今年は昭和100年に当たる。本のベストセラー史の研究者で編集者である、横手拓治さんインタビュー第1回は、100年前の日本の出版事情について。明治期の売れ筋本は、長年の累計数は別としてせいぜい万の単位で、大正に入っても10万クラス。ところが大正末から昭和初期になると、『キング』が100万雑誌といわれたようにケタが変わってくる。その背景には、教育機関の充実による若い読者層の広がり、さらに「返本あり」の出版再販制度が始まって大部数での印刷・配本の仕組みができたことがあった。

なぜベストセラー史を調べようと思ったのか?

横手拓治さんは2019年に『 ベストセラー全史【現代篇】 』『 ベストセラー全史【近代篇】 』(いずれも筑摩選書)を上梓(じょうし)されました。編集者として比較的硬派な本を作られてきた横手さんが、ベストセラーの歴史に興味を持たれたのはなぜですか。

 出版業というのはある種矛盾した産業です。携わる人にはなんとなく「文化の前衛」意識があって、売れることに対して複雑な感情を抱く。私もその一人でした。

 多くの業界にはスーパーバイヤーと呼ばれる存在がいますね。要するに一番売った人のことです。商売ですからこれは当たり前。ところが出版界の場合はどうでしょう。書店でもスーパーバイヤーというか、カリスマ書店員みたいな人はいますが、必ずしも一番売った人というわけではありません。ある特定のジャンルにこだわりがあり、知識の豊富な人を指す言葉としてよく使われています。

「出版業というのは本が売れなければ成り立たないのに、ベストセラーに対しては奇妙な距離感を是とする雰囲気があります」と話す横手拓治さん
「出版業というのは本が売れなければ成り立たないのに、ベストセラーに対しては奇妙な距離感を是とする雰囲気があります」と話す横手拓治さん

 編集者の場合も似ており、ベストセラーから距離を取る傾向がある。まずホメない。そもそも話題にしない。第一、読んでない。それより個性的で質の高い仕事に注目する。売った本を手掛けた話などやぼ天もいいところで、なんとなく誰も乗ってこないと思う。私も『出版指標年報』(出版科学研究所)の年間ベストセラーで総合ランキングに入った本を出しましたが、気分の点ではそんなところです。言ったとしても「ああそう」でおしまいでしょう。

 新聞などの書評も同じではないですか。ベストセラーが書評で取り上げられるなんてめったにない。それよりも、世の中に知られてない優れた書き手やテーマ、「良書」を紹介するんだと。記者も評者もそこに醍醐味を感じている。

 しかし、これはどこか奇妙です。出版もビジネスである以上、売れる本で回していかないと存続できません。長らく編集者を務め、私もそのジレンマをずっと抱えてきました。だったら誰も話題にしないベストセラー書とやらを、一度横断的に確認してみよう、となったのです。出版「文化」を言い過ぎることへのアンチテーゼというか。あまのじゃくそのものですね。

編集者の本業とは別に、調べ始めたのですか?

 ええ。ベストセラー研究には、実はもう一つ理由があって、私は編集者をやりながら兼業で大学教員をしていました。学校現場で現代の若者と対応してみると、彼らはスマホ世代で、我々とは読書習慣のベースがまず違う。そんな彼らに、「良書を読め」みたいな「べき論」をいきなり打ち出しても意味はないのです。

 授業の際、若年層に人気の本の話を盛り込めば、まずは会話のキャッチボールができる。そうした体験もきっかけになり、同時代の人気作だけでなく、過去の本についても調べてみよう、ということになった。どういう本が売れたのか、多くが飛びつく要素はどこにあったのかというのを、探求していったわけです。

 とはいえ、当時はまだ現役編集者でした。ベストセラーを捉え、多少の考察を加える機会を得たからといって、その知見をもとにベストセラーを生み出せるかといえば、それは別問題です。できればやっています(笑)。結局、編集者としては、何が起こるかわからない「荒野」に立ち向かうしかない、ということを、ベストセラー研究によって再確認した次第です。

「読者層」は100年前に急拡大した

今年は昭和100年に当たります。今から100年前、大正末期から昭和初期の日本の出版業界はどんな状態だったのでしょうか?

