「ほめて人を育てる」という考えが、広く浸透している。しかし、思うような成果が出ていないときまで、無理にほめるのはどうなのか。できていないときはしっかり叱ることで、その人の成長につながるのではないか。新刊『じつは残酷な「ほめ育て社会」』(日経プレミアシリーズ)より抜粋・再構成して紹介します。
ほめられればやる気も出る、と言うが……
いつの頃からか、ほめ言葉が世の中に氾濫するようになった。厳しい言葉を耳にすることはめったにない。義務を怠っても、何らかのミスをして周囲に迷惑をかけても、厳しく叱られることはない。
学生たちに尋ねると、中学でも高校でも先生はよくほめてくれたという。授業でもよくほめてくれたし、宿題を忘れても、遅刻しても、授業中に寝ていても、とくに叱られることはなかったし、部活でもよくほめてくれて、厳しいことを言われることはなかったという。
そんな中学・高校時代を振り返り、やっぱりほめてもらえるとやる気になれるという者が多い。だが、そこに落とし穴がないだろうか。
「ほめられるとやる気が出るのは事実だけど、それも長続きはしないかな。それでも、またほめてもらえれば気分も上がり、やる気も出る。だから『ほめ育て』はやる気を高めてくれると思う」そのように言う学生もいる。
そこで疑問に思うのは、やる気を持続させるには、絶えずほめられていないといけないわけだが、ほめてもらえるポジションを常に維持するのは難しいのではないかということだ。思うような成果を出せないときや大きなミスをしたときなどは、いったいどうなるのだろうか。就職している若手社員たちは、上司も先輩もとてもやさしくて、よくほめてくれるし、厳しいことを言われることもないから、気持ちよく仕事ができているという。
「以前、職場では、難しい仕事を回され、しょっちゅうミスをしては叱られてたけど、今の職場では難しい仕事を回されることはないので、ミスして叱られることもないから、気持ちよく働けるし、やる気も維持できる」
そのように言う者もいる。
だが、難しい課題で負荷をかけるようなことがなく、常に余裕でこなせるような仕事しかやらされなければ、ミスをして叱られることはなく、常にほめてもらえるかもしれないが、それで仕事力が高まるだろうか。そこが疑問だ。
ほめてあげれば、嫌われることはない
さらに問題ではないかと思うのは、ほめてあげれば好かれるということでほめている人が多いことだ。
「注意したり叱ったりすると気まずい雰囲気になるし、感じ悪いと受け止められ、嫌われそうだから、注意や叱責はしないようにしている」という声や、「ほめてあげれば好意的な反応になるし、いい人だと思われ好意的に見てもらえるから、いつもほめるようにしている」といった声を聞くたびに、それでいいのだろうか、あまりに自己チューすぎないかと思ってしまう。
子どもに嫌われたくないから叱らないようにしている、ほめていれば子どもに好かれるという親。
児童・生徒・学生に嫌われたくないし、いい先生と思われたいから、厳しいことは言わずに極力ほめるようにしているという学校の先生。
部下や後輩に嫌われたくないし、やさしい上司・やさしい先輩と思われたいから、ミスをしても叱ったりせず、何かにつけてほめるような声がけをするように心がけているという上司や先輩。
このようなほめ育ての親や先生、上司や先輩は、ほんとうにやさしいのだろうか。嫌われたくないとか好かれたいといった動機で厳しいことは言わずにほめるようにしている。それは、相手のためという思いが欠けており、あまりに自己愛に溺れた発想なのではないか。
本来の「育てる」といった役割からしたら、親にしても、先生にしても、上司や先輩にしても、自分が好かれることを第1に優先させるべきではないだろう。
育てる相手のことを大切に思うなら、自分が好かれることよりも、相手が望ましい行動や考え方を身につけてくれるように導くことこそが、第1に優先すべき使命なのではないか。
そのためには、ときに厳しいことを言って反発されることになったとしても、それが相手のためになるわけで、自分が好かれることより大事なことであるはずだ。そう考えると、「厳しいことを言えば嫌われる」「ほめてあげれば好かれる」といった理由で、叱らなかったりほめまくったりするのは、親の役割、教師の役割、上司・先輩の役割を放棄していると言わざるを得ない。
榎本博明著/日本経済新聞出版/990円(税込み)

