「経営の至るところで『孫子』の教えが実践されている」と語るアフラック生命保険代表取締役会長のチャールズ・レイクさん。がん保険・医療保険の保有契約件数でナンバーワンであり続けているのは、「選択と集中」をした上で、絶えずデザイン思考で機動的に動いているからだという。『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く「ビジネス書として読む『孫子』」第6回後編。
古典に引かれる理由
守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) レイクさんのご著書を読ませていただくと、『孫子』はもとより、近江商人、渋沢栄一、五輪書、そして武士道の言葉にも言及されていて、すごく古典に精通されていると感じました。人によっては「古臭い」の一言で片づけてしまいそうな古典的な教えに、なぜ興味を持たれたのでしょうか。
チャールズ・レイク・アフラック生命保険代表取締役会長(以下、レイク) 私は、米国サウスカロライナ州で生まれたのですが、3~15歳まで東京で育ち小・中学校まで日本の義務教育を受けました。父は米国人で母は日本人です。親戚も両国におり、両国の歴史や文化に直接触れながらその違いを考えざるを得ない環境で育ちました。アイデンティティーに悩んだことはありませんが、両国の血が流れていることだけでなく、日米両国に誇りを持ち祖国として愛する気持ちを持つように育てられました。
高校からハワイに移り、カトリック系の私立高校を卒業し、ハワイ州立大学で政治学とアジア研究の2つの学士を取りました。アジア研究では、特に中国と日本を選択して集中的に勉強しました。日本をより深く理解するためにも中国を研究する必要があると考えました。
その頃のハワイ大学では、中国史は、中国系米国人の先生が米国における中国史研究の第一人者であるジョン・フェアバンク教授の教科書を、日本史は、日系米国人の先生が、駐日大使も務めたエドウィン・ライシャワー教授の教科書を用いて教えていました。私は、日本の大学で使われていた歴史書も読んでいたので、これらの国々を巻き込む同じ歴史事実でもそれぞれの視点の違いで受け止め方がここまで変わるのかと興味深く比較しながら勉強をしていました。
中国史では、『孫子』が必然的に大きな話題になります。最初に読んだのは有名なライオネル・ジャイルズの英訳でした。たしか『孫子』とマキャベリの『君主論』を比較した論文を書いた記憶があります。他の授業でも、日本と米国を比較したり、欧米の歴史思想と日本の歴史思想を比較したりするということに興味を持っていたと思います。米国と日本、2つの祖国のことをもっと知りたかったのだと思います。
大学生の頃からもそうでしたので、東京大学大学院に留学した際も、日本の政策形成について日米比較の視点で研究をしました。そのように勉強していると、欧米諸国とアジア、中国と日本、それぞれにおいて異なる歴史観や史実の解釈があることが当然見えてくるのですが、同時に世界のどの国でも普遍的な正論として受け止められていることがあります。すると、難題の解決策が、すでに古典にあることが分かる。
約2500年前に書かれた『孫子』がいかに有意義な原理原則を提示しているかは、誰であっても読んだ瞬間に分かることです。私も大学の頃からそのように考えていました。古典が読み継がれている理由は、時代背景の違いを超えた教えがあるからであり、古臭いと考えたことはないですね。
アフラック生命保険株式会社 代表取締役会長、アフラック・インターナショナル 取締役社長
『論語と算盤』との出会い
守屋 一方、『論語と算盤』もご著書の中でかなり出てきますが、これを読まれたきっかけは何だったのでしょうか。
レイク 私が法律家としてアフラックに入社した後、経営については日本事業の創業者のお2人から本当に様々なことを教えていただきました。それは、アフラックは日本での創業以来、「三方よし」の考え方でビジネスをしてきたということです。自分でも勉強をしてみると、「三方よし」の考え方は江戸時代の近江商人の活動から生まれたものです。そして、明治維新を経て、日本の資本主義のあるべき姿に関して多くの重要な言葉を残したのが渋沢栄一だと知りました。
