『最高の戦略教科書 孫子』の著者で中国古典研究家の守屋淳さんが、『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く対談「ビジネス書として読む『孫子』」。第4回は、プライベート・エクイティのパイオニア、KKRジャパン社長の平野博文さん。実際に投資をしてみて分かる企業の最大の強みは、従業員が一枚岩となってリーダーシップとフォロワーシップを発揮できるかどうか、つまり『孫子』の説く「五事」の中の「道」にあると語る平野さん。その真意とは?

平野博文さん(写真左)と守屋淳さん
平野博文さん(写真左)と守屋淳さん
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「プライベート・エクイティ」のパイオニア

守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) まず、平野さんは現在、KKRアジア副代表およびKKRジャパン社長をお務めですが、KKRがどのような会社で、平野さんがどのようなお仕事をされているか、教えてください。

平野博文・KKRジャパン社長(以下、平野) はい。KKRは、コールバーグ、クラビス、ロバーツという3名が1976年に創業した会社です。今でこそ「プライベート・エクイティ」という言葉が市民権を得ていますが、KKRはこの投資ジャンルを実質的に築き上げたパイオニアと言えます。

守屋 詳しくない方のために、プライベート・エクイティとは何か、一言でご説明いただけますか。

平野 プライベート・エクイティとは、その名の通り、非公開企業の株式(エクイティ)に投資をすることです。例えば、上場企業を非公開化(プライベート化)し、私たちが大株主となって経営陣と一体となり、事業に投資をして企業価値を高めていく、という手法です。

 私たちが日本で事業を始めたときもそうでしたが、この手法は1970年代のアメリカで生まれました。当時、アメリカの大企業は多角化(コングロマリット化)を進めており、例えば食品メーカーが電池事業を持つようなこともありました。私たちはそうした企業に対し、「強みのある本業に集中し、ノンコア(中核ではない)事業は私たちに売却してはいかがですか」と提案しました。これを「カーブアウト」と言います。

 当時の経営者は、自身で事業のポートフォリオを組んでいたのですが、1970年代以降、「ポートフォリオは株式市場の投資家が作るもので、企業は自社の強みに集中すべきだ」という考え方が広まりました。私たちは、企業がノンコア事業を切り出すお手伝いから始め、次第に会社全体を非公開化する支援も行うようになりました。

 KKRの名が世界的に知られるきっかけとなったのが、RJRナビスコという巨大企業の買収です。この案件は『 野蛮な来訪者 RJRナビスコの陥落(上)(下) 』(ブライアン・バロー、ジョン・ヘルヤー著/鈴田敦之訳/パンローリング。リンクは新版)という本にもなり、良くも悪くもプライベート・エクイティという存在を世に知らしめました。

平野博文
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平野博文(ひらの ひろふみ)
KKRアジア副代表、KKRジャパン代表取締役社長
1961年、東京都生まれ。83年、慶応義塾大学文学部卒、旧日興証券入社。2003年、取締役、07年に辞任。アリックスパートナーズ日本代表を経て、13年にKKRジャパン代表取締役社長に就任。

最初は経営者に会うことすら難しかった

守屋 当初は批判的な見方もあったのですね。

平野 ええ。ヨーロッパに進出した際は、ドイツの政治家から「イナゴ(すべてを食い尽くしていく者)のようだ」とまで言われました。2006年に日本へ進出した当初も、経営者の方にお会いすることすら難しい状況でした。

 私がKKRに入社した2013年頃から、ようやく日本の大企業も、事業ポートフォリオを入れ替えるために外部資本を活用するという考え方を受け入れてくださるようになりました。その皮切りとなったのが、パナソニックによるパナソニック ヘルスケア事業の売却です。当時、パナソニックはBtoB事業へ舵(かじ)を切ろうとしており、不得手なヘルスケア事業を得意なプレーヤーに任せたいという意向でした。その後、日立製作所からもいくつかの事業を切り出すお手伝いをさせていただきました。

 日本経済の大きな柱である電機産業と自動車産業では、日立、パナソニック、パイオニア、そして日産からカルソニックカンセイ(現マレリ)への投資を行いました。カルソニックカンセイは日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏の逮捕や新型コロナウイルス禍など予期せぬ事態に見舞われ、大変な苦労をしましたが、私たちのテーマは一貫しています。それは、大企業の子会社にいる方々が、より自由に資本や人事の意思決定を行えるようになり、スポットライトを浴びて輝けるように、自己実現をお手伝いすることです。

守屋 その中で、平野さんはどのような役割を担われているのですか。

平野 私は日本事業の責任者、そしてアジアの副代表を務めています。仕事の半分以上はプライベート・エクイティ関連で、大企業にカーブアウトをご提案したり、アクティビスト対応に時間を費やしている経営者の方に「一度、会社を非公開化して5カ年計画を立て、事業を大きく成長させてから再上場してはいかがですか」といったご相談を申し上げたりしています。

