これからの未来、人間は身体的な能力だけでなく、脳が持つ能力をもAI(人工知能)やロボットに置き換えていく。一方で、AIやロボットはより人間らしくなっていく。そして、両者の境界は次第に消え去る。この進化がたどり着く先とは――? 大阪・関西万博シグネチャーパビリオンのプロデューサーでロボット工学の第一人者、大阪大学の石黒浩教授が解説。『いのちの未来 2075 人間はロボットになり、ロボットは人間になる』(石黒浩著、大阪・関西万博シグネチャーパビリオン「いのちの未来」クリエイティブチーム編/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
人間の定義は未定
ここで改めて、人間とはどのような生き物であるかについて考えてみよう。
人間とは何かという明確な定義はない。人間は科学技術によって歴史的にもその定義を拡張してきた。
また、大学などのアカデミアにおいて、ほとんど全ての学問は「人間とは何か」という問いに向けて研究に取り組んでいる。医学は、人間を医学的に理解しようとする分野であるし、法学は、人間や人間社会を法という側面から理解しようとしている。経済学は、人間を経済活動という側面から理解しようとしているし、教育学は、人間を教育することに関する学問である。工学においても、その目的は人間に役に立つ物を作り出すことを目的としている。このように、ほとんど全ての学問は人間の定義を求める学問であり、人間はまだ進化の途中にあり、その定義は未定である。
しかし、一つ明確に人間が他の動物と異なる点がある。それは、科学技術によって、その能力を拡張しているという点である。
例えばワクチンである。人間が生まれてすぐに、自らが生み出した人工物であるワクチンを体に取り込む。これによって非常に多くのいのちが救われている。また、人間は科学技術の力で、快適な家や街をつくっている。これらがなければ、常に自然の脅威にさらされて、繁栄することは難しい。さらには、その食べ物の多くも、科学技術の力で効率良く生産しており、人類の発展に大きく貢献している。
科学技術で進化する人間
すなわち、人間とは、生物進化のメカニズムである遺伝子の仕組みで、環境に適応し、進化するだけでなく、科学技術によってその能力を拡張してきたのである。科学技術は、人間にとっては進化の手段となっている。
そして、この技術による進化は、遺伝子による進化よりも遙(はる)かに早く、強力である。人間は、スマートフォン(スマホ)という技術によって、世界中の誰とでもいつでもどこでも話をすることができるようになった。このような能力を生物進化のメカニズムで獲得するには、果てしない年月がかかるだろう。人間は、ロケットと宇宙船という技術によって、月を訪問することができるようになった。このような能力を、放射線に対して非常にもろいタンパク質で構成される生体を基に、生物進化のメカニズムで獲得することは不可能のように思われる。
500万年前に、人間が誕生し、1万年前に農耕が始まった。それ以来、人間は技術の力で、その能力を飛躍的に拡張してきたのである。そしてその能力拡張は、近年のAI技術やロボット技術によって、さらに加速しようとしている。
かつて自動車が発明される以前には、荷物は、人間や馬などの動物が荷車を引いて運んでいた。しかし、それらの作業は自動車を用いてより効率的に行うことができるようになった。また、単なる移動も、自動車によって格段に効率が良くなった。自動車に加えて飛行機が登場し、現代社会では、人間は科学技術の力なしでは、生活することが難しくなっている。いずれにしろ、移動するという能力は人間にとって特別なものではなく、技術によって置き換えられ、拡張される能力となった。
同じことが近年のコンピューターやAIにもいえる。コンピューターの記憶能力は人間を遙かに凌駕(りょうが)する。コンピューターは遙かに多くのことを正確に記憶できるのである。記憶する能力はもはや人間にとって特別なものではなく、技術によって置き換えられ、拡張される能力となった。AIも同様である。多くの文献を調べ、取りまとめ、他人から与えられる質問に答えることができる能力も、もはや人間にとって特別なものではなくなった。それらの能力を知能と呼ぶなら、知能も人間にとって特別なものではなく、AIという技術によって置き換えられ、拡張されていくものである。
このようにして、人間は様々な能力を技術に置き換え、他の動物とは比較にならない早さで進化しているのである。そして、おそらくは近い将来、人間は遺伝子で進化する生物を超えた生命体になる可能性がある。
人間とAIやロボットの境界は消え去る
これからの未来、人間は今以上に科学技術によって能力を拡張していく。例えば、スマホはすでに、人間にとって必要不可欠な能力となっている。何かわからないことがあったとき、かつては図書館で調べ、情報を取りまとめ、時には人に聞きながら理解するという大変手のかかる作業を経て知識を得ていた。しかし今は、スマホ上のChatGPTに代表される大規模言語モデルに問い合わせれば、瞬時に答えを返してくれる。その答えは、必ずしも正しいとは限らないといわれるが、一般の人間が持つ知識よりも、遙かに幅広く正確なものであることは間違いない。
少し前であれば、調べ物は、グーグルなどの検索エンジンで行っていた。図書館に行くよりは遙かに手軽に情報を集めることができるのだが、それでも、それらの情報を取りまとめて、要約するという手間が必要だった。しかし今は、大規模言語モデルによって、情報の取りまとめや要約までもが自動的になされるようになり、まるで知識豊かな人間を手の中に持っているかのようである。
このようなスマホは、もうすでに人間の脳の機能を拡張しているといえる。情報を集め、整理・要約する手間がなくなった今日、我々はその先の作業に集中し、より生産性を高めることができる。
このようにして我々人間は、身体的な能力だけでなく、脳が持つ能力を含め、様々な能力をAIやロボットに置き換えていく。そうして近い将来に、体のほとんどを機械に置き換えるような人間も現れるだろう。
一方で、AIやロボットは、より人間らしくなっていく。グーグルの検索エンジンは、非常に効率の良い優れた検索エンジンであり、日常生活においても我々人間に必要不可欠な道具になったが、人間と対話ができる大規模言語モデルは、道具以上の存在になる可能性がある。映画に登場するような、自我を持ちながら人間と対話するAIやロボットが実現する可能性があるのである。
ちなみに、大規模言語モデルは、人間型ロボットと非常に相性がいい。大規模言語モデルを開発する多くの企業が、同時に人間型ロボットを開発し、またそれらを開発する企業に投資をしている理由はそこにある。
大規模言語モデルは人間の言葉を基に学習している。そしてその人間の言葉は人間の活動を通して生まれてきたものである。故に、大規模言語モデルは人間を表現したものであると考えることができる。大規模言語モデルと人間型ロボットを組み合わせれば、人間と人間のように話し、関わることができるロボットの実現が可能なのである。
人間がさらに技術を受け入れて、AIやロボットに近づく一方で、AIやロボットは急速に人間らしくなってきている。そして、人間とAIやロボットの境界は次第に消え去っていくのである。
肉体の有無では失われない人間性
しかし、それでも、人間とAIやロボットは違うと確信している人は多いだろう。その違いはどこにあるのだろうか。それが人間の持つ肉体にあるとするなら、間違っていると言わざるを得ない。肉体は人間を定義する要件には当てはまらないからである。
肉体の一部を失われても、人間性を失うことはないということは誰もが認めているのである。
石黒浩著、大阪・関西万博シグネチャーパビリオン「いのちの未来」クリエイティブチーム編/日本経済新聞出版/2750円(税込み)


