『最高の戦略教科書 孫子』の著者で中国古典研究家の守屋淳さんが、『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く対談「ビジネス書として読む『孫子』」。第6回は、日本で初めてがん保険を提供したアフラック生命保険代表取締役会長、チャールズ・レイクさん。日米の架け橋になりたいと仕事を続けてきたレイク会長が大切にしてきた言葉は「至誠志楽(しせいしらく)」。その意味とは?
子供の頃から日本と米国の架け橋になりたかった
守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) レイクさんは、アフラックの経営者としての仕事はもちろん、これまで米大統領府通商代表部日本部長や、東証プライム市場における複数の上場企業の独立社外取締役を歴任されています。まず、こうしたキャリアを通じて、何を大切にしてこられたのか教えてください。
チャールズ・レイク・アフラック生命保険代表取締役会長(以下、レイク) 大切にしてきたものを言葉で表せば「至誠志楽(しせいしらく)」という四字熟語になります。これは私が作った四字熟語ですが、元になったのは母の言葉です。私の母は日本人ですが、私がロースクールを卒業した時に「志楽」と書いた色紙を贈ってくれました。「志」を「楽しむ」で「志楽」です。
アフラック生命保険株式会社 代表取締役会長、アフラック・インターナショナル 取締役社長
色紙には他にも「昨日の吾れに今日は勝つべし」と書いてあります。母は1996年に他界してしまったので、この色紙の意味についてゆっくり話を聞く機会はありませんでしたが、私は、「志を持ち、日々鍛錬を重ねて順境も逆境も楽しむ」ことだと解釈しています。
そして「志を持つ」という意味では、私は半分日本人、半分米国人であり、家族との関わりや、子供の頃からの経験の中から、たとえ小さな形であっても「我、太平洋の架け橋とならん」と思ってきました。これは新渡戸稲造先生の言葉でもあります。
例えば米国通商代表部で日本部長の職に就き、米国政府を代表して交渉する立場にあっても、やはり日米両国のWin-Winを考え課題解決をする努力をしていました。自分が掲げた「架け橋になる」という志からすれば、たとえ厳しい交渉であってもお互いにWinを実現することで、初めて良い合意ができると信じて交渉に臨みました。自国の利益になることだけを伝えて、一方的な交渉をする人もいるかもしれませんが、そのようなスタンスで合意をしても実効性も持続性も確保されないと考えました。その根幹には、「至誠志楽」の考え方があったのだと思います。
そして「至誠」についてですが、極めて誠実であること、道理正しく高い倫理観を持って行動することだと考えています。どのような役職であっても、特にリーダーは「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige):高貴な身分に伴う義務」があり、「至誠」が求められる。自戒の念も込めてお話ししますが、組織のリーダーである者は、誠実でありその立場にふさわしい徳の修養に努めなければいけない。これは困難なことなので、その役割をまっとうするためには鍛錬が必要になります。そうしたことを総括して、「至誠志楽」を絶えず自分が大事にする言葉としてきました。
日米経済交渉の最前線で
守屋 米国通商代表部日本部長をされていたときは、日本側と、どのような交渉をされていたのですか。
レイク 私が米国通商代表部で仕事をしたのは1989年から1994年ですが、ちょうど日米構造協議(SII)や世界貿易機関(WTO)の設立交渉が行われていた時代でした。
外交官になることも考えましたが、1970年代後半から1980年代に青年期を迎えた私は、日米経済摩擦の真っただ中に大人になりました。チャレンジングな交渉は経済分野なのだと考え、ロースクールもあえてワシントンD.C.の大学院を選び弁護士の資格を取る勉強をしました。経済分野の日米交渉に携わることを通じて日米関係の発展に貢献したいと考えたのです。
その時代の安全保障がチャレンジングではなかったとは考えませんが、ベルリンの壁崩壊も1989年、冷戦は終焉を迎え経済を中心に新しい世界秩序が形成されようとしていた時代です。そして、経済分野では「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるほど日本には勢いがありました。一方で様々な産業で競争力が低下していた米国を懸念する政策関係者や政治家の圧力を受けて経済交渉が行われていました。そうした状況を見て、チャレンジングだからこそ自分が貢献できる仕事があるのではないかと考えました。
守屋 ある種、火中の栗を拾いに行かれたということですね。