維新の指導者たちは、欧米の資本主義を単純に持ってくるのではなく、日本独自のものとしてつくり上げようと考えていました。その根底には、明治維新を実現した武士たちが学んでいた『論語』があり、最終的に『論語と算盤』としてまとめられていきます。近江商人だけでなく、江戸の倫理観は必然的に『論語と算盤』に行き着くわけです。
大学時代に『論語と算盤』を勉強した記憶はありません。その頃の興味は『孫子』や『五輪書』でした。『五輪書』は、1970~80年代に「なぜ日本企業はここまで成功しているのか」という研究の中で、米国のビジネススクールでの必読書の一つでしたから。しかし『論語と算盤』は、アフラック入社後に経営と実業に関わっていく過程で読んだ本です。
アフラックの社長に就任した際に、「三方よし」を発展させて「5大ステークホルダー」という考え方を打ち出しました。当社にとっての「5大ステークホルダー」は、お客様、社員、ビジネスパートナー、社会、そして株主です。これは、前編 「アフラックのレイク会長 『論語と算盤』の考え方を経営に生かす」 で話題になった米国型の株主至上主義とは異なります。まずは、お客様の信頼、期待に応える、そして社員やビジネスパートナーとの相利共生であり、それが株主の期待する結果につながる。当然のことですが、日本で大切にされている視点で経営をしなければ日本では成功はしない。そう考えていった時に、立ち戻ったのが『論語と算盤』だったのです。
『孫子』の教えの実践
守屋 『孫子』のほうに話を移しますが、レイクさんが、実際の仕事の中で、『孫子』の教えを生かしている、あるいは役に立ったというご経験があれば、ぜひ教えてください。
レイク アフラックの「統合報告書」(*)を使いながら、アフラックの経営において『孫子』を実践していることについて少しお話ししたいと思います。
まずは、『孫子』の「兵は国の大事なり(戦争は国家の重大事)」という言葉ですが、なぜ孫武(『孫子』の著者)がこの言葉を最初に書いたかというと、それだけの「覚悟」を持って、だからこそしっかりとやらなければいけない、という大前提を示したのだと思います。市場の競争は戦争ではありませんが、私はこの言葉を「企業の大事」と捉えて読んでいます。先に5大ステークホルダーの話をしましたが、お客様である契約者のことや公共性が高い金融機関としての社会的責任を経営者としてどこまで真剣に考えるか。それは、社員の生活も含め、企業経営とは組織の存亡をかけて行う「大事」であるとの覚悟をどこまで持つのかということで、経営者として極めて大切な考え方だと思います。
「統合報告書」のp.30には、当社の長期経営ビジョンとして「“『生きる』を創る”ことで、新たな共有価値を創造する」と書いてあります。そしてp.32には、長期経営ビジョンに基づいた中期経営戦略のアプローチが示されています。
そこで外部環境分析、内部環境分析、ステークホルダーの期待を考えた上で、当社の10年後の目指す姿を整理していますが、これは『孫子』の「『五事』、つまり、『道』としての理念、『天と地』としての環境やタイミング及び地理的条件の分析、『将や法』としてのガバナンスや組織の編成、職責分担の条件などの基本要素」のフレームワークです。
さらにp.100には、「機動性・実効性の高いガバナンス態勢」とあります。これはまさに、『孫子』の五事、特に「法」を受けたガバナンスや組織の編成、職責分担の条件の視点のことで、『孫子』の「疾きこと風の如く(疾風のように行動する)、そのしずかなること林の如く」という言葉のように、スピードと機動性はもとより実効性に着目して組織運営を展開していることが分かります。私たちは「ガバナンスは法律論ではなく経営戦略論だ」と言っていますが、これも『孫子』の教えだと思います。
「統合報告書」のp.102には「Agile@Aflac」の紹介がありますが、これも機動性の話です。「Agile@Aflac」とは、デザイン思考に基づいてお客様への価値提供を常に志向する「顧客価値にフォーカス」や、お客様からのフィードバックを取り入れて継続的に商品・サービスを改善していく「反復的プロセス」などを原則とする機動的な働き方のことで、これをアフラックでは全社的に展開しています。『孫子』の「風林火山」だけでなく「各個撃破(選択と集中)」という意味でも、アフラックはそれを実践していると思います。このように、『孫子』の教えは、アフラックの経営の至るところに応用されているのではと考えています。
