『最高の戦略教科書 孫子』の著者で中国古典研究家の守屋淳さんが、『孫子』を愛読書に挙げる各界のリーダーにその活用法を聞く対談、「ビジネス書として読む『孫子』」。第5回は、世界11カ国でスキンケア商品を販売するMTコスメティクスの代表取締役、板橋理恵さん。経営環境が悪化し会社をどうしようかと悩んでいた時に、『孫子』に書かれている「勢い」の重要性に気づいたと語る板橋さん。その実践法とは?

板橋理恵さん(写真右)と守屋淳さん
板橋理恵さん(写真右)と守屋淳さん
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試行錯誤を重ねながら化粧品ビジネスをスタート

守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) 板橋さんは、MTコスメティクスの代表取締役をなさっていますが、そもそもどのような会社で、どういうお仕事をされているのか教えてください。

板橋理恵・MTコスメティクス代表取締役(以下、板橋) はい、もう名前の通りコスメティクス、化粧品の会社です。ただし、市販で売られているものではなく、いわゆる「美容の専門家」がいるマーケット、例えば美容クリニック、エステサロンにのみ卸している商品になります。

 私たちがこだわっているのは「結果が出ること」で、エビデンスベースで安全性を重視しながら作っています。「結果が出る」というのは、お客様のお悩みにアドバイスできるということです。例えばシミ、シワ、たるみといったものにアドバイスできるように、どういう成分を、どれぐらいの濃度で、どういうコンビネーションで入れたらいいのか、といったことをPubMed(医学・生物学分野の学術文献データベース)で論文を引いてきて研究しています。そして、社内のラボで処方を作り、何回もテストをして安全性を確認してから出しています。

板橋理恵
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板橋理恵(いたばし・りえ)
MTコスメティクス代表取締役
立教大学法学部を卒業後、アメリカの大手旅行代理店でツアー企画業務に従事。その後、ハワイでのサプリメントストアの買収を経て、2005年にMTコスメティクス株式会社を設立。開発した化粧品は国内外の女性誌で数々の賞を受賞し、これまでに6500軒以上の美容クリニックやエステで使用されている。著書に『 綺麗と算盤(そろばん) 』(日経BP)がある。

守屋 なるほど、それまではそうしたカテゴリーの商品はなかったのですか。

板橋 そうですね。コスメシューティカル、つまり、ただ保湿するだけでなく、様々なお肌悩みに関するニーズに応える商品が出始めたのが2000年前後からです。日本では、シロノクリニックの城野親德先生がいち早く1990年代後半に着手なさっていて、当時はドクターが監修するというのがすごく多かったですね。

守屋 そもそも、なぜこの会社をつくろうと思われたのですか。

板橋 実は、この会社は私にとって2社目なんです。1社目はサプリメントの通販会社でした。アメリカのサプリメントを個人輸入という形で日本のお客様に販売していたんです。最初はハワイにオフィスがあったのですが、物流が多くなったのでロサンゼルスに引っ越して、そこから日本のお客様に送るというビジネスをしていました。

 そんなことをやっているうちに、ビタミンCを贅沢に配合した、アメリカでは美容クリニックやエステでしか販売していない「セレックスC」という化粧品を扱えないか、という話が来たんです。

 その頃、2000年の初頭ぐらいにアメリカで「ドクターズコスメ」というのが台頭してきました。お医者様が監修したり、クリニックで取り扱われたりする化粧品です。実は、その化粧品の成分には、サプリメントにも使われている成分というものが結構あったんです。それで、サプリメントメーカーもこぞって、いわゆる機能性の化粧品を扱い出しました。

 「セレックスC」は、私たちが販売代理店になることができたのですが、当時、私たちはアメリカに店舗があったので、どういう化粧品が美容クリニックで受けているか、という情報がすごく入ってきやすかったんです。

 その頃、アメリカの当時イェール大学の皮膚科の助教授だったペリコーン博士が処方した化粧品がすごくはやっていました。エビデンスもしっかりしていて、サプリメントメーカーなどもこぞって出してました。「次はこれだ」と、最初はそれを輸入販売しようと思ったんですが、価格交渉がうまくいかなくて。「これじゃ日本で売れないよ」と言ったら、「日本では高く売ればいいじゃん」とか言われて(笑)。

 そういうわけにもいかないし、どうしてもうまくいかなかったので、「だったらもう自分たちで作ろうか」となりまして。それが2004年ですね。試行錯誤しながら作ったところから、この化粧品ビジネスがスタートしました。

