東京・大田区に本社を置くダイヤ精機、そして同社の諏訪貴子社長は、その際立った存在感から「町工場の星」と呼ばれる。ミクロン(1000分の1ミリ)単位の超精密金属加工で国内トップクラスの技術力を誇り、「最高の職人集団」がその強みを磨き続けるダイヤ精機。2004年に主婦から一転、家業を継いだ諏訪社長は、経営難に陥っていた町工場をどう再建し、社員の知恵を結集する「全員参加経営」を築き上げてきたのか。「20年の闘い」を赤裸々につづった著書『 町工場の星 』から、道程の一端を紹介する。1回目は2018年の「幹部退社事件」。諏訪社長はそこから何を学び、決意し、実行したのか。

現場の中核を担う期待の人材が…

 バブル崩壊後のジリ貧状態を脱し、リーマンショックという大きな危機も乗り越えたダイヤ精機は、ベテラン社員も若手社員も活躍する町工場として前進を続けた。
 2018年、そんなダイヤ精機にとって予想外の“事件”が起きる。本社工場の副工場長を務めていた40代のIくんが退社してしまったのである。

 Iくんは父が社長だった時代から活躍してきた社員だ。
 ダイヤ精機では、ボール盤、円筒研削盤などの機械を担当し、実践で技を磨いた。一時は、超高精度の自動車部品用マスターゲージの加工を一手に引き受けるなど、現場の中核を担う存在だった。

 新しい人材の確保と育成に取り組み始めて以降、採用した若手社員は20人ほどにのぼる。そのほとんどが、超精密加工を担う若き職人として定着してくれている。
 その中で、中心的存在だった幹部社員のIくんが退社したのは、私にとって手痛い挫折と呼ぶべき出来事だった。

「年上の部下」との複雑な関係

 Iくんが退社に至った直接的なきっかけは、2017年に中途採用した社員とのソリが合わないことだった。

 何人かを面接した末に、ある中小メーカーの勤務経験がある男性を採用した。Iくんが副工場長を務める本社工場に配属し、研磨作業を担ってもらうことにした。
 社員たちの合意も得て迎え入れた経験者だったが、やはりダイヤ精機の空気には合わないところがあった。言葉使いや言い方がきつく、その社員のことを「苦手」と感じる若手社員が増えてしまった。

 その社員はIくんより10歳ほど上で、知識も経験も豊富に備えていた。一方、ダイヤ精機の中では、副工場長のIくんが上の立場になる。そういう複雑な関係性の中で、その社員にも変なライバル意識が芽生えてしまったのかもしれない。特にIくんへの当たりが強かった。次第にIくんが自信をなくしていってしまった。

 私が初めに気づいたIくんの変化は、「なんとなく怒りっぽくなった」ということだった。同じ職場にいる若手に厳しい言動をとることが増えた。
 そのうち、徐々に会社を休みがちになった。無断欠勤こそないが、時々「起きられないので休みます」と連絡が来る。翌日は頑張って出社してくる。だが、また次の日は休んでしまう。そんなことを繰り返した。

 Iくんの精神面の不調を感じ取った私は、病院で受診することを勧め、Iくんもそれに応じた。すると、やはり抑鬱状態にあるという診断が出た。
「診断が出たのだから、休職していいよ!」
 そう伝えたが、根っから真面目なIくんは、「会社に迷惑をかけることはしたくありません」という。休職せず、会社に出たり、休んだりすることが続いた。

 不調のきっかけとなった中途採用の男性からは距離を置いたほうがいい。仕事も、ミクロン単位の加工で神経を使う研磨よりも切削のほうがいいかもしれない。そう考えて、Iくんを本社工場から矢口工場に異動させた。

 だが、慣れない切削作業を手がけることも、また新たなストレスのタネになった。
「ゆっくりやればいいよ」
「疲れたら帰っていいよ」
 周囲の社員がこう気を使うのも、Iくんにとっては重荷になったようだ。メンタルが不調に陥ったIくんには、打つ手すべてが悪い方向に作用してしまった。
「これ以上、皆さんに迷惑をかけたくありません」
 Iくんはこう言い残し、結局、会社を去っていった。

新たな環境づくりのために一念発起

 Iくんには2012年から本社工場の副工場長を務めてもらっていた。採用の拡大によって増えた若手とベテランとをつなぐ中間管理職が必要になり、中堅社員だったIくんに白羽の矢を立てた形だ。
 リーダーとしての自覚を持ったIくんは、後輩とよくコミュニケーションをとりながら指導に当たっていた。2018年に異変が生じるまで、立派に副工場長の仕事を全うしていた。
 だが、ダイヤ精機を辞める時になって、Iくんは「本当はリーダー役を務めているのは荷が重いと感じていました」と漏らした。

