定年までに蓄えた老後資金をかしこく使うには? 相続に向けてどのような準備が必要? リタイア世代が気になる60代からの資産の使い方と相続の準備について語り合った対談を、日経ムック『よくわかる相続&贈与 2024年版』から抜粋・再構成。『 一般論はもういいので、私の老後のお金「答え」をください! 増補改訂版 』などの著書がある井戸美枝さんと、『 60代からの資産「使い切り」法 』などの著書がある野尻哲史さんが登場します。

財産に関する情報をクラウド上に保管

お二人とも相続をご経験されていますが、大変だったこと、感じたことを教えてください。

井戸美枝(以下、井戸) 私は夫の両親、私の両親と相続を4回経験しました。中でも、私の父は会社を経営し、亡くなる2か月前くらいまで仕事をしていたので、会社をたたむ手続きなどもあり、終わったときには疲れ果てていました。その経験から母の相続に向け、母が元気なうちに息子を同行させて、10行近くあった母の銀行口座を集約する手続きなどを行い、親子3代で準備を進めました。相続発生後も息子に銀行口座の解約や不動産の相続登記などの手続きを経験させました。

野尻哲史(以下、野尻) 私は2年前に父を亡くして相続を経験しましたが、実家が地方にあり、新型コロナウイルス禍で行動が制限されてなかなか帰れず、相続の手続きはほとんど弟がやってくれました。母は健在ですが、財産を確認し、弟とも話をしたので心配していません。

 妻の両親も健在ですが、万一の際は税理士に依頼しようと思っているので、こちらも心配していません。私自身の相続のことはまだ考えていませんが、井戸さんのお話をうかがって、考えないといけないかなと思い始めました。

井戸 相続では、本当にいろいろな経験をしましたが、親が亡くなってショックを受けているときにやることがたくさんあるのは、本当に大変です。息子にはそんな思いをさせたくないと思い、私たちの財産は、どんなものがどこにどのくらいあるのか、金融機関の口座番号とパスワード、不動産の登記簿の写しなどをまとめてクラウド上に保管しています。

野尻 井戸さんご自身とご主人の相続が起きたときに備えていらっしゃるのですね。

井戸 はい。うちの息子は家からは独立し、音楽家として活動しています。その活動を続けるための「時間」を遺してあげたいので、家と多少のお金を引き継がせるつもりです。その家も少し前に一戸建てから手ごろなマンションに夫婦で住み替えて、大量の家財や衣類などを処分しました。

ファイナンシャル・プランナー、社会保険労務士の井戸美枝さん(左)と合同会社フィンウェル研究所代表の野尻哲史さん
ファイナンシャル・プランナー、社会保険労務士の井戸美枝さん(左)と合同会社フィンウェル研究所代表の野尻哲史さん
画像のクリックで拡大表示

野尻 わが家は子どもが3人いるので、3人が均等に財産を分けられるよう、きちんとしておきたいと思う一方で、私たち夫婦が使い切って遺さないほうがいいかなとも思っています。私は、大学卒業後に勤めた山一証券が自主廃業して、コツコツと積み立てていた自社株が紙くずになったり、住宅ローンの返済に追われたりという経験をしました。そのため、現役時代は「お金を貯めなきゃ」という強迫観念のような強い意思がありました。

 そのときもいまも、子どもたちにはわが家の収入も財産もオープンにしています。子どもたちが自分の力でお金を稼いで自立できるよう、あえてお金の苦労をさせたいとも思っています。

60代は使い方と残し方のバランスが重要

60代以降の資産の使い方については、どうお考えでしょうか?

野尻 子育てが終わり、仕事の面でも一段落した60代は、人生で一番いい時期です。私自身、「いまが一番楽しい」と感じています。そのときに「お金がかかるから止めようかな」と、趣味や楽しみを躊躇(ちゅうちょ)しないで済むようにしたいと思っています。

 その一方で年々、「お金を使うのは怖いな」とも感じるようにもなっています。100歳まで生きた場合にいつまで資産が持つかという不安と、体が弱ったとき医療費や介護費用、有料老人ホームの入居費用などにどのくらいのお金がかかるのかという不安から、お金を使うことが怖くなるのです。

井戸 そう考えるリタイア世代は多そうですね。

「親子3代で相続準備を進めました」と話す井戸さん
「親子3代で相続準備を進めました」と話す井戸さん
画像のクリックで拡大表示

野尻 だから、これまでの高齢者は、できるだけお金を使わずに資産寿命を延ばすことを重視する人が多かったのでしょう。ですが、経済を成り立たせるには、誰かが消費して需要を支えなければなりません。それは退職後の高齢者の役割でしょう。人生で一番いい時期を楽しんでいる60代は、お金の使い方と残し方のバランスが重要になると思います。

