韓国で「こんな先輩がほしかった」と話題の『会社のためではなく、自分のために働く、ということ』(チェ・イナ著、日経BP)の翻訳者で、韓国在住の中川里沙さんに、翻訳をして感じた本書の魅力と、おすすめの韓国本について伺った。
韓国では「泣けるビジネス書」として話題に
前編では韓国で話題となっている本について紹介しましたが、今回は私が翻訳した『会社のためではなく、自分のために働く、ということ』(チェ・イナ著、日経BP)についてお話しします。
近年、韓国では哲学書が人気で、誰もが「生きづらさ」を抱えているように感じます。もう頑張りすぎなくていい、ありのままでいい、働き過ぎる必要もない──といった本が多いなか、あえて「働くこと」の本質に向き合ったのが本書。韓国では「泣けるビジネス書」「こんな先輩がほしかった」「大好きな後輩にプレゼントする一冊」として話題になりました。
著者のチェ・イナさんは韓国の大手広告代理店・第一(チェイル)企画の元副社長。コピーライター、クリエイティブディレクターとして活躍し、カンヌ国際広告祭の審査員も務めた人です。しかし、29年でキャリアに区切りをつけ、50代で退職。独立系書店のチェ・イナ本屋を始め、「本屋のマダム」と呼ばれるように。私も一度訪れたのですが、ビジネス街に近く、ビジネス書や自己啓発書が充実しているのが印象的でした。
チェ・イナさんはかなりのキャリアを積んだ人ですが、この本では「私が書く文章に何の意味があるのか」「老害みたいじゃないか」と自問自答しつつ、淡々と、しかし熱い思いを込めながら「会社のためではなく、自分のために働くということ」について語っています。第1部の「仕事」では「お金以外にも仕事が与えてくれるもの」「自分をブランドとして見つめること」、第2部の「人生と時間」では「継続させる力」「自ら納得できる結論に至る」など、その仕事哲学について余すところなく述べられています。
私が特に心に残ったのは「仕事はうまくやれば長続きし、長く続ければうまくいく」というエピソード。長く働くとなると、どうしてもスランプや壁にぶつかりますよね。そうしたときに「仕事と自己実現は別物」というアドバイスをする本も多いのですが、チェ・イナさんは「仕事は成功しようと失敗しようと、自分の学びや成長につながる」「道に迷ったときは進むべき道を示してくれる北極星を持つことだ」と背中を押してくれます。
このチェ・イナさんの言葉のように、仕事を頑張るために必要なアドバイスを求めている人は多いはずです。でも、社会全体が「頑張りすぎなくていい」「力を抜こう」となると、今の自分の仕事が好きで、やりがいを感じている人は自分の悩みを表面化しづらかったのかもしれません。
だからこそ「仕事を頑張るのは素晴らしいこと」というチェ・イナさんの言葉が心に響くのだと思います。
今の時代、改めて「働くとはどういうことか」を自分自身に問いかけるためにぴったりな一冊だと思います。
日本語版で読めるおすすめ韓国本
では、日本語版で読める韓国本をご紹介します。
1冊目は『 北朝鮮に出勤します―開城工業団地で働いた一年間 』(キム・ミンジュ著、岡裕美訳/新泉社)。私も「えっ? バスに乗って北朝鮮に出勤できるの?」と驚いて手に取ったのですが、2000年代に韓国と北朝鮮では経済協力事業が始まり、開城(ケソン)工業団地がつくられました(16年に閉鎖)。この本はそこで管理栄養士として1年間働いた20代女性が書いたノンフィクションです。
韓国と北朝鮮は言語は通じるのですが「分断の歴史」があり、考え方や生活習慣が違います。著者は、北朝鮮の20代の女性が「生きていれば100歳を超える自分の祖母と同じ苦労をしている」ことに衝撃を受けます。食堂で働く彼女たちは朝から晩まで働き、差し入れなどは自分では食べず家族のために持ち帰ります。しかし、一緒に働くなかで少しずつお互いを理解し、歩み寄っていきます。韓国文学は「他者の声を聞く」「他者を理解する」文学だといわれますが、この本からもそれが感じられました。今は多様性の時代ですが、やはり他者を受け入れることは「まず知ろうとする」「理解しようとする」のが第一歩だと教えてくれます。
2冊目は『 ひとりだから楽しい仕事 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活 』(クォン・ナミ著、藤田麗子訳/平凡社)。著者のクォン・ナミさんは村上春樹さん、小川糸さん、三浦しをんさんといった名だたる日本人作家の作品を翻訳している方です。二つの言語を行き来する仕事の大変さ、日本で面白い作品を見つけて韓国の出版社に売り込んだ話など、どのエピソードも楽しめます。小川糸さんとの交流も書かれているので、日本のみなさんにも読みやすいと思います。
3冊目は『 仕事の喜びと哀しみ 』(チャン・リュジン著、牧野美加訳/CUON)。著者のチャン・リュジンさんは『 月まで行こう 』(バーチ美和訳、光文社)も面白いので、どちらをおすすめするか迷いました。
この本はタイトル通り、仕事の喜びと哀しみ、仕事をしていると出会う人について書かれた短編集です。チャン・リュジンさんは注目の若手作家で、その作風は「ハイパーリアリズム」と呼ばれています。リアルな人物描写が得意で「確かにこういう同僚っている!」と感心するほど。きっとチャン・リュジンさんが会社勤めをしていたときに人間観察をしていたんだろうなと思います。ちなみにこの本は韓国でドラマ化もされています。
おすすめした3冊はどれも文章が読みやすく、今まで韓国文学を読んだことのない人にもおすすめです。さらに韓国文学について深く知りたい、という方におすすめしたいのが、『 韓国文学の中心にあるもの 』(斎藤真理子/イースト・プレス)です。著者は、これまで数々の韓国文学を翻訳し、日本に広めてこられた斎藤真理子さんです。韓国と日本の近代史をたどりながら、韓国文学の力強さに迫ります。次に読む一冊を見つける「読書案内」としてはもちろん、「フェミニズム」や「光州事件」といったキーワードを深掘りすることで、なぜ日本で韓国文学が受け入れられるのかについて考えさせてくれる、すばらしい一冊です。奥深い韓国文学を知る機会になれば幸いです。
取材・文/三浦香代子 構成/木村やえ(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子
チェ・イナ著、中川里沙訳、日経BP、1980円(税込み)





