大統領選前に読みたいアメリカの本、4回目は『21世紀の金融政策』。学者出身のバーナンキは2007~08年のサブプライム問題を火種とした金融危機で、自らの研究成果を試す“チャンス”に直面。政治家とのやりとりが赤裸々につづられる。
恐慌研究の権威がFRB議長に
私は2005年から2015年までニューヨークにいましたが、それはちょうどベン・バーナンキがFRB(米連邦準備理事会)議長だった時期と重なります。そういう事情もあって、個人的に非常に気持ちを込めて読んだのが、『 21世紀の金融政策 大インフレからコロナ危機までの教訓 』(ベン・S・バーナンキ著/高遠裕子訳/日本経済新聞出版)です。
タイトル通り、1960年代から現代に至るまでの金融政策を振り返る内容ですが、小難しい理論に偏った話はしていません。そのため、さほど金融政策に詳しくなくても案外さらっと読めると思います。
バーナンキは、ある種の運命に導かれた方だと思います。学者時代から世界恐慌研究の第一人者として知られ、その主因はFRBの金融政策が後手後手に回ったこと、特に通貨供給の不足にあったと看破。そこから、デフレの際には「上空からヘリコプターで紙幣をばらまけばよい」と提唱し、「ヘリコプター・ベン」と呼ばれるようになりました。2002年、FRB理事に就いてからは、デフレで苦しむ日本にそう進言したこともあります。
ところが、2006年、FRB議長に就任すると、翌2007年からまさに「世界恐慌以来」といわれた未曽有の金融危機、サブプライム・ショックに直面します。バーナンキにとっては、自身の研究成果を試す“チャンス”が訪れたのです。運命の皮肉というか、奇跡的な巡り合わせだと思います。
本書では、もちろん当時のFRBの政策運営について詳細に振り返っています。また一連の経緯から得た教訓についても言及しています。いわば金融政策論の集大成であり、今後の道標となることは間違いありません。
市場とのコミュニケーションに腐心
本書でしばしば強調されるのは、コミュニケーションの重要性です。
例えば2012年9月に開始したQE3(量的緩和第3弾:住宅ローン担保証券と国債の買い入れ)について、バーナンキは翌13年6月のFOMC(連邦公開市場委員会:日本では日銀金融政策決定会合に相当)後の記者会見で、買い入れ額の縮小(テーパリング)に言及します。
これは、バーナンキのもう一つの代名詞である「フォワードガイダンス」で表明した通り、今後の失業やインフレ動向など経済指標次第で資産買い入れペースを変更させる、との道筋に沿ったものでした。だからこそ、バーナンキも、市場は織り込み済みと考えていたと後に告白しています。
ところが、市場はテーパリングをネガティブに受け止め、長期金利の上昇と株価の下落を招きました。これは「テーパー・タントラム(かんしゃく)」と呼ばれています。市場とのコミュニケーションにいかに腐心させられたかがよく分かります。
また、バーナンキといえば、「インフレターゲット(中央銀行がインフレ率の目標値を設定)」を学者の時から提唱し、FRB議長として実行したことでも知られています。インフレターゲットもフォワードガイダンスの一種で、その有用性や市場の反応についても存分に語っています。
要は政策の透明化を図ったわけで、いずれも世界恐慌時の対応の失敗を教訓にしています。バーナンキの評価については賛否両論ありますが、サブプライム・ショック時の対応のみならず今日の金融政策の指針になっていることを考えれば、偉大な功績を残したと思います。
ちなみに、フォワードガイダンスには2種類あります。中央銀行として経済や政策の予想を公表するのがデルフィ型、市場に対して何らかの約束を示すのがオデッセイ型です。前者の典型は、FOMCのメンバーが個々に予想した政策金利をまとめた「ドット・プロット(ドット・チャート)」です。後者の典型は、政策金利がゼロ近くでこれ以上下げられないとき、その状態を長期にわたって維持すると約束することによって金融緩和を促進するケースです。余談ながらどちらもギリシャ神話から命名されており、聖書と並びその影響力の強さがうかがえます。
政治や大統領との丁々発止
本書の魅力は、金融政策の話ばかりではなく、その時々の政治や大統領とのからみが生々しくつづられている点です。政治と金融当局の間にどういう力学が働いているのか、読者に舞台裏をのぞかせてくれるかのようです。