レイク そうですね。あえて自分で拾いに行く、そこまで覚悟を決めていたわけではなかったかもしれませんが、面白そうでやりがいがあるとは思っていたのかもしれません。摩擦の根底には明確な誤解もあるように見えましたし、もっとWin-Winを実現することができるのではないか、と。これは、後でご質問いただくであろう「孫子との出会い」とも関係します。
アフラックへの入社と経営者への道
守屋 そんなレイクさんが、なぜアフラックというがん保険の会社に入社されたのですか。
レイク 米国政府を退官した後、ワシントンD.C.の弁護士事務所に勤めていました。様々なクライアントと出会いましたが、その一つにアフラックがあり、顧問弁護士も担当していました。1990年代後半は、日本で金融行政が大きく変わろうとしていた時代です。大蔵省が再編され、金融監督庁(現・金融庁)が発足したタイミングで、日本におけるガバナンスやコンプライアンス態勢を強化するというミッションを得て、アフラックの日本における社内弁護士第1号および執行役員として1999年に入社し、その後、経営陣の一員として代表権を持つ立場で20年以上活動してきました。
守屋 弁護士さんの仕事よりも、アフラックでの経営の仕事のほうが面白くなった、ということでしょうか。
レイク いえ。これは、まさに軍師の研究をなさっている守屋さんならお分かりいただけると思いますが、法律顧問の仕事は法務案件について単に技術的なアドバイスをするだけでなく、もっと大きな意味で、ガバナンスも含めて助言をする、「信頼される助言者」であることが、社内弁護士の本懐です。米国では「ジェネラル・カウンセル」という役職にあたります。
日本に来た時、当時の会長と社長は、ともに日本における創業者でした。そんなお2人に対して、私は独立性が高い社内弁護士の立場で事実をしっかり見極めた上で、法規制的な観点だけでなく、大局観に基づく助言をする努力をしていました。社内外の不都合な真実も含めて客観的な事実の分析と解決策を提示し、「いかがでしょうか」と。経営上の決断は最終的には社長による判断ですが、自分ができるベストアドバイスを提供する努力をしていました。
そのような数年間を過ごしていたら、「お前が社長になれ」ということになりました。社長になるつもりで日本に来たわけではなかったので、打診を受けた時はまったくその気はないとお伝えしたのですが、「だからこそだ」と言われました。経営者のほうが面白そうだと思って社長になりたかったわけではありません。
しかし、先ほどお話しした「至誠志楽」の意味では、アフラックがさらに発展するように、この新たな立場で覚悟を持って事と向き合い、後に後悔しないように職責をまっとうしようとは考えました。
守屋 「だからこそだ」という言葉のニュアンスをもう少し教えてください。
レイク アフラックには優秀な役員がたくさんいましたが、創業者のお2人に対して意見することに消極的になってしまう場面もあり、そうした局面では私が「説明に一緒に行きましょう」と背中を押していました。たとえその案件が、創業者が過去に企画した取り組みだとしても、「状況は過去と比較すると変わっており実態はこうなので、変革が必要です」と。創業者のお2人には、しっかりと話せば絶対に分かっていただけると考えていました。
日米交渉の経験もあって、そのようなことをごく普通なことと考え恐れずに行動していましたので、社長を狙っている役員の行動パターンには見えなかったのではないでしょうか。ただ、その姿勢や課題解決に向けた取り組み方を見て、どう考えても経営者としての経験はまだ不十分にせよ、「だからこそ、お前なのだ」という言葉で変革をリードする役割を果たしてほしいと託されたのだと思います。
後でよく分かりましたが、法律顧問の時代は自信満々に仕事をして事実関係の認定や論点整理に基づく助言をしていたのですが、経営者になった立場での経営判断はまた別のものです。経営者の立場になると、本当にいろいろな観点で悩むわけです。今でも創業者の期待に応えられるように修養に日々努めています。
ステークホルダー資本主義の日米比較
守屋 今のお話を少し広げますと、今でこそ米国の会社も「すべてのステークホルダーのために」と言いますが、少し前までは「会社は株主のためのもの」とはっきり言う社長が多数でした。同じ時期、日本の社長に「会社は誰のためのものですか」と聞くと、「みんなのためのもの」、あるいは株主には「株主のため」、従業員には「従業員のため」、顧客には「顧客のため」と、使い分けをしていました。
両方とも一長一短あると私は考えています。日本は、渋沢栄一の『論語と算盤』という両立させる言葉からも分かるように、全部を尊重しながら何とかしていこう、というタイプ。一方、米国はスッキリと一本、本質を立てて、それに従って経営する。この違いについて、レイクさんはどうお考えですか。
