『最高の戦略教科書 孫子』の著者で中国古典研究家の守屋淳さんが、『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く対談「ビジネス書として読む『孫子』」。第7回は、国内最大級の暗号資産取引所として確固たる地位を築くコインチェック株式会社で、創業期から事業を牽引(けんいん)してきた最高事業開発責任者の大塚雄介さん。なぜ、まったくの「素人」だった彼らが、競合ひしめく暗号資産の世界で勝ち抜くことができたのか。大塚さんが『孫子』から学んだものとは?
物理学者を志した少年が「人の気持ち」を知るまで
マネックスグループ傘下で経営再建を果たし、現在は国内最大級の暗号資産取引所として確固たる地位を築くコインチェック株式会社。その創業期から事業を牽引してきたのが、執行役員の大塚雄介氏だ。
物理学者を志した学生時代から一転、リクルートから分社独立した新興企業でビジネスの最前線を経験。その後、仲間と共に起業し、社会現象にもなった『ビリギャル』の原作が生まれたプラットフォーム「STORYS.JP」を立ち上げるなど、異色の経歴を持つ。
一見、脈絡のないキャリアに見えるが、その根底には一貫した思考法があった。それは、物理学的な合理性と、中国古典『孫子』に代表される普遍的な知恵の融合だ。
なぜ、まったくの「素人」だった彼らが、競合ひしめく暗号資産の世界で勝ち抜くことができたのか。先行きの見えない「動乱期」を生き抜くために、リーダーは『孫子』から何を学び、どう行動すべきなのか。
『孫子』の専門家である守屋淳氏が、大塚氏の思考の源泉に迫る。
守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) いま大塚さんは、コインチェックの最高事業開発責任者という役職にいらっしゃいますが、そこに至るまでの経緯が非常にユニークだと伺っています。まずは、これまでの歩みについてお聞かせください。
大塚雄介・コインチェック最高事業開発責任者(以下、大塚) はい。もともとは物理学者になりたかったのです。生まれは群馬県で親が会社員の家庭で、子どもの頃に偉人の伝記や映画に触れるなかで、「このまま群馬で一生を終えていいのだろうか」と漠然と思うようになりました。自分の可能性を広げたいと考えたとき、運動ができたわけでもなかったので、分かりやすく「勉強しよう」と。中学2年でファミコンを押し入れにしまい、勉強に打ち込み始めました。
その頃、ガリレオやコペルニクス、ニュートンといった科学者たちが、世の中の「理(ことわり)」を数式で表して発見していく姿に、めちゃくちゃ「かっこいい」と魅了されました。物理学や数学の世界が持つ「美しさ」に気づき、のめり込んでいきました。どこかで、彼らのような歴史に名を残す何かを見つけたい、というのが人生のゴールになりました。
コインチェック株式会社 執行役員CBDO(最高事業開発責任者)
そのまま大学院まで進んで、当時で言う最先端だった量子力学などを学びました。ですが、その世界を見た結果、二つの壁を感じたのです。一つは、自分の研究が評価されるのは死んだ後かもしれないということ。後になって、実験によってその理論が正しいと証明されることがあるからです。もう一つは、ガリレオもそうでしたが、基礎学問の研究者は経済的に恵まれないことが多いという現実です。
自分のメンタルがそれに耐えられるかと考えたときに、時間軸を考慮して、自分が働かなくてもいい状態になってから基礎学問をやろう、それでもできるんじゃないかと思って、別の道を探し始めました。
当時はソニーの井深大さんや盛田昭夫さんなどが世に出て、エレクトロニクス産業が成長していたので、プロダクトという形で世の中を変えていくことが、もう一つ僕らの世代の憧れでした。
それで産業のほうへ行ってみようということで、大学院から突然、まったく違う、ザ・資本主義とは言わないけれどリクルートから分社独立したネクスウェイという会社に入社したんです。自分の中ではつながっていたのですが、両親を含め周りは「なんで?」という感じだったと思います(笑)。それで社会人としての人生が始まったという感じです。
守屋 ネクスウェイではどのようなお仕事をされていたのですか。
大塚 だいたい9年在籍したのですが、1年目はいわゆる「ドブ板営業」で、営業の世界で俗に言う「ビル倒し」という、あるビルを上から下まで全部訪問して新規の営業ができないかひたすら名刺交換するみたいなことをしていました。ものすごく売れませんでした(笑)。
それまで論理的に物事を考えて生きてきた人間が、ビジネスという「人の気持ち」が大きく作用する世界に入ったわけです。自分としては「こんなに論理的に正しい提案をしているのになぜ使わないんだ? なんで理解してもらえないんだ?」くらいに思っていました。それでは、売れないですよね。
結局、人って、立場とか置かれている状況で動いたり、意思決定しながらビジネスを進めたりしているんだなということを、お客さまを通して学んでいくことで、「人の気持ちってあるんだな」ということを23、24歳で気づくという感じでした(笑)。
守屋 面白いですね。『 99%の人がしていない たった1%の仕事のコツ 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン。リンクは「決定版」)などのベストセラーを持つ河野英太郎さんから、似たような話を聞いたことがあります。河野さんは日本IBMで営業をしていたそうなのですが、技術部門に「○○さんいますか?」と内線をかけると「います」とだけ返ってきて、あとは黙っているそうなんです。まさしくプロトコルは正確にという感じですが、営業とはまったく発想が違うんですね。
ところが、トラブルなどが起きて、技術者の人とチームを組んで解決に出向くと、技術者は専門性を最大限に発揮して解決にあたるし、営業はたい焼き買ってきてみんなに配って人間関係を円滑にしたりして、結構いいチームができたりしたらしいんです。大塚さんの場合、理系的と文系的と言い換えてもいいかもしれませんが、その両方を兼ね備える経験をされたわけですね。
