芥川賞作家の羽田圭介氏が2021年11月に発表した『滅私』(新潮社)は、必要最低限の物だけで暮らす「ミニマリスト」の男を主人公にした作品。着想のきっかけは、根強いブームを背景に、「人生を最大化する」「物より経験」など、ミニマリストたちがブログやSNSで口々に発するフレーズが酷似していることへの違和感だったという。SNS社会の中で、借り物の言葉や思想に依存せず、自分の軸を持って生きていくために必要なこととは。[日経クロストレンド 2022年2月4日付の記事を転載。一部情報を更新]

羽田圭介氏
羽田圭介氏
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作家 羽田 圭介 氏
はだ・けいすけ。1985年、東京都生まれ。「 黒冷水 」で第40回文藝賞を受賞し、高校在学中の17歳のときに小説家デビュー。2015年、「 スクラップ・アンド・ビルド 」で第153回芥川賞を受賞。近著に『 ポルシェ太郎 』(河出書房新社)、『 Phantom 』(文藝春秋)、『 三十代の初体験 』(主婦と生活社)など

──著書『 滅私 』はミニマリストの男を主人公としています。所持品をできる限り減らし、最低限の物だけで暮らす「ミニマリスト」。日本でこの言葉やスタイルが広まりだしたのは2015年ごろだといわれますが、根強いブームがまだ続いています。小説に取り入れようと思った、着想のきっかけを教えてください。

 ミニマリストたちの極端な生活スタイルそのものよりも、メディアやSNSで彼ら彼女らが発している言葉に違和感を覚えたのがきっかけです。「人生を最大化する」「物より経験」など、みな一様に、コピーしたように単語レベルで同じフレーズを多用していました。どこかで見聞きした他人の言葉を、咀嚼(そしゃく)しないでそのまま自分の言葉として発信している。

 僕自身も片付け好きではあり、来客には「物が少ないですね」と言われますが、見えるところに置いていないだけで所持品自体は多い。引っ越しでも「単身パック」では足りずに、2トントラックのワイドとかロングが必要になるタイプです。どういうアルゴリズムなのか、SNS上でミニマリストたちの発信をお薦めされたりするうちに、咀嚼されない変な言葉の垂れ流しに気づいてきた。

 ミニマリストたちの発信を見ていると分かるのは、徹底的に物を減らす暮らしをすれば悟りを開けるのかといえば、そうでもないということです。SNSやブログに「執着を手放そう」と書く一方で、誰かからちょっとした小物やお菓子程度のプレゼントをもらったことに対して、「ミニマリストを公言している自分に、物を送りつけてくるなんて!」と激怒していたりする。心が狭い。全く悟れていません(笑)。そうした矛盾にも興味を抱きました。

羽田圭介『滅私』(新潮社)、21年11月30日発売
羽田圭介『 滅私 』(新潮社)、21年11月発売

──似たようなフレーズがネット上に蔓延(まんえん)する原因は何だと思いますか?

 SNSの登場以前には、メディアで発言する権利はある程度の知識を持った人か人気者にしかなかった。それが、誰にでも発言が可能になったことで、伝播する知識レベルが下がったのは一因だと思います。それ以前の時代には、理解できない高尚なものに出合ったとき、自分の不勉強への最低限の謙虚さはあったように思います。今は、知識人の発する難解な言葉を理解しようと背伸びをする姿勢がなくなり、「俺にも分かるように説明しろ」という態度が可視化され、定着したまま10年くらいたってしまった。TikTokなど、短時間で咀嚼できるメディアの普及も、その傾向をさらに後押ししているのかもしれませんね。

 TikTokは僕も最近ダウンロードしてみて、実際、あのような短い動画って、つい見ちゃうんですが、続けて見ているとだんだん胸焼けしてくる。短時間でできる分かりやすいことは、やはりバリエーションが限られているからです。多様性があったり、長期的に飽きられないものを作るには、TikTok的な分かりやすさからは外れるしかない。

本質にあるのは「人生を手っ取り早く劇的に変えたい」という欲求

──「物を捨て身軽になろう」というメソッドもシンプルで分かりやすいです。ミニマリストがもてはやされる背景をどのように捉えていますか?