レイク 守屋さんがおっしゃったように、「社員のために会社がある」と言っていた日本企業の経営者が、実際にはグローバル競争に負けてしまい、社員のためにならない経営をしていたのであれば、「本当に社員のために経営していたのか」と問われなければならないと考えます。同じように、米国で「株主のために」と言いながらお客様の期待に応えないことは、最終的に持続可能な事業の成長や中長期的な企業価値の向上にはつながりません。
今、米国や欧州でステークホルダー資本主義が議論されながらも、振り子の原理も働いていますから、今後、米国の資本主義の姿も変わっていくでしょう。資本主義の姿も経営の現実も複雑です。単純に「米国企業はこうで、日本企業はこうだ」とはなかなかならず、両国に様々な企業の姿がある、ということだと思います。
そういう意味でユニークだと考えるのは、アフラックという会社です。アフラックは米国ジョージア州のコロンバスという小さな町でエイモス家3人兄弟が1955年に創業した会社ですが、今も創業家の2世代目であるダン・エイモスがCEO(最高経営責任者)を務め、ニューヨーク株式市場に上場しています。保険業では長期的な経営が必須なので、その点もあるとは思いますが、もし株主至上主義で経営していたら、今のアフラックの発展はなかったと考えます。
お客様である契約者の信頼に応え、業務の健全性を維持し、発展していく。そうすることで持続的に成長し、さらに企業価値が向上することで最終的には株主の期待にも応えられる。アフラックの米国のCEOはこうした哲学を持っています。実際に、ニューヨーク証券取引所に上場している持株会社であるアフラック・インコーポレーテッドは2025年、43年間連続の増配を達成しており、S&Pが選定する「S&P500配当貴族指数」にも選ばれています。
つまり、お客様である契約者の負託に応え、財務の健全性を維持した経営を行う。そして社員については、コアバリューである「人財を大切にすれば、人財が効果的に業務を成し遂げる(If you take care of the people, people will take care of the business.)」という創業家の言葉に基づき人的資本戦略を展開する。米国でもそうした経営を続けていけば、配当貴族銘柄にもなれるということですから、米国企業がすべて株主至上主義で経営を行っているわけではない、という実例がここにあります。
米国のアフラックはそのような会社ですので、日本市場でも、『論語と算盤』の考え方を実践する経営を支援してもらえるのだと思います。経営は、短期的な株主の利益だけを考えて業務をしても成功しない。同時に、株主を軽視して利益率が低く企業価値の向上につながらないガバナンスをしていても成功しません。こうした意味で、『論語と算盤』の考え方は、普遍的な原理原則を提示していると思いますし、それを日本から発信していくことも重要だと思います。
バブル崩壊前には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として日本型経営が研究されましたが、その後「失われた30年」と言われるようになり、皆違う方向へ行きました。しかし、世界的な課題、例えば地球温暖化に向き合うとしても、あるいは社員のエンゲージメントを高め、人財が働きがいを感じて仕事ができる企業とはどういう環境を提供している会社なのかと考えた時に、その答えは古今東西を問わず同じなのだと考えます。その判断軸を『論語』に求めるのか、自社の存在意義(パーパス)や価値観、倫理観として整理するのか、その違いはあるかもしれませんが、根本は同じなのではないでしょうか。
そして、日本での成功につながる価値観は、世界で通用する価値観として普遍性があるはずです。グローバル企業として成功するために、日本の良いものを捨てる必要はまったくありません。ただ、その価値観を普遍的なものとして説明する上で重要なのは、日本は「コンテクスト(文脈)」のコミュニケーション文化である一方、特に米国では言葉ではっきり言わなければ伝わらないということです。
グローバル企業としてコアバリュー(基本的な価値観)やパーパスを明確にして、大切にしていることを言語化し、透明性を確保する必要があります。「三方よし」と言っても欧米の人財には伝わりません。英訳された『論語と算盤』を読んでも分からないかもしれない。しかし、それを自社ならではの具体的な言葉で定義し、戦略と完全にマッチさせ実践することで、世界に通用させることができる。経営戦略の実行性・実効性を確保する上でも大事なことだと考えます。もっとも、渋沢栄一がもっと世界に知られていけば、必然的に『論語と算盤』の考え方だと言えば理解される日が来るのかもしれません。
(後編に続く)
写真/尾関祐治
読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。
守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)