こうした数々の取り組みを通じて、私たちは、ハーバード大学のマイケル・ポーター教授が提唱した「共有価値の創造(CSV)」という考え方をアフラック流に進化させて経営を行っています。これは「三方よし」にも通じていますが、時代とともに社会的課題が変化するなかで、当社独自の資源や専門性を生かして、当社が向き合うべき社会的課題を解決し、パーパス(存在意義)を追求する。そうすることで企業としての経済的価値を創出し、持続可能な成長が実現できる、という考え方です。
「選択と集中」を続ける理由
守屋 ぜひ、「選択と集中」の話について、詳しく教えてください。
レイク 『孫子』に「我は専にして一と為り、敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり(こちらが仮に一つに集中し、敵が十に分散したとする。それなら、十の力で一の力を相手にすることになる)」とありますね。
アフラックの創業の歴史をお話ししますと、1970年の大阪万博の時、米国の創業者であるジョン・エイモスが来日し、マスクをしている多くの日本人の健康意識の高さに感銘を受け、日本であればがん保険が成功すると考えました。そして日本の大手生損保各社に提携を申し込んだのですが、残念ながらすべて断られてしまったそうです。「日本では、がん保険は必要ない」という考えが一般的でした。
しかし、ジョン・エイモスから要請され、免許取得に取り組んだ当社の大竹美喜と松井秀文ががん保険の意義を伝え続け、1974年にようやく日本での創業を実現します。この時から、当社は戦略として、保険会社に認められている多種多様で複雑な保険商品をすべて投入できる業務体制を構築して経営資源を分散するのではなく、自分たちが得意とする分野、すなわち「生きるための保険」に集中することで最高のレベルの商品・お客様サービスを提供するという選択をしました。そして、今では「生きるための保険」から「『生きる』を創る。」という考え方に発展させています。
私たちのビジョン・存在意義は金融コングロマリットになることではなく、「『生きる』を創る。」というブランドプロミスに忠実な企業であることだと考えています。その意味は、お客様一人ひとりが自分らしく充実した人生、つまり、お客様の多様な人生を支えるために、がん、医療、介護、そして資産形成の分野に「選択と集中」をすることで新たな価値の創造を実現することが大切だという考えです。現在では多くのステークホルダーの皆様から大手企業と見なされているので、保険業界における「『生きる』を創る。」リーダーとして社会的責任を果たすことも大切だと考えています。
守屋 ここまで成功されている企業なら、もう少し事業を広げてもおかしくないと思うのですが、「選択と集中」を続けているのはなぜでしょうか。
レイク 事業ドメインは「選択と集中」し、デザイン思考で発展させることが重要だと考えています。徹底したお客様視点とは何かを、データドリブンで検証しお客様の多様なニーズに真に寄り添う会社でありたい。そのような考え方を追求することで、今では保険による保障だけでなく、お客様の人生に寄り添うサービスも含めて「『生きる』を創る。」を掲げています。そこに「選択と集中」することで、最も高度な商品・サービスをお客様に提供する。そして、それがアフラックのブランド力につながるという考え方です。
今でも競争は大変厳しいですが、おかげさまでがん保険・医療保険の保有契約件数でナンバーワンであり続けているのは、「選択と集中」をすると同時に、絶えずデザイン思考で機動的な経営を行う努力をしているからだと考えます。だからこそ「Agile@Aflac」と銘打って機動的な働き方を全社で追求しており、今、日本社会で必要とされている商品・サービスを最も速いスピードで提供できる組織でありたい。これもあれもの経営をしていると、「選択と集中」によって生まれる経営陣や組織の集中力、価値創造力や機動性が失われてしまう、と考えています。
守屋 お話を伺っていて、『孫子』的でもあり、渋沢栄一的でもあるなと思いました。渋沢栄一は「商業道徳の核心は信である」と言っています。アフラックさんはお客様の「信用」を大事にし続けたからこそ、得意なところに「選択と集中」をされている、というふうに聞こえました。