 また、投資は実行して終わりではありません。例えばパナソニック ヘルスケアには、12年たった今も約40%出資する株主です。投資先の経営者の方々と、事業をどう成長させるか、あるいは事業の取捨選択をどうするかを議論し、チームと共にその実行を支援しています。

『論語』の一節に感銘

守屋 そんな平野さんは以前、日本経済新聞の「リーダーの本棚」で、『論語』の言葉に感銘を受けたと述べられていました。どのような経緯で『論語』に出合われたのでしょうか。

平野 少し恥ずかしい話なんですが、日興プリンシパル・インベストメンツの社長を務めていた2006年、日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)で不適切会計問題が起こりました。その責任を取る形で、私を含む経営陣4名が解職されたのです。

 職を失うだけならまだ良かったのですが、その後、旧経営陣は会社から善管注意義務違反で民事訴訟を起こされました。すると不思議なもので、それまで来ていた転職のオファーがすべて無くなってしまったのです。自分が勤めていた会社から、訴状が家に送られてきたときは、精神的にかなり参りました。

 仕事も何もないなか、どうすべきかと思い悩んでいたとき、『論語』の「人知らずして慍(いきどお)らず、また君子ならずや」という言葉に出合いました。「他人が自分を認めてくれなくても、不満に思わない。それこそが徳のある立派な人間ではないか」という意味です。

 これを機に、生活リズムを崩さないためにも、朝7時半から若い人向けのコースがある日中学院に通い始めました。別に若くないんですけど、朝そういうのに行けば、今まで通り出勤する癖も衰えないだろうと思ったんです。日中学院で『論語』を学ぶわけではないんですが、中国語で『論語』を読むと、日本語とトーンが違うので、全然堅苦しくないんですね。そんな感じで学んでいきました。

 また、もともとの『論語』との出合いは、コモンズ投信会長の渋澤健さんと前からつきあいがあって、そのご縁で渋澤さんや守屋さんがメンバーだった「『論語と算盤(そろばん)』読書会」に参加したことです。

 『孫子』の方も、特に西海岸のアメリカの書店とかに行くと『孫子』が並んでいて、スティーブ・ジョブズがどうしたとか書いてあるんです。それで、前々から関心はありましたが、ちょうど守屋さんが書いた本があったので、それで初めて読んでみたんです。

守屋 最初に読まれたとき、どう思われましたか。

平野 最初読んだときは、『孫子』の時代は今と違いますし、現代の企業などの戦略に『孫子』が全部適用できるものではない、と思ったりしました。でも、不思議なもので、最初に読んだときよりも、プライベート・エクイティの仕事を始めて読み直したときのほうが、より心に響いてきたんです。特に、冒頭の「始計篇」に出てくる「五事(道・天・地・将・法)」は、我々が投資分析を行う際のフレームワークと非常によく似ています。

守屋 「五事」というのは、『孫子』のなかで、戦争を考える上で5つの重要な要素としてあげられているものですね。簡単に言えば、「道」とは人々をまとめるための大義や理念、「天」は気象や時間などの条件でものごとを成すタイミング、「地」は地理的な条件、「将」は将軍のレベル、「法」は組織の統制や輜重(しちょう)のことであると、『孫子』には説明されています。

「『五事』というのは、『孫子』のなかで、戦争を考える上で5つの重要な要素」と語る守屋さん
「『五事』というのは、『孫子』のなかで、戦争を考える上で5つの重要な要素」と語る守屋さん
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平野 このうち「天」はマクロ環境、「地」は業界での競争環境であり、「競合がどうなのか」「自分たちの優位性は何なのか」といったビジネススクールで学ぶSWOT分析のようなものですよね。「将」は経営陣の能力、「法」は組織論と解釈できます。そして、その最初に「道」、つまり企業の理念やミッションが置かれていることに、非常に感銘を受けました。

 通常の投資分析って、まずマクロ環境から入ることが多いのですが、実際に投資をしてみて分かるのは、企業の最大の強みは、従業員が一枚岩となってリーダーシップとフォロワーシップを発揮できるかどうか、つまり「道」にあります。

 ものすごく優れた戦略や方向性を考えついたとしても、それは一瞬のこと。「A社とB社がこういうことで競争して、こういう新商品を出し、シェアを取った」とか「こういうアイデアがあった」とかいうのは、ビジネススクールのケーススタディとしては非常に有益です。

 でも、長い間競争力を失わないで、しかも、想定することとは違ったことが起きたときに、その組織が対応できる――言うならばレジリアント(回復力)があるかどうかというのは、役員や従業員一人ひとりが、どれだけやる気になってやれるか、ということだし、まず優秀なCEO(最高経営責任者)がいなければいけない。組織の強さが一番重要というのは、プライベート・エクイティをやっているとすごく感じます。経営を失敗したとか、買い時を間違えたといった、自分の失敗を振り返っても、この「五事」は本当にそうだなと思います。

(後編に続く)

写真/尾関祐治

『最高の戦略教科書 孫子』
『最高の戦略教科書 孫子』
孫子本ブームの火付け役となった“赤本”

読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。

守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)