 ミニマリストというと、物を極端に減らすことの方に目がいきますが、本質の部分にあるのは、それが最も手っ取り早く環境を変える方法だということだと、僕は捉えています。身軽になって、人生を劇的に変えられるような錯覚を得られる。コストも才能も要らないので、誰でも飛びつきやすい考えだからこそ、これだけ流行したのでしょう。

 「身軽になりたい」というのは言い換えれば、物でも人間関係でも「管理する煩わしさから離れたい」という欲求です。興味深いのは、物を捨てて身軽になった人たちが選ぶ生活が、おおむねパターン化していることです。利便性を優先して都心の小さな部屋に住むか、もしくは安く住める郊外に引っ越すか。どちらにしても多くの場合で共通するのは、浮いたお金を投資に回すこと。最近はやりの「FIRE(Financial Independence, Retire Early=経済的な自立によって早期退職すること)」を目指す人も多い。

 不要な物や人間関係の切り捨てを突き詰めていくと、最終的に他者を信じられない、自分と金融商品しか信じない生き方に行き着いてしまうこともある。僕自身の経験から言えば、若くして仕事をやめてどうするんだと思います。簡単に言えば、心が貧しくなる。本当に自由になってしまう「しんどさ」を、みんな分かっていないのではないかと。

 僕は17歳で小説家デビューしたのですが、新卒で入社した会社を1年半で辞め、学生でも会社員でもない状態の専業小説家になったときに、その「しんどさ」を味わいました。通学も通勤もなく、社会とつながっている実感が全く持てなくなると、日常がのっぺりと無機質になり、うまい具合に気分転換ができなくなります。リモートワークに同じ辛さを覚える人がいるという話を聞きますが、それでも職場の人間とコンタクトを取ったりする中で、社会とつながってはいるんです。

 勤務先に行って職場の誰かと世間話をする、自宅まで歩いて帰る道の途中で、行きつけのスーパーやコンビニにでも寄って物を買う。人間は、そういうふうに機械的にでも社会とつながり続けることで、心の健康を保っているのではないでしょうか。

──『滅私』では、ミニマリストの主人公にも、ギブソンのギターなど、どうしても捨てられない物がある点も印象的です。

 ギターを捨てるということは、「もしかするとギターがうまくなるかもしれない未来の自分」を捨てることです。人は過去の自分を捨てるより、未来の自分の可能性を捨てることのほうが、はるかに難しいということを示唆しています。

他人の意見を自分から探しに行くのはやめるべき

──ミニマリストたちの多くが「FIRE」を目指すという話が出ましたが、『滅私』の主人公も、同じく21年に発表された『 Phantom 』(文藝春秋)の主人公も、投資によって生活資金を得ています。羽田さん自身にも投資家としての一面がありますが、興味のきっかけは?

 最初の投資は個人型確定拠出年金(iDeCo)でした。17歳でデビューし、23歳で専業小説家になって、しばらくは平気でした。危機感を覚え始めたのは、20代半ば頃くらいからです。自分の新刊が発売されたタイミングで近所の書店に行っても、1冊も置かれていない。大きい書店ならどうかと、紀伊国屋書店新宿本店に行っても、平積みどころか棚にたった1冊刺さっているだけ。「これでは読者は減りはすれど、増えることはない。金融の力に頼るしかないのでは……」と。

 『Phantom』の主人公は、自分が低賃金労働をしている間にも、自分が労働して得る年収と同じだけの配当収入を自動的に生み出してくれる金融資産=「自分の分身」を作りたいがために投資をしています。これはまさしく当時、収入に不安を覚えていた僕自身が考えていたことでした。書き始めたのも同じ時期です。ただ、投資だけでは話の軸として弱いと考え、何か相対化できるテーマがないかと、5年以上、寝かせていました。そのうちに、「お金に頼らないで生きていこう」「お金より人気が大事」といった言説や、そういったことを掲げながら集金しまくっているオンライン上のコミュニティーが現れだしたのを見て、これだと思いました。

羽田圭介『Phantom』(文藝春秋)、21年7月発売
羽田圭介『 Phantom 』(文藝春秋)、21年7月発売

──「人生を最大化」したいミニマリスト、金融資産を心の安定剤にする個人投資家、オンラインサロンで得た思想に過剰に傾倒する人。将来に漠然とした不安を覚える人ほど、手段に依存し、自分の現在地や目的を見失う傾向が鋭く描かれています。こうした依存を避けるために、どうすればよいでしょう?