レイク ありがとうございます。そうだと思います。どの国でも金融行政がまず着目するのは、保険会社が株主の期待に応えているかではなく、契約者、お客様の期待に応えられているかです。保険はもしもの時の備えですから、企業として強靭(きょうじん)な財務を維持しながら、「そのもしもの時に」高度な支払い業務が実現できるか。親身になって本当にお客様のことを考えた対応ができるのか。Being There When They Need Us Most(もしもの時に、寄り添い「生きる」を支える)、それが私たちの存在意義であり、企業文化です。
それをしっかりと実践すれば、必然的に業績につながる。業績が良く企業価値が向上していれば、株主も満足する。私たちが考える共有価値の創造(CSV)経営とは、5大ステークホルダーの負託に応えることであり、それが当社の戦略戦術、ビジネスモデルです。
座右の書は『武士道の名著』
守屋 最後に、レイクさんが座右の書を1冊挙げるとすれば何になりますか。
レイク 悩みましたが、1冊といえば山本博文先生の『 武士道の名著 日本人の精神史 』(中公新書)です。新渡戸稲造先生の『武士道』は私にとって極めて重要な本です。半分日本人の私が「太平洋の架け橋」になりたいと志す上でも、欧米の文化歴史に精通しながら日本を説明した新渡戸先生を大変尊敬しています。
この『武士道の名著』は、12の武士道に関係する名著を紹介していて、最後に新渡戸先生の『武士道』が出てくるのですが、その前に甲斐の戦国大名・武田信玄の事績やその家臣の行動について書かれた『甲陽軍鑑』や柳生宗矩の『兵法家伝書』、宮本武蔵の『五輪書』、吉田松陰の『留魂録』なども出てきます。1冊と言っても12冊分紹介しているようなものですね。これはいわば「『武士道』のホームページ」のような本で、これを読むと、それぞれの原典もたどることができますので、これらの原典の内容を思い出すためにも有効です。
守屋 レイクさんが『武士道』に引かれる、何か根本的な理由があるのでしょうか。
レイク それは、まさに新渡戸先生が「日本人の精神論」として『武士道』を書いているからです。『武士道』に記されているのは、武士の戦い方そのものではなく、日本人の道徳意識や思考方法、つまり「日本人はどうやって善悪を判断しているのか」という問いへの答えです。ノーブレス・オブリージュ、すなわち、リーダーであるものは大きな責任と高い自覚を持つことが求められ、身につけなければならない「7つの徳」として、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義を解説しています。『孫子』でも徳の修養の重要性に関して、「将とは、智、信、仁、勇、厳なり」とし、リーダーの条件として「信義」や「仁」の重要性を説いています。
新渡戸先生は、『武士道』は「日本の標章(しるし)である桜の花にまさるとも劣らない」とし、それは現代においても日本人のなかで生き延びている。東日本大震災の時に、苦しんでいる人々が一つのおにぎりを分かち合う姿にそれが表れています。『武士道』を初めて読んだ時から、日本と米国を比較し、日本を説明する上でも大変重要な本だと考えてきました。
今、アフラックではリーダーの育成計画において、新渡戸先生の『武士道』にある7つの徳の修養をサクセッションプランの育成基準や判断基準に取り入れています。日本でビジネスをする上で、徳の修養はそれだけ重要だと考えているからです。徳の修養は困難で挫折を繰り返す取り組みですが、リーダーに求められる姿勢は、徳の修養を目指し、自己を磨く努力をし続けることだと考えています。
この7つの徳、そして『武士道』という形で、新渡戸先生は外国の方々に日本の文化や価値観を説明しました。その背景には、山本先生の『武士道の名著』に出てくるような様々な思想がある。それらを理解することは、新渡戸先生の『武士道』をさらに深く理解する上でもとても面白い。日本を理解する上で、大変有意義な本ではないかと思います。
守屋 ありがとうございました。
写真/尾関祐治
読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。
守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)