人生はいくつからでも書き換え可能

守屋 そんな板橋さんは、日経BPから『綺麗と算盤』を出版されましたが、このタイトルは「論語と算盤」が元ネタだと拝察します。この本を書かれたきっかけと、本の中で、どのようなことを読者に伝えたかったかを教えてください。

「板橋さんは、本当に幅のある人生を送られているんですね」と語る守屋さん
「板橋さんは、本当に幅のある人生を送られているんですね」と語る守屋さん
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板橋 「綺麗と算盤」というタイトルにしたのは、渋沢栄一氏の『論語と算盤』の精神を、私の経営実践、生き方に重ねたかったからです。

 「経済と道徳は本来一体であり、どちらか一方が欠けてはならない」という考え方とか、誠実に努力を積み重ねて、自助の力で運命を切り拓くこと。それに、成果の大小よりも「人としてどう生きたか」を尺度にすること。さらに、学問の研鑽(けんさん)と社会への貢献を通じて“文明の老人”たる成熟に至ること――などなど、とても深く感銘を受け、その理念を私の経営と生き方の中核に据えたいとの思いです。

 本の中で伝えたかったのは、私の経験が少しでも皆さんのヒントや励みになれば、ということです。私自身、若い頃は道に迷って、壁にぶち当たったり、入った学校や会社をすぐ辞めてしまったりしていました。そんな中でも、人生はいくつからでも書き換え可能だ、ということをお伝えできればと思いました。

『綺麗と算盤』(板橋理恵著/日経BP/2025年7月)。20代の無職から始まり、30代のハワイでの起業、40代のドクターズコスメの開発、50代の乳がんとの闘い、そして年商23億円への事業成長――。波乱に満ちた生涯と挑戦の記録。画像クリックでAmazonページへ
『綺麗と算盤』(板橋理恵著/日経BP/2025年7月)。20代の無職から始まり、30代のハワイでの起業、40代のドクターズコスメの開発、50代の乳がんとの闘い、そして年商23億円への事業成長――。波乱に満ちた生涯と挑戦の記録。画像クリックでAmazonページへ

守屋 本を読ませていただいて、本当に幅のある人生を送られているなと思いました。『孟子』という古典にも、「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ず先ずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、行うことその為さんとするところに払乱(ふつらん)せしむ(天が、その人に重大な仕事をまかせようとする場合には、必ずまず精神的にも肉体的にも苦しみを与えてどん底の生活に突き落とし、なにごとにも思い通りにならないような試練を与えるのである)」という有名な教えがあって、障害や修羅場があってこそ、人は大きく成長できると指摘しています。この意味で、板橋さんにとって、これまでの人生で一番大きな「障害」や「修羅場」は何でしたか。

板橋 いっぱいあったんですけど…。まず初年度で2000万円の赤字を出したことですね。最初からつまずいちゃったなと。あとは、勉強になったなと思うのは、アメリカでの労使裁判です。

 私たちの会社は日系だったので日系人のスタッフが多かったのですが、私はリスク管理について、日本と同じようなやり方で仕事をしていました。でもアメリカには、例えば「4時間働いたら10分の休憩時間をあげなければいけない」といった法律があるので、休憩時間をちゃんと取らせたか、タイムクロックで管理しておけばよかったのです。

 私はそんなことを知らなかったので、出勤時にパンチイン、退勤時にパンチアウト、というだけでした。そうしたら「休憩時間を取っていない」とか「名ばかりマネージャーだ」といった形で訴えられたのです。しかもアメリカには、会社を訴えて和解金をもらい、そのコミッションで稼ぐ、というビジネスモデルの弁護士さんがたくさんいるんですね。そういう弁護士さんと従業員がつながってしまって、こちらの反論できない部分を突いてきたんです。

 周りの従業員に証人になってもらえば裁判でも勝てるのでは、と相談したら、「証拠的には100%勝てるとしても、裁判に行くと企業は負けます」と言われて。陪審員制度なので、どうしても「従業員=弱い者」「会社=悪い者」という構図になりがちなんです。

守屋 ひどい話ですね。

板橋 参ってしまったのが、アメリカって裁判で「神に誓って嘘は言いません」と宣誓をするんですけれども、実際は嘘を言いまくりなんですよ、みんな。悔しいので裁判にもっていきたかったんですけど、「弁護士費用だけ増えて負けてお金を支払う羽目になるし、弁護士費用を1500万ぐらい余計に払うことになるから、やめたほうがいい」と言われて、諦めました。それで、和解金を何千万か払ったのですが、その半分ぐらいを、弁護士さんが持っていっているようでした。

