世界一周500年の歴史を振り返れば近現代史の意外な側面が見えてくる――日経ビジネス人文庫『8の都市からよむ「世界一周」の世界史』(鈴木淳著)では日本経済新聞記者が自ら旅しながら歴史をたどります。第1回は世界初の偉業を成し遂げたマゼラン隊の意外と知らない「目的地」について、本文より抜粋します。
航海者たちが命懸けで目指した場所
どこまでも深く青い海が続く。モルッカ諸島があるインドネシア北マルク州で私はシュノーケルをつけて海に入った。浅い場所には色とりどりのサンゴが息づく。海の透明度が高く、30メートル下を巨大なサメがゆったり泳ぐのが見えた。青や黄色の熱帯魚が泳ぎ、ウミガメが暮らす静かな海はかつて、世界中の探検家たちがここを目指して競った場所だった。
15世紀から17世紀にかけて、この島々は冒険家たちの憧れの地であり、ある意味では世界の中心だった。
人類の歴史上初めて世界一周を実現したのはフェルディナンド・マゼランとその艦隊だったことはよく知られている。高校の世界史の教科書にも出てくる「歴史的偉業」だ。しかし、マゼラン隊がどこに向かい、何を目指していたのかはあまり知られていないのではないだろうか。
マゼラン隊の帰国後の報告書にそのヒントがある。マゼラン隊に遠征を命じたスペイン王カルロス1世(神聖ローマ帝国カール5世)の秘書トランシルヴァーノ(マキシミリアヌス・トランシルヴァヌス)が聞き取った調書は『モルッカ諸島について(De Moluccis insulis)』と名付けられている。そう、モルッカ諸島こそ、マゼランたちが命懸けで向かった目的地だったのだ。
モルッカ諸島は現在のインドネシア東部にある島々で、インドネシアの首都ジャカルタからは直線距離で2500キロメートルほど離れている。現在はインドネシア語でマルク諸島と呼ばれる。その中のひとつにマゼランや大航海時代のその他の航海者たちが目指したテルナテ島がある。
2020年1月に私はテルナテを訪れた。同じ北マルク州にあるモロタイ島での取材の帰りに飛行機の乗り換えで立ち寄った。
インドネシアの格安航空会社が運航するプロペラ機「ATR42」の狭い機内から外に出ると、むわっとした湿気が顔にまとわりついた。その日のテルナテは青天で、とにかく暑かった記憶がある。首都ジャカルタは当時、スモッグで一年中薄曇りといった天候だったが、テルナテでは太陽が燦々(さんさん)と照りつけていた。
私と日本経済新聞ジャカルタ支局の同僚ボビー・ヌグロホは、テルナテが最盛期を迎えた16世紀の国王スルタン・バブラーの名前を冠した空港から車に乗り込み、島内南東部にある小さな砦(とりで)を目指した。
テルナテ島は面積が76平方キロメートルほどの小さな島で、目的地の砦までは10キロメートルほどしか離れていなかった。ジャカルタやスラバヤなどインドネシアの大都市で常に発生する渋滞もなく、20分程度で到着した。ポルトガル人によってつくられたカラマタ砦だ。
私はカラマタ砦のそばで、空撮用の小型ドローンを空に飛ばした。40~50メートルほど上空に上がると、やや歪(いびつ)な星形にみえる石づくりの砦の全貌がはっきりとわかった。周辺を空撮すると、テルナテ島の中心にあるガマラマ山がよく見えた。現在でも活発に活動する火山だ。
テルナテ島の大部分は森に覆われている。熱帯の島に石造りの砦は不釣り合いな印象を受けた。ドローンのカメラを海の方に向けると、目の前にティドレ島が見えた。砦からは1キロメートルほどしか離れておらず、海流さえなければ泳いでも渡れそうだった。
テルナテ島はモルッカ諸島の中心で、その目の前にあるティドレ島はそのライバルだった。このティドレ島こそ、マゼランの艦隊が寄港した島だった。
「胡椒1粒、金1粒」の時代
なぜ、マゼランをはじめとする16世紀の航海者たちはこれらの島々を目指したのだろうか。その答えはこの島々でしかとれない香辛料にあった。
当時、世界でモルッカ諸島以外では丁子(ちょうじ、クローブ)はとれなかった。テルナテやティドレは丁子の数少ない産地だった。少し南のバンダ諸島ではナツメグがとれた。
丁子はフトモモ科の低木チョウジノキのつぼみを乾燥させたもので、釘のような形をしていることからその名がついた。独特の強い甘い香りがするスパイスで、肉の臭みをとって味を引き立てるほか、カレーなどにも利用される。東洋医学では生薬としても使われる。インドネシアでは「クレテック」と呼ばれるクローブたばこが特産品として国民の間で人気がある(なお、クレテックはニコチンやタールの量が多く、「健康被害を生む」として米国では輸入が禁止されている)。
丁子や胡椒(こしょう)、ナツメグなどの香辛料は中世から近世のヨーロッパで珍重され、「胡椒1粒、金1粒」などといわれ非常な高値で取引された。とりわけ、クローブやナツメグなどはモルッカやバンダなどこの地方でしか産出されない希少性の高い香辛料だった。スーパーで12グラムのスリランカ産クローブが300円ほどで売られている現代からみると想像もつかない話だが、とにかくヨーロッパ人はモルッカ諸島にある香辛料を財宝のように扱い、その入手を競った。
香辛料はもともとイスラム商人がこれらの島々から買い付け、マラッカなどいくつもの港を通り、地中海に運んでいた。それをベネチア商人が独占して取引し、ヨーロッパ世界で香辛料を高値で卸した。こうした何度も仲介人の手を渡って取引されていた香辛料をモルッカ諸島との直接取引に変えようとしたのがポルトガルやスペイン、のちのオランダ、英国だった。後述するように、香辛料の取引はのちに植民地主義的な征服の色彩を帯びるようになった。
200年以上にわたる世界経済の中心地
今はインドネシアの中でもやや開発が遅れた地方都市という印象のテルナテだが、遅くとも15世紀までには、宝を生み出す島々としてヨーロッパ人の憧れの対象となっていた。冒険の目的地となり、征服の対象ともなった。モルッカ諸島は15世紀半ばから200年以上にわたってある意味で世界経済の中心地であり、アジアで最も有名な島々となっていた。
欧州の国々で最初にモルッカ諸島にたどり着いたのはポルトガルだった。アフリカ最南端の喜望峰経由でアジアへの航路を最初に発見したポルトガルは1511年にはマレー半島のマラッカ(ムラカ)を征服した。現在はマレーシアに属する都市である。
そこを足がかりに香辛料諸島に到達する航路の開拓に乗り出した。1512年にポルトガルの探検家、フランシスコ・セランがテルナテ島にたどり着き、テルナテ王国のスルタン(国王)とポルトガルが同盟を結ぶきっかけになった。マゼラン隊が世界一周を実現する10年前のことである。セランはマゼランのいとこに当たる。
私が訪れたカラマタ砦は1540年代にポルトガルによって建設された。ポルトガルは香辛料貿易を独占するため、他国の冒険者たちの動きを監視していた。砦はモルッカ諸島を行き来する船を見張るために造られた。モルッカ諸島の他の島にも、こうした洋風の砦が至る所にある。島の守りを固めて、香辛料貿易を独占する強い意欲がうかがわれる。
16世紀に世界一周を成し遂げた航海者は皆、モルッカを目指している。マゼランの後に世界一周を実現したフランシス・ドレーク(英国)らもテルナテに到達し、たくさんの丁子を本国に持ち帰った。
(第2回に続く)
鈴木淳著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)