そもそもFRBの独立性は明文化されておらず、ポール・ボルカーをはじめ歴代の議長が実績によって独立性を確立していきました。それだけに、政治から圧力をかけられることが多々あります。特に経済危機が起きたり、政府や政権が困った状態になったりすると、スケープゴートにされて対処を求められます。しかしバーナンキいわく、「金融政策は万能薬ではない」。ここにFRBの苦悩があります。
例えば2010年11月にQE2(量的緩和第2弾:国債の追加購入)の実施を発表した際には、共和党のジョン・ベーナー下院議員などが「インフレや資産バブルを引き起こす」と横やりを入れました。もともと財政緊縮・小さな政府を目指す共和党らしい主張です。一方、当時の民主党のオバマ政権も、そもそも金融危機を招いたのはFRBの監督が甘かったためとして、FRBの頭越しに金融業界への規制や監視を強化するドッド・フランク法を成立させました。こちらも大きな政府を目指す民主党らしいやり方でしょう。
いずれにせよ、政治からFRBへの注文は、政策的な必要性というより党利党略、有権者の耳目を集めて支持を得るために利用される傾向があるようです。この経験を踏まえて、バーナンキもコミュニケーションの方向性を変えます。これまでは市場参加者を対象にしてきましたが、もっと広く一般社会に向けて考えを伝える必要性を感じたそうです。FOMC後に議長が記者会見を開くようになったのは、このときからです。
また半期に一度、FRB議長は下院金融サービス委員会と上院銀行委員会で議会証言を行うことになっています。その際、議員からの質問も受けるわけですが、そこには党派性が反映されていることが少なくありません。本書で予備知識を得ておくと、その質問にはどういう政治的意図が含まれているか、見透かすことができるようになります。
トランプのパウエル批判に一理あり
さらに特筆すべきは、自身の退任後、2018年にFRB議長に就任したパウエルと当時のトランプ大統領とのやりとりについての言及です。学者として中央銀行と政府の関係性を洞察するあたり、さすがだなと思います。
パウエルは就任早々から、経済の不確実性を考慮して果敢に政策金利の引き上げを行いました。それに対し、景気を下支えしたいトランプは利下げを望み、両者の関係は次第に悪化します。トランプはパウエル解任の道を模索し、Twitter(現・X)でFRBを「能無し」と罵るほどでした。
しかし翌2019年になると、FRBは一転して連続3度にわたって利下げを実施。一見するとトランプの横暴な圧力に屈したような形ですが、そうではないというのがバーナンキの見立てです。
これには前例があります。1990年代半ばと1998年に当時のグリーンスパン議長がそれぞれ連続3回の利下げを実施。インフレリスクを懸念しながら景気を下支えする狙いで、「保険的利下げ」と呼ばれます。その手腕によってグリーンスパンは「マエストロ」と絶賛されました。
トランプとしては、その前例を踏襲してほしかったのでしょう。まして2019年の時点では、インフレリスクは台頭していませんでした。その分、躊躇(ちゅうちょ)なく利下げできるはずだと考えたに違いありません。パウエルもそれに呼応するように、記者会見でグリーンスパンの事例を持ち出し、利下げの理由を説明しています。結果的にこの利下げによって景気減速を回避できたとバーナンキは評しています。
その後、FRBはコロナ禍への対応で、自治体や民間企業などを対象に大規模な資金の貸し出しプログラムを導入します。これまでパウエルを痛烈に批判してきたトランプも、その際には「M・I・P(Most Improved Person:最も改善した人物)」と妙なほめ方をしています。
さて、11月には大統領選挙があります。景気を浮揚させたまま本選挙を迎えたいバイデン政権は、FRBに対して利下げの圧力をかけている最中です。しかし利下げを急げば、インフレリスクが高まります。パウエルがどういう政策運営をしていくか、本書を読めばいっそう興味をかき立てられることと思います。
なお、『21世紀の金融政策』の末尾には、「コメント歓迎」と題する一文が添えられています。感想や質問や意見をどんどん寄せていただきたいと、場合によってはウェブサイトで返答するとも述べています。バーナンキは議論好きで知られており、そのオープンでアカデミックな姿勢は称賛されるべきです。
取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝
インフレ、雇用、金融危機――。経済の変化にどう対応すればよいのか。ノーベル経済学賞受賞の元FRB議長が歴史を通して未来を展望する。
ベン・S・バーナンキ著/高遠裕子訳/日本経済新聞出版/5280円(税込み)