 今のようにオンラインミーティングがなかったので、2泊4日とかでいちいちアメリカに行って、弁護士さんとミーティングしたりで、体力的にもそれは大変でした。他の国の裁判なんて右も左も分からないし、書面が全部英語で、今みたいに翻訳ソフトとかもろくになかったですしね…。

戦いで勝つためには組織が勢いに乗る

守屋 大変な苦労をされたんですね。でも『孟子』の教えではありませんが、それを乗り越えて会社を立派に育て上げたのは、本当に素晴らしいと思います。そんな板橋さんが、『孫子』を最初に読んだきっかけと、その時の感想を教えていただけますか。

板橋 私、学生時代は本当にはみだしっ子で成績も悪くて、大学受験は世界史で受けたんですけど、世界史の中でも中国がまったく苦手で、中国の勉強は捨ててたんです(笑)。なので、会社を始めた頃に読んでいたのは、ドラッカーとか、稲盛和夫さんの本ばかりでした。

 50代を過ぎてから、リーダーシップには中国古典も必要で読んだほうがいいと思いながらも、ちょっと漢文にアレルギーがあったので、最初は漫画で読んだくらいでした。本格的に学び始めたのは、守屋さんの『貞観政要』をテ-マにしたセミナーがきっかけです。

守屋 ドラッカーや稲盛さんの本も、経営の役に立つ素晴らしい教えが書いてあると思うのですが、飽き足りなくなったのには何か理由があるのでしょうか?

板橋 いろいろな経営者の本を読んでいるうちに、その源流に中国古典があることに気づいたんです。稲盛さんがおっしゃっていることも、中国古典から来ているんじゃないか、と感じることがたくさんあって。もっと早く読めばよかったな、と今では思っています。

守屋 教えの源流を知りたくなったということなんですね。板橋さんが最初に『孫子』を読んだ時はどう思われましたか。

板橋 ちゃんと学び始めたのは2023年で、ちょうど中国事業が落ち込んでしまった時期でした。2023年8月に福島第一原子力発電所の処理水の海洋放出が始まって、それまで順調だった越境ECが「日本のものは買いません」という状況になり、その後、中国の不景気も重なりました。30億円近くあった売り上げが23億円まで落ち込んでしまって、会社をどうしようかと悩んでいた時に『孫子』を学んだのです。

 それで、組織をどうにかしなければと思い、『孫子』に書かれている「勢い」の重要性、「激水の石を漂わすに至るは、勢いなり(せき止められた水が激しい流れとなって岩を押し流すのは、流れに勢いがあるからである)」「善く戦う者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず(戦上手は、なによりもまず勢いに乗ることを重視し、一人ひとりの働きに過度の期待をかけない)」といった言葉を参考に、社内を勢いづけるにはどうすればいいか、と考えました。

 まずは企業理念やミッション、ビジョンをもう一度見直し、それを社内に浸透させて、みんなの向かう方向(北極星)をはっきりさせました。そして、評価制度や職階制度を分かりやすく整備しました。本当に、人事組織を見直す上で孫子の教えを活用させていただきました。

守屋 『孫子』は、戦いで勝つために組織が勢いに乗ることをとても重視しました。勢いの乗り方って、「組織を絶体絶命の窮地に陥れる」とか「プラスのフィードバックを膨らませる」とか、いろいろあると思うのですが、板橋さんは、「道とは、民をして上と意を同じくせしむるなり(道とは、国民と君主を一心同体にさせる理念)」という『孫子』始計篇の教えを使って、企業理念やミッション、ビジョンを浸透させることで、組織に勢いをつけようとしたんですね。その新しい企業理念を浸透させるために、具体的にやられたことは何かありますか。

板橋 企業理念と行動指針を書いたカードを作りました。あとは、みんなのPCの壁紙を行動指針にしています(笑)。作業していると、画面が行動指針になるんです。

守屋 なるほど、無意識にすり込むには良い方法ですね。

板橋 はい。あとは会議のやり方も変えて、ディスカッションを多くしました。自分たちの仕事が企業理念にどう役立っているのか、どういう役割を担っているのかを考えてもらうようにしています。

(後編に続く)

写真/尾関祐治

「こう考えれば、愉快に働ける。あなたにとって最適な場所も方法も必ずある」

学校嫌い、勉強嫌い、転職、無職を経て、30代から2つの起業を果たしたMTコスメティクス創業者の板橋理恵さん。時に泣け、時に笑える、その意外な半生から導き出される、「自分らしさの理解」「目標の立て方」「起業の心得」などノウハウ満載のユニークな自伝。

板橋理恵著/日経BP/1980円(税込み)
孫子本ブームの火付け役となった“赤本”

読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。

守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)