『孫子』の中で最も好きな一節は「彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず(敵を知り、己を知るならば、絶対に敗れる気づかいはない)」と語るMTコスメティクス代表取締役の板橋理恵さん。ビジネスはタイミングと情報キャッチが成功の秘訣だという。『孫子』を愛読書に挙げる各界のリーダーにその活用法を聞く「ビジネス書として読む『孫子』」第5回後編。「戦わずして勝つ」方法とは?
『孫子』が説くタイミングと情報キャッチ
守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) 『孫子』の教えの中で、板橋さんが一番お好きな言葉は何ですか。
板橋理恵・MTコスメティクス代表取締役(以下、板橋) 有名過ぎるんですけど、基本の、「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず(敵を知り、己を知るならば、絶対に敗れる気づかいはない)」ですね。今振り返ると、新しく立ち上げて失敗した事業は、やっぱり情報不足で見切り発車してしまったからだな、と反省します。あとは、「百戦百勝は善の善なるものに非(あら)ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり(百回戦って百回勝ったとしてもそれは最善の策とは言えない。戦わないで敵を屈服させることこそが最善の策なのだ)」。いわゆる「戦わずして勝つ」です。消耗戦をしないところは、うまくいっています。
MTコスメティクス代表取締役
守屋 ビジネスって、そうそう新しい発想って出ないし、奇をてらったものって失敗しやすいので、みな似たようなところに目が行きがちになると思います。そうすると、結局、価格競争といった消耗戦になってしまったりするのですが、そうならない目の付けどころって、何かコツはあるのでしょうか。
板橋 タイミングと情報キャッチではないでしょうか。最初の通販会社を始めた時もそうでしたが、アメリカのサプリメント通販なんて、当時は、やっている会社がほとんどなかったんです。
守屋 なぜそこに目を付けられたのですか。
板橋 さかのぼると私、旅行会社のアメリカ部で働いていて、よくアメリカに行っていました。アメリカのスーパーとかで、「あのボトルは何なんだろう」とか、「専門店もある。でも日本にはないな」と思っていたところ、たまたまうちの親が滞在していたコンドミニアムの1階にサプリメント専門店があったんです。ラッキーなことに店長が日系3世で、日本語ができたので、「これ何、これ何」って聞いて、全部説明してもらったんです。
それと、ハワイのおみやげ屋さんでサプリを売ってるところがあって、日本で3万円のプロポリスが、アメリカでは1000円みたいな感じで、おみやげ屋さんが大成功していたんです。日本に帰ってからも、そのおみやげ屋さんは電話とかファクスで注文を受け付けて、リピート戦略もうまくいってるのを見て、これは、本格的にやればうまくいくんじゃないかと思ったんですね。
守屋 当時、日本にはなかったものへの興味が、情報キャッチにつながったんですね。
板橋 そうですね。あとは、当時のそれらのおみやげ屋さんでは、サプリメントについてちゃんと説明できる人がいなかったり、いいかげんな情報を流していたりしたので、これは正しい情報を発信していかなければ、と思ったのもあります。
守屋 そうして他の人がやっていないことをやることで「戦わない」状況をつくったわけですが、成功をすると、どうしてもまねをする競合も出てきますよね。その場合はどうされたのですか。
板橋 それが2015年のM&A(合併・買収)による事業売却につながります。2016年のトランプとヒラリーが争った大統領選挙の時、最初はヒラリー優勢と言われていました。ヒラリーはTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に加入すると言っていたので、そうすると、我々の隙間商売が成り立たなくなるな、と。
例えば、日本で商売用に輸入するには、食品添加物として使えるもの、使えないものがあります。中には、アメリカでは一般的に幅広く使用されている安全な成分なのに、日本では充填剤などの問題で使用できないものがありました。でも個人輸入だと、個人の使用ということで送れるんですよ。
TPPでそうした輸出入の障壁がなくなって企業でも輸入が容易になったら、面白くないなと思ったことと、やっぱりこのビジネススタイルは、ある程度、日本語で情報が出回ればやりやすくなるので、参入してくる業者が増えます。すると、今度はもう価格競争なんですね。
2015年に、ちょうど会社を買いたいっていう方がいたので、私たちもメーカーとしてやっていくほうが自分たちの実力を発揮できるというところで、化粧品の会社一本にしていく選択をして手放しました。
守屋 消耗戦になる前に、うまく逃げたんですね。
板橋 逃げました。
「三鏡の教え」から部下が話しやすい環境をつくる
守屋 前編 「板橋理恵 組織づくりで『孫子』が説く「勢い」の重要性に気づいた」 で、ドラッカーや稲盛和夫さんからの流れで、中国古典を読むようになったとおっしゃっていましたが、『孫子』のほかに板橋さんが影響を受けた中国古典や、そこからの学びは何かありますか。