 結局、人は自分自身のことが一番分からないんです。客観視できない。自分の考えを補強したくて、周囲の忠告よりも自分の意見に近い言葉や、自分を肯定してくれる受け入れやすい言葉を探すうちに、浅はかだったりうさん臭かったりする人たちの言葉に行き着く。

 人は多くの場合、自分が「大衆」であることを認められず、平均よりは上だろうと思い込んでいる一方で、不安から、常に他人の言動ばかりを気にしている。そういう性質は、投資行動においても表れます。投資とは本来、「自分を含む大衆」が金融市場の動きにどう反応するかを考えるゲームです。自分が気づいていることは、だいたいみなが気づいているのですが、そこで客観的になれない。

 判断材料として大事なのは何よりも金利であり、お金がどこからどこに流れるかという大局観だと思います。なのに多くの人たちは、金利のこともろくに分かっていないまま、「他のみんな」の投資情報をSNSで読みあさり、参考にしてしまう。目先の動向が気になるにしても、見るべきはせいぜい先物の情報なのに、どうでもいい個人の発信に頼っている。ここ10年くらいは地合いは良かったので、よほど下手でない限りは誰でも投資でもうけられていて、その気になればインフルエンサーぶれちゃうわけです。そんな人たちがさらに集金するために、投資を始めた初心者たちに色々な手法を勧めたりしている……。最近だと、減価の意味もよく分からないまま、レバレッジETFを中長期投資用に買っている人たちがたくさんいるようですが、下落相場がきたらどうするんですかね。レバレッジをかけるにしても、損をしない、もっとましなやり方が色々とあるのに。

 分からないことへの謙虚さも失われている状態では、とにかくSNSで同調できる答えを見つけようとします。それが習慣化すると、自分で考えることをしなくなるので、何が最適な答えなのか、価値判断基準を自分の中にいつまでも持てないのです。

 何事においても、他者が一対一で自分のために発してくれた意見には耳を傾けるべき価値があるのかもしれませんが、それ以外の他人の意見を、わざわざ自分から過剰に探しに行かない方がいいです。自力で答えにたどり着いたり、判断基準を持ったりしない限り、不安や依存を根本的に解消することはできません。

羽田圭介氏
23年でデビュー20年目を迎えた羽田氏。22年1月~23年1月には「ARTnewsJAPAN」でアートに関するエッセイを連載した
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──羽田さんは17歳という早さでデビューして以来、現在まで途切れることなく作品の発表を続けています。執筆の原動力は何でしょう。

 好きなことって、やっぱりずっと続けられますよね。今、小説家じゃなかったとしても、結局は誰かの書いたものを読んで、たまに微妙な本に出くわしたりしたときに、「この人よりは僕の方が面白いものを書けるんじゃないか?」と、小説を書き始めていたと思います。僕は好きなことしか習慣化できないんです。

 「好きだから」という地点からプロになれるかどうかは、面倒でもやり切ることができるかどうか、究極、好きじゃなくてもモチベーションを持ち続けられるかどうかに尽きると思います。クリエイティブな仕事というと、昨今はアップル製品のCMみたいなスマートなイメージを抱かれがちですが、現実は違います。

 21年に、清水崇監督が総合監修を務めた『スマホラー』という、スマホアプリで配信されるオムニバスのホラードラマシリーズで、短編2本の監督をさせていただきました。実際に現場を見ると、映像製作というのが、途方もなく面倒で細かい作業や調整を積み上げていく、肉体労働の連続だということが分かります。それでもやろうというモチベーションを持てるかどうか。小説も、ノリですぐ書けるときもあれば、時には数年かけて延々と書き直し続けるようなこともある。そういうときにも、モチベーションを失わないでいられる唯一の存在が、僕にとっては小説でした。

 自分にとって何が大切か、モチベーションを持てることは何か。何も、一生ものの大きなモチベーションを探す必要もないと思います。趣味でもいい。仕事と結びついている必要もない。それは、他人の意見の中をいくら探しても見つからない、自分で決めるしかないんです。

著者が薦める本
 主人公と書き手との距離感が自然で、特に大きな出来事が起きるわけではないが、この文章の世界に浸っていたいと思わせる。(羽田氏)

(写真/髙山 透)