大塚 そうですね、もともとが理系の思考性なので、物事を論理的に考えたいですし、網羅的になっていないと非常に気持ち悪いんです。ただ世の中は、もうちょっと不確実性で動いていて、そんなに論理的ではなく、みんな意思決定をしないし動かないという状況が俯瞰(ふかん)的に理解できました。
この事業を共同で始めた和田晃一良は、私よりももっと理系的で、論理構造ですべて話をするので、私から見ると、人とコミュニケーションをとるのが難しいところがあります。プログラミングがとても速いのですが、それは、プログラミング言語でコンピューターと話をしているからです。でも、それを人との言語にコンパイラ(変換)して話さないので、「彼、何言っているか分からない」と言われてしまう。でも、私は両面を持っているので、数字やプログラミングしているものを、コンパイラして世の中に発信できる、そんな二人の組み合わせになっていて、それにはすごく役立っています。
『ビリギャル』を生んだプラットフォームと次なる挑戦
守屋 そんな大塚さんが、大ヒットした『ビリギャル』(『 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話 』KADOKAWA)に関わったとお聞きしたのですが、それはどういう経緯だったのでしょうか。
大塚 当時、Twitter(現・X)が出てきて、「匿名」で自分のことを投稿する文化ができました。次にFacebookで、「実名」で自分のことを投稿する文化ができました。この延長線上で、「実名で自分のやってきたことやストーリー」を投稿する文化ができるのではないかと考え、仲間たちと「STORYS.JP」というサービスを立ち上げました。
そこに、たまたま『ビリギャル』の著者である坪田信貴先生が、ご自身の経験を投稿してきました。家庭の負の部分も含めて、いろいろな内幕を赤裸々に語ったのが共感を呼びまして、私たちのサービスが始まって以来の大ヒットとなり、出版社から連絡が殺到したのです。ソーシャルな時代に多くの方が読みたい、飾られていない話だったのです。
守屋 それが、いまの暗号資産の事業へと転換されたきっかけは、何かあったのでしょうか。
大塚 2013年、14年ころを見ると、未来から逆算してサービスを作っている会社がものすごく伸びていました。例えばメルカリだったりとか、BASEだったりとか、freeeとかマネーフォワードです。そういう流れを見ていて、自分たちのアプローチは過去からのアプローチなので、あるべき未来からのアプローチでなくてはいけないと、私と和田の二人で感じていました。
それと、STORYS.JPは自分たちがやれる改善策をやりきっていて、「この一手を打ったら10倍になる」みたいなことがなくなったので、そこに二人の経営リソースを割くよりも、新しいことに経営リソースを割いたほうが、成功の確率という意味では高いのではないかと思いました。それで、コインチェックが始まったという感じですね。
ミケランジェロの彫刻との共通点
守屋 暗号資産は、昔からやろうとしていたのではなく、ある日ワッと飛び込んだという感じなんですね。
大塚 ですから、やり始めたときに多くの方から、「君たちは金融の専門家でもないし、暗号資産もよく知らないから、やめろ」と言われました。でも僕らからすれば、誰もやったことのない新しい分野なのだから、過去の実績からではなく、未来のあるべき姿から逆算すれば勝てるはずだ、と思っていました。今思えば「無知の強さ」もありましたが。
守屋 競合も多かったと思いますが、なぜコインチェックが抜きんでることができたのでしょうか。
大塚 これはまさに『孫子』の教えにつながるのですが、競争環境において、僕らは最後発で、最も資本のない状態から参入しているという認識がありました。そこで、大資本の会社や、すでに先に走っている人たちがとれない戦略をとろうと考えました。「弱者の戦略」ですね。
競争戦略はタイミングがものすごく重要で、暗号資産で言うと、自分たちの実力以上に、外から追い風を受けて伸びることができるタイミングが4回ありました。コインチェックはその4回すべてを乗りこなしているんです。インテリジェンスを持って、こういう次の波が来るよねということを把握しながら、限られた資本を、他は全部捨ててこれだけにかけようと、開発力とか時間とか人とかお金を突っ込んで、そこにちゃんと当てていきました。唯一コインチェックで僕らが誇れるのはそういうことだと感じています。
守屋 来た波にすべて乗れるって相当すごいことだと思うんですけど、それができた理由は何かあるんですか。
大塚 僕らからすると「できるよ」って感じなんです。ミケランジェロが彫刻を彫る時に、彼は、石像の中に形があって、それを形にしているだけだという話があったと思います。我々も一緒で、このマーケットにおいて、「こういうことができる」というのが見えているので、あとはそれを構築する、プログラムを作ったりとかチームを作ったりすることとかをやってるんですね。なのでもう完成形はあるんです。
私も和田も、数学と物理をやりすぎた結果、自然はすでに存在していて、人間が数学という手法で、それをただ発見するんだというものの捉え方をしています。ですので、暗号資産も、経営戦略のフレームワークを使った分析をして、技術の変化、法律の状況とかを考えていくと、「たぶんこうなるよね」という確からしさは80%ぐらいある、と。
ただその80%に、自分の人生とお金をかけられるのかといえば、クレイジーじゃなきゃできない。僕はまだひよっちゃうところがあるけれども、和田のほうはアクセルを踏める。彼は基本的には統計で計算するので。80%起きるということを、期待値としてプラスであれば、マイナスであってもかけるべきだという形で物事を捉えています。
(後編に続く)
写真/尾関祐治
読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。
守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)