板橋 『貞観政要』で唐王朝の第二代皇帝・太宗(李世民)が言った、「夫(そ)れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可(べ)し(銅を鏡にすれば、衣服や冠の乱れを正すことができる)。古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し(歴史を鏡にすれば、治乱興亡を知ることができる)。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し(人を鏡にすれば、自分の優れている点と良くない点を知ることができる)。朕常に此(こ)の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ(私は常にこの三つの鏡を持つことで、自分の過ちを防いでいる)」という「三鏡(さんきょう)の教え」です。
例えば「銅の鏡」「人の鏡」でいえば、忙しいとどうも顔に出てしまったりしますが、なるべく従業員の顔を見たりして、部下がものを言いにくい雰囲気はつくらないようにしています。相談してくれない、情報が上がってこないのが一番困るので。
守屋 『貞観政要』には諫言(かんげん)役がたくさん出てきますが、板橋さんにも、諫言役はいらっしゃるんですか。
板橋 役員や部長、次長クラスでも、いろいろ気がついたこととか、「こっちのほうがいいんじゃないですか」みたいなことを言ってもらえる環境にはあるかと思います。言いやすい雰囲気をつくっているつもりですので。それでもたまに、開けてびっくりみたいなこともあります。だから、こちらから情報や意見を取りにいくことももっと積極的にやっていかなきゃダメだなって、ちょっと反省しました。
『論語と算盤』が座右の書
守屋 最後に、板橋さんの座右の書を教えてください。
板橋 『綺麗と算盤』という本を出したので、ここで守屋さんが訳された『 詳解全訳 論語と算盤 』(渋沢栄一著/守屋淳訳/筑摩書房)を挙げないと怒られると思うんですけど(笑)。でも本当に、渋沢栄一の『論語と算盤』ですね。経済活動には道徳が必要だということ、稲盛さんが言う「利他の心」を、この本を読んで改めて実感します。
守屋 そんな、怒ったりなんてもちろんありませんので、ぜひ別の本もお願いします(笑)。
板橋 何冊か挙げますと、まず『 THE HEART OF BUSINESS(ハート・オブ・ビジネス) 「人とパーパス」を本気で大切にする新時代のリーダーシップ 』(ユベール・ジョリー、キャロライン・ランバート著/樋口武志訳/英治出版)。アメリカはそれまで、会社は株主のものという風潮が強かったのですが、それをすべてのステークホルダー、特に従業員を大切にするという形にして、家電量販店「ベストバイ」をV字回復させたCEO(最高経営責任者)が書いた本です。組織を勢いづけるのも人、組織を壊すのも人、じゃあどうしたらいい組織になるのかなっていう点で、すごく勉強になりました。
それから『 ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 』(川村隆著/KADOKAWA)。この本にも働き方や、修羅場を乗り越えることの大切さが書かれていて、ちょうど会社をどうしようかと悩んでいた時期に読んだのですごく勉強になりました。結局、どの本も「人」に行き着くな、と思いますね。
守屋 まさしく「ラストマン」というのは、修羅場で最後に踏ん張る人の話ですからね。
板橋 私もオーナー企業なので逃げられないんですよ。会社が潰れたら個人保証をしているので、私も終わるんです(笑)。でも、その修羅場を越えてきて、ずいぶん成長できたなという実感はあります。苦労は越えるべきだな、と思います。
守屋 私が講師をしている大企業の幹部研修と中小企業の社長さん向けの研修で、何が一番違うかといえば、中小企業の社長さんには胆力がない人はいない、という点です。逃げられないから、胆力が身に付くんですよね。大企業の人は、人に押し付けるとか、見て見ぬふりをしてすますといった手で、意外と逃げられちゃう。もちろん大企業にも胆力がある魅力的な人はたくさんいますが、修羅場を越えてきた中小企業の社長さんには、独特のすごみがあると感じています。本人が戦い続けている人だから。
板橋 大企業出身の方は、自分で決めるの、お好きじゃないな、みたいに感じる時があります。私が責任取るからいいよって言っても、動いてくれなかったりします。
守屋 そういう場合はどうしているのですか。
板橋 会社員を長くやってらっしゃると上の人には弱いので、私が責任取るからいいよじゃなくて、「いついつまでに、やりなさい」と言ってます。
守屋 なるほど、ちゃんと人を見て、うまく使い分けてるんですね。ありがとうございました。
写真/尾関祐治
学校嫌い、勉強嫌い、転職、無職を経て、30代から2つの起業を果たしたMTコスメティクス創業者の板橋理恵さん。時に泣け、時に笑える、その意外な半生から導き出される、「自分らしさの理解」「目標の立て方」「起業の心得」などノウハウ満載のユニークな自伝。
板橋理恵著/日経BP/1980円(税込み)
読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。
守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)





