「優秀」な人が集まっているはずの組織で、なぜ不条理な運営が繰り返されるのか? 今回は「評価の裏側」のメカニズムについて。日本企業の“組織的茶番”を分析する組織学の第一人者、太田肇・同志社大学名誉教授の新刊『なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がなされるのか 身近な疑問からみる日本型組織の「無駄の構造」』(日本経済新聞出版)から抜粋します。

一緒に働きたい人=自分を脅かさない人?

 昇進や抜擢(ばってき)の理由を聞かされたとき、「君の人間性を評価した」「周囲の人からの評判がよい」といった抽象的な言葉に、どこかモヤモヤしたことはないだろうか。その「評価」の裏側に、評価者自身の「自分にとって都合がいい人間かどうか」という身勝手な好みが隠れていないか、疑ってみたことはあるだろうか。

 この「基準の不透明さ」こそが、自らの利益を最大化しようとする「機会主義」がつけ込む隙を与える。「機会主義」とは、自分が置かれている状況や情報の非対称性を利用し、自らの私的利益を最大化しようとする振る舞いである。

 例えば、新卒採用の現場を覗(のぞ)いてみよう。

 第1次面接を担当するのは、入社2、3年目の若手社員であることが多い。彼らは人事部から「あなたが現場で一緒に働きたいと思う人を選んでいい」という指示を受けることがある。一見、現場の感覚を重視する民主的な手法に見えるが、ここには大きな落とし穴がある。

 「一緒に働きたい」という言葉は、裏を返せば「自分を脅かさない人」や「自分と価値観が似ている人」という極めて個人的な好みの肯定にほかならない。

 人間はどうしても、自分と出身地や出身校が同じであったり、育った環境や趣味が似通っていたりする相手に肩入れしたくなる。また「彼は理屈っぽいが、芯が強くて化けそうだ」という異質な才能の持ち主よりも、素直で、自分の言うことをよく聞きそうなタイプを無意識に選別してしまう。

 選んだ理由は、後から「コミュニケーション能力が高い」「社風に合致している」といった、いくらでも捏造可能な「表の理由」でコーティングされる。こうして、組織は多様性を失い、金太郎飴のような似た者どうしの集団へと化していく。

ゼロサム・ゲームが生む「政治的選別」

 私情の介入は、組織の階層を上れば上るほど、より深刻で陰湿なものとなる。管理職や経営幹部というピラミッドの頂点に近づくにつれてポストの数は激減し、誰かが引き上げられれば、誰かが必ず脱落するという「ゼロサム」の性質が強まるからだ。

 このタフな状態において、選別基準は「能力」から「政治的利害」へとすり替わる。

 例えば、経営陣の中に中途採用組として入り込み、プロパー社員たちの冷ややかな視線にさらされてきた役員がいたとする。彼は、実力があるかどうか以上に、自分と同じ中途採用者を強引に引き上げることで、社内に自分の派閥(味方)を増やそうとするかもしれない。

 あるいは、特定の私立大学出身の派閥が国立大学出身者に包囲されている状況であれば、能力に関係なく同窓生に肩入れし、勢力を維持しようとする可能性がある。さらには、あえて義理堅い部下を抜擢して恩を売り、将来自分が窮地に陥った際の盾にするといった、高度な貸し借りの論理が人事を支配することもある。

 さらに悲劇的なのは、「有能すぎる部下をあえて潰す」という力学である。

 自分を脅かすほどの才能を持つ部下を引き上げれば、いずれ自分の地位が危うくなるかもしれない。かといって、明らかに無能な者を抜擢すれば、自分の見識を疑われ、「見る目がない」という致命的な非承認を浴びてしまう。

 そこで行われるのが、そこそこ有能だが、自分を追い越すことはなさそうな、扱いやすい人間を重用するという、絶妙な調整である。

抜擢するときは「そこそこ優秀で、自分を脅かさない人物」を選びがちになる(写真:dimlight/stock.adobe.com)
抜擢するときは「そこそこ優秀で、自分を脅かさない人物」を選びがちになる(写真:dimlight/stock.adobe.com)

日本企業のエリートは生存ゲームの達人

 こうした選別プロセスの裏側には、忖度、計算、嫉妬、怨恨といったドロドロとした感情が渦巻いている。昇進が決まる会議の場では、それらが「総合的な判断」というマジックワードで覆い隠され、正当化される。

 「隠れた利己主義」が、組織の根幹である人事プロセスにおいて最も純粋に、かつ破壊的に発揮されやすいのが日本企業の実態である。

 結局のところ、日本企業で「エリート」と呼ばれる人々は、必ずしも市場価値の高い優秀な人物ではない。彼らの多くは、共同体という閉鎖空間における「生存ゲーム」の達人に過ぎない。

 学歴という看板に守られ、減点主義の網をくぐり抜け、上司の私情にうまく取り入り、政治的な貸し借りの中で生き残ってきた人々。彼らがリーダーの座に就いたとき、組織は「裸の王様」に率いられることになる。

 王様が裸であることを指摘すれば、共同体からの追放が待っている。だからこそ、皆が「素晴らしい服をお召しです」と称賛し続ける。

 この悲劇的な茶番劇が続く限り、組織の深層にある濁りが浄化されることはなく、有能な若手はその茶番を支えるための「黒子」として消耗し続けるのである。

「『絶対に失敗するプロジェクト』が全会一致で走り出す」「みんなが無駄だと思っている業務がなぜか永遠に無くならない」……「優秀」な人が集まっているはずの組織で不合理な運営が繰り返されるのはなぜか? 組織学の第一人者が、「組織と人の真実」に迫る。

太田肇著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)