井戸 「資産を取り崩しながら、同時にその寿命を延ばしていく」ということですね。

野尻 はい。そのときに、何歳まで生きるかわからないから、ゴールを決められないという問題があります。そこで、「100歳までに使い切る」というプランを設定します。100歳よりも早く寿命が尽きたら、余った資産は子どもに相続させればいいでしょう。

「定額」はでなく「率」で資産を取り崩す

資産を取り崩しながら、同時に資産寿命を延ばすには、どうすればいいのでしょうか?

野尻 運用と引き出しのバランスを取ることです。その際、取り崩しを、月10万円のような「額」ではなく、「率」で考えます。たとえば、3%で運用して4%で引き出せば、大まかに言うと毎年1%ずつ資産が減ることになります。この「定率引き出し」という考え方は、かなり定着してきたと思います。

 それと、今後は定率ではなく、たとえば4%にした引出率を、当初は3.5%にして徐々に4.5%にまで引き上げていくような予定率の設定で、100歳までに使い切るプランも必要になるかもしれません。また、どの資産から取り崩すかも考える必要があります。私の場合は、企業型DC(確定拠出年金)を一時払いで受け取りましたので、退職時点で現金比率が高まりました。そのため有価証券を残して、預金を先に取り崩すスタイルにしています。

野尻さんは「100歳までの使いきりプランで、余れば遺せばいい」と語る
野尻さんは「100歳までの使いきりプランで、余れば遺せばいい」と語る
画像のクリックで拡大表示

現状では、80歳を超えた人には有価証券の取引を制限する金融機関もあるようです。

野尻 認知症などの心配があるからですね。認知症を発症した場合、資産保全の観点から成年後見人が有価証券などを現金化することもあるようです。しかし、現金化したらインフレに負けてしまう可能性があります。それでは、資産の保全にはならない。今後は、国などの機関がお金を預かって運用し、成年後見人は引き出しの部分を管理するなどの制度を検討することも必要ではないかと思います。

井戸 認知症になると銀行口座を凍結されて、財産はあるのに引き出せず、苦しい生活を強いられる場合もあるようです。それでは、100歳まで快適な人生を送ることはできません。そんなことにならないよう、高齢者自身のためにお金を使えるようにする仕組みも必要になると考えています。

野尻 同感です。

知恵や生きる力も子どもに遺せる財産

井戸 話は少し変わりますが、私は、1995年に神戸で阪神・淡路大震災を罹災しました。社会保険労務士として、毎日8キロ歩いて避難所に通い、社会保険関連の相談ボランティアもしました。その相談者がテントで亡くなったこともあります。あの時に死生感が大きく変わりました。

 また、父が経営していた会社が倒産して、財産を差し押さえられたこともあります。家中の家具どころか、ペットにまで差し押さえの赤札が貼られるんです。この経験を通して、人はいつ死ぬかわからないし、いつ財産を失うかもわからないと考えるようになりました。そして、どんな状態になっても立ち上がれるような“生きる力”が大切ということを痛感しました。知恵や生きる力は親が子どもに遺せる財産の1つではないかと考えています。

野尻 私もそう思います。相続を考える際も「何を遺したいか」というプライオリティを考えずに、節税のノウハウのような知識だけを得るのは違うと思うんです。特に、いまのような情報過多の時代は、本当に必要な情報を取捨選択できる知恵が不可欠です。知恵があれば、間違った情報に出合っても、「これは違うのではないか」と気づくことができるでしょう。

井戸 資産の活用も相続もしっかりとしたプランと知恵が重要だと思います。そのうえで知識を身につけ、家族で共有できたなら、いざというときにすぐ行動に移せるでしょう。その準備をしておくことで、この先の人生をより安心に、さらに楽しく過ごせるはずです。

取材・文/大山弘子 写真/関眞砂子

相続の事前対策と起きたらやるべきこと

相続の基礎知識をまとめたムックの最新版。生前対策から亡くなったあとの手続き、相続税の計算方法、遺産分割のルールなどを図表やイラストを用いてわかりやすく解説しました。2024年以降の制度改正の内容も詳しく紹介しています。

日本経済新聞出版編/日本経済新聞出版/1430円(税込み)