンと繰り広げる冒険はサスペンス要素もあって面白かったし、トムが母親がわりの伯母さんと心を通じ合えずにいる場面では、感情移入して思わず泣いてしまったこともありました。
物語に没入する体験をなさったわけですね。
池井戸氏:19世紀半ばという時代に、あんなに心躍るエンターテインメントが、子どもにも読めるものとして書かれたことが素晴らしいことだと思います。同じ時代の日本は、決してそうした状況ではなかったでしょうし……。窓を開け放った夏の座敷に寝転がって、心ゆくまで物語の世界に浸った、思えばあの頃がもっとも無邪気に小説に接することができた、いい時期だったと思います。
誰もが人生という「伝記」を背負った存在
そうした読書体験が、今の執筆に影響を与えたのでしょうか。
池井戸氏:小説と同様に、好きで読んでいたジャンルに伝記があります。世界の偉人や芸術家がどんな子ども時代を過ごしたか、困難の中、どう自分の才能を開花させ、危機を乗り越えていったか……といった逸話を、夢中になって読みました。
その経験は、今小説を書いている自分にとても役に立っていると思います。それは、「人物を大事にする」という視点を与えてくれたから。僕の小説には毎作、だいたい50人から70人くらいのキャラクターが登場しますが、それだけの数の人生が集約され、並行して存在しているのが小説である、と考えています。
今作にもさまざまな立場の人の思いや行動が描かれ、その背景が、読み進めていくに従って明らかになります。
池井戸氏:主役だけでなく、すべての登場人物は、それぞれに人生を背負っています。小説を書くにあたって、「この人ならどう動くか」「この発言や行動は自然なものだろうか」ということを繰り返し問うています。プロット通りに事象をつづって予定調和的にまとめるのではなく、登場人物の人となりや人生に踏み込んでいくことで物語は深まり、動いていくのでしょう。
もちろん、先を決めずに書いていくのは、不安といえば不安です。ピースがはまってスムーズに流れているときは問題ありませんが、時には行き詰まるときもある。小説には必ずストーリーの転換点というべきものがありますが、うまくいかないときは、どこかで“曲がり角”を間違えているからです。そんなときは、そのポイントまで戻って書き直し。執筆は、こうしたことの繰り返しです。
聞き手/大谷道子 写真/鈴木愛子
(後編につづく)
[日経ビジネス電子版 2022年9月15日付の記事を転載]