 メンタルの不調の直接的なきっかけは、中途入社してきた社員との人間関係だったかもしれない。だが、もともとIくんは自分自身の技能を極めたいタイプだった。リーダーには向いていなかったのだ。
 ミクロン単位の研磨で精神的に気を使ううえに、リーダーとして後輩の世話もしなくてはならない。その環境に知らず知らずのうちに神経をすり減らしていたのだろう。

 全幅の信頼を置いていたIくんの退社は、私にとっても大きなショックだった。本当のIくんを理解してあげられなかったこと、抱えていたしんどさ、つらさに気づけなかったことに自責の念を抱いた。

 想定外だったIくんの退社を受け、私は残る社員たちに長く働き続けてもらうための新たな仕組みや体制づくりが必要だと考えた。

 Iくんの不調のきっかけにもなった中途入社の社員とは、直接話し合い、辞めていただくことにした。
 ダイヤ精機は社員30人弱の小さな組織だ。2つの工場には、それぞれ10人程度の社員しかいない。1人でも言動に問題がある社員がいれば、周囲の社員にとっては大きなストレスになる。

 もう1つ、私はある決意を固めた。
 それは私自身が「心理カウンセラー」の資格を取得することである。カウンセラーの知識やノウハウを身につけ、社員たちに寄り添い、その心をよく理解することで、長く勤め続けてもらう環境を整えようと考えたのだ。

 社長業のかたわらでカウンセリングの勉強もするとなれば、圧倒的に時間が足りないことは目に見えている。だが、「寝る時間を削ってでもやる!」と腹をくくった。

 早速、教材を取り寄せ、心理学や精神医学の基礎知識、カウンセリングの理論と実践スキルなどを学んだ。
 テキストは相当なボリュームがあり、覚えることも多かった。毎日、会社から帰宅後、深夜まで3〜4時間かけて必死に勉強した。
 その甲斐あって、3カ月ほどで資格を取得することができた。

 続いて、「メンタル心理カウンセラー」の上級資格で、より高度な知識や技術を備える「上級心理カウンセラー」の資格取得にも挑み、2018年中に実現した。

(写真:naka/stock.adobe.com)
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1対1の面談で「本当の気持ち」を引き出す

 私はカウンセラーの資格取得で得た知識を早速、経営に生かしていった。20~30代の社員との対話の中で、彼らの考え方を探り、教育や人事などに応用するようにしたのである。
 具体的には、若手社員の人事評価面談の方法や内容を改めた。それまでは年に2回、私と工場長と若手社員の3人で行っていたが、年に1回、私と社員の「1on1(1対1)」で行うスタイルに変更した。

 チャレンジシートをベースに、目標設定や将来像を確認することは以前の人事評価面談と変わらない。ただ、以前は基本的に私と工場長の中で、「この社員には今後この技術を習得してほしい」「この方向を目指してほしい」という要望があった。それを本人にも意識してもらいながら、一緒に目標をつくったり、将来像を確認したりする場としていた。今は、担当している業務を踏まえて、社員自身が「これから何をやりたいのか」「どういう道を目指したいのか」を聞き出す場としている。

 私からは社員が自由に答えられるよう、「これについてはどう思う?」とオープンクエスチョンを投げかける。やりたいことが明確に定まっていない社員には助け船を出す。「今の状況はこうだよね。こちらの道に進みたい? それとも、こちらの仕事に挑戦してみたい?」という具合に尋ねて希望を引き出す。私の意向や要望、会社が求める方向などを伝えることはしない。社員にとって、最も大きなストレスは「やりたくないことをやること」だろう。それを避けるため、とにかく本人に決定権、選択権を与える形としている。

 以前の面談は早ければ1人10分ほどで終わることもあった。1on1スタイルの今は1時間以上かけて、社員の考えや気持ちをじっくり引き出している。

(次回に続く)

主婦から町工場の2代目社長に転身した諏訪貴子さんの奮闘記『町工場の娘』が発刊されて10年。その後、諏訪さんはパニック障害など内面のつらさを抱えながらも、経営改革をさらに推し進め、「人が辞めない最高の職人集団」をつくり上げました。社員の方々へのインタビューやセルフプロデュースの方法も新たに収録し、波乱に満ちた20年を振り返ります。

諏訪貴子著、日経BP、1870円(税込み)