「探訪! ひとり出版社」第2回は、月と文社(つきとふみしゃ)の藤川明日香さんを訪ねました。藤川さんは1998年に日経BP入社、2018年から日経ウーマンの編集長を務めたのち、2023年に退社、月と文社を設立しました。月と文社は、これまでに5冊の本を刊行しています。「古巣からの取材はうれしい」と言う藤川さんは、ひとり出版社を立ち上げた背景や本づくりへの思いを率直に語ってくれました。
「理想の一冊」を追っていく
前にいた会社のメディアから取材を受けるのは、どんな気分なのですか?
とってもありがたいです。月と文社を立ち上げてから何件か取材をしていただき、そのたびにうれしかったのですが、古巣からの声かけはやっぱりうれしいですね。
日経BPには25年勤めました。最初は土木業界向けの専門誌の編集部に配属され、その後、建設・不動産関連の実務者向けウェブサイトや建築の専門誌を担当しました。30歳の頃に社内公募で手を挙げて、当時創刊準備中だった『REAL SIMPLE JAPAN』編集部に異動しました。そこで女性向け生活情報誌の作り方を学んで、いろんな作り手とつながりができたんです。月と文社の本で写真を撮ってくれているフォトグラファーは、当時出会った方です。その雑誌が休刊になって、2008年に日経ウーマンに異動して15年ほど携わりました。
藤川さんは2018年から5年間日経ウーマンの編集長を務めた後、退社して、ひとり出版社を立ち上げました。どのような思いがあったのですか?
日経ウーマンの編集長になって5年目ごろから、「いつまでやれるのかな?」と思うようになったんです。次世代にメディアをつないでいくために、自分がいつまでも続けるのはよくないのではと自問自答することが増えたんです。それに、48歳を迎えて「このまま同じ会社で働き続けていいのかな」と考えるようになりました。結婚していなくて子どもがいない私は身軽に動けるのだから、どうせならもっと自分のやりたいことに向き合ったほうが、後悔のない人生になると思いました。
そんな頃に、ひとり出版社のことを知ったんです。市場は小さいかもしれないけれど、自分が良いと思うこだわりの本を作って売っていく世界がある。自分もできそうだと思ったし、やってみたいと考え始めました。社名や雑誌名の冠に頼らず、自分らしく好きな本を作ることを追求してみたくなったんです。
会社員だった時から、自分で作りたい本があったのですか?
そうですね。タイトルまで決めていたわけではないけれど、今、月と文社から出している本の内容は自分の根っこにありました。ただ、こんなにマニアックな本は出せるはずがないと思っていたので、会社員だった時には提案することもしませんでした。
なぜ、そう判断されたのですか?
会社員時代は月刊誌の本誌のほか、ムック本や書籍も作っていましたが、発行できるのはある程度の部数が見込める著者の本や、お金などについて学ぶ実用書が中心です。表紙デザインやタイトル、初版部数について社内の各部門と擦り合わせて、より売れる可能性のあるものを作り上げていく。それはそれでとても学びの多いやり方でしたが、「これまでに見たことのないジャンルの本」はリスクがあり、なかなか難しいチャレンジですよね。
私が心の底から作りたいと思っていた本は、いろんな人の意見を集約して作るようなものではないと感じていたし、本当に大切にしたいことやこだわりたいことは、自分の手で表現したい。だったら自分でやるしかないなという思いを持つようになりました。
ひとり出版社を創業して2年で5冊は順調な刊行ペースだと思います。「やった!」と思いますか?
すごくもうかっていたら「やった!」と思ったかもしれませんが、そんなことは全然ないんです。正直なところ、年収は激減していますし…。でも、何を大切にして生きていくか、だと思うんです。収入が一番大切だと考えている人から見たら、私は負け組に見えると思います。でも私は、自分が作りたいものを作ることを良しとしますから、良い選択をしたなと思うんです。
ひとり出版社の運営術と暮らしの整え方
大きな組織では、メジャーな市場で本を売るための組織的な仕組みがあります。一方、ひとり出版社では、こだわりを貫きつつ経営的視点や読者のニーズを見極める力が必要です。理想と現実のバランスをどう取るか、藤川さんが取り組んでいることはありますか?
そうですね。大手出版社が大きな市場を狙うにあたっては、販売部門や発行人の意見は大切だと思います。今も業務委託で古巣の仕事をすることがあるのですが、会議で鋭い指摘を受けることもあります。いろんな意見を取り入れて決める方法がすべて正解とは思わないけれど、「そうだな」と納得する部分もあり、それはそれで良いと思うんです。
今、月と文社でひとりで本づくりをするにあたって、自信を持ちきれない時は、信頼している編集者やデザイナー、書店の方に意見を聞いてみます。「面白いね」という反応が何度かあれば、刊行へ踏み出す後押しになりますし、「タイトルや体裁はこれでいこう」と前に進めます。とはいえ、当たり前ですが、最後は自分ですべてを決めなければなりません。意外と難しいのが販促で、新聞広告やウェブ広告、書評サイトへの登録などを試しましたが、書評の効果が高かった印象です。あと、過去2回出店した文学フリマでは、SNSを見た方がブースを目指して来てくださることが多くて、SNSの運用はしっかりやったほうがいいと感じています。
企業にいればメンタルヘルスへの配慮があるし、隣の席の誰かに愚痴をこぼすこともできます。藤川さんはひとり出版社として活動する中で、ストレスのマネジメントはどうしていますか?
SNSにキツい意見を書かれたり、Amazonのレビューで星1つをつけられたりするとへこみますね。友人と飲みに行って発散することもありますが、最近は、JR総武線平井駅前の「平井の本棚」という古書店で店番をすることがリフレッシュになっています。下町の古本屋さんで、平日は高齢のお客さんが多いんです。おしゃべり好きなおじいさんや音声障害があって空中に文字を書く方、バスの運転手さんが休憩時間に本を買いに来たりもします。会社員のままでいたら絶対に会わないような人たちと話すのが面白くて、良い気分転換になっています。
なぜ古書店の店員をやろうと思ったのでしょうか。
月と文社を立ち上げて2年ほどたった頃に、知人に誘われました。「接客も楽しいかも」と、軽い気持ちで始めたのですが、本の入れ替えや発送、古本の値付けもさせてもらって面白いですね。ただ、大きな収入になるわけではないので、どこか余生の趣味のような感覚でやっています。6月からは、都営大江戸線中井駅前にある伊野尾書店でも週1回、働いています。こちらは新刊書店なので、古書店とは客層がまったく違い、新しい本や雑誌、漫画をどんな人たちが買って行くのかを見るのはとても刺激になっています。
収入の地続きでお話しすると、起業してから、大手出版社の本の編集業務などを請け負ったことがあるのですが、面白く取り組めていても、その期間は月と文社の仕事が滞るほど忙しくなるんですね。もちろん十分な報酬をいただけるのですが、それに時間を取られてしまっては、何のために起業したのか分からなくなってしまうので、今は、依頼を受ける際は慎重に考えています。私は今51歳ですが、お金を稼ぐことよりも自分のやりたいことに時間を使いたいと考え始めています。私ぐらいの年齢になって、自分の仕事をこんなふうに捉えている人は、一定数いるのではないでしょうか。
(次回へ続く)
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月と文社
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取材・文/石川歩 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子