 当時のベストセラーには、谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社)、江戸川乱歩『屋根裏の散歩者』(春陽堂)、吉川英治『剣難女難』(講談社)など。今日まで読み継がれている作品も少なくありません。

 それから、ベストセラー史の観点で言うと、100年前というのは、多くの日本人が現代人と同様の感覚でベストセラー現象を体感できた最初の時代だったと思います。

 その背景には、いくつかの要素があります。一つは、読者の幅が一気に広がったこと。それまで本を読む人は「意識の高い」エリートが中心でした。もちろん、明治初期に『学問のすゝめ』(福沢諭吉)は比較的幅広い層に読まれていますし、小説だったら『金色夜叉』(尾崎紅葉)などが大衆的人気を博していました。とはいえ、一部のジャンルを除き、書籍の主な読者層といえば限られた人々だったのです。

 大正時代に入ると、その様相が変わります。大正13年(1924年)9月に児童教育書を出していた第一出版協会から、書評誌というか、本の選択指南の月刊誌が創刊されます。その巻頭言にこんなことが書いてある。「読書人は、昔は学者を意味する言葉であった。しかし現代社会においては全く趣(おもむき)を異にする。苟(いやしく)も目に文字ある者である限り、読書人でないものはない」。要するに文字が読める者はみんな読書人、出版物の対象者になったというわけです。大正時代を通じて起きた読者の広域化です。

 大学令が公布され、従来の帝国大学に加えて早稲田や慶応といった私立大学、また公立大学が各地に誕生しました。また今日の大学教養課程くらいのレベルだった高等学校も各地に設置され、中学校も整備されます。かくして教育機関が拡充されていくなか、本を読む若い人たちが格段に増えていきます。

 さらにこの時期には、明治末から続く増設の結果、全国各地に図書館が整備され、一般の人が本に親しむ機会が増えました。読者の裾野がぐっと広がったわけです。歩をそろえるように出版界の活動も盛んになった。

明治・大正・昭和戦前期のベストセラー本を全て紹介する『ベストセラー全史【近代篇】』(筑摩選書)。澤村修治は横手さんの筆名。画像クリックでAmazonページへ
明治・大正・昭和戦前期のベストセラー本を全て紹介する『ベストセラー全史【近代篇】』(筑摩選書)。澤村修治は横手さんの筆名。画像クリックでAmazonページへ

若い人が本を読むようになると、その影響は大きいでしょうね。

 ベストセラー現象の点でもそうです。戦後の話ですが、大衆向け新書の嚆矢(こうし)である「カッパ・ブックス」を生み出した光文社の神吉晴夫(かんきはるお)さんは「ベストセラー作法十か条」というものを作っています。その第一条は「読者層の核心を20歳前後に置く」ですよ。若い層が飛びつくと、そこから火がついてベストセラー現象が起きるということを、神吉さんはよくわかっていた。

 海外でもそうですが、まず若者が買ってブームになり、他の年齢層にも波及してベストセラーが生まれるのはよくある現象です。その若い読者層がカチッと出来上がったのが、日本では大正時代でした。ついでに一言言っておくと、のちの2010年代から日本の出版市場では「高齢者本」(書き手も読み手も高齢者の本。第5回で触れる)のベストセラーが出始め、若者起点のテーゼが崩れて「あれれ」と思っていますけど。

出版再販制度の確立で発行部数も大幅増

当時、本は今と同じように書店で買えたのですか?

 もちろんです。ただ実は、そこにもう一つ大きな変化がありました。大正8年(1919年)から、今日も続く出版再販制度(再販売価格維持制度)が始まったのです。明治時代から始まったという説もありますが、それは一部の出版物だけの話。制度的に確立されたのは雑誌・書籍ともに大正8年です。業界あげての周到な準備のうえで、導入されました。「返本あり」+定価販売で、この「返本あり」が大きかった。

 それまでは、「入銀(にゅうぎん)制」と呼ばれる本の買い切りが一般的でした。だから在庫を抱えたくない書店は仕入れる量を抑えるし、売れ残りそうならどんどん値段を下げていく。客の側も値切って買うのが当たり前。当然、売れる部数は限られます。当時、よく売れた本でも、数千からせいぜい万の位に届くかどうかだった。それは出版販売のシステムが違うという面もあります。

 しかし再販制度の成立で、景色はガラッと変わります。本は定価販売になり、なおかつ、書店は売れなかったら返本すればいいので、大量に仕入れることができる。出版社もそれを見越して大量に印刷する。それもあって、新刊が出ると全国津々浦々の書店の店頭に並ぶようになったのです。

するとベストセラーも生まれやすくなりますね。

 流通販売の質が変わったと言ってもいいでしょう。ベストセラー産生にそれは大きな影響を及ぼします。社会現象としてのベストセラーを感覚的につかめるようになったのは、大正末から昭和初めにかけてと言っていいと思います。対象本に関心がない人までも、「どうやら評判になっているらしい」と体感できてしまう。

 たとえば講談社の娯楽雑誌『キング』は昭和2年新年号から100万部を突破します(発行部数は120万部)。100万という数字は象徴的ですね。読者人口の拡大、市場の大衆化とともに、出版再販制の導入によって、ケタ違いに本が売れるようになったわけです。

人口の少なかった当時でも、今と遜色ない数字とは驚きです。

 現代の我々からしても、100万部いけば「文句なくベストセラー」でかまわないはず。書店店頭での扱いが派手になるとともに、メディアやネットでも取り上げられ、やがて本は一つの社会現象になっていきます。10万部でもヒット作だし、出版社は「もっと広告を打つか」という話になる。規模感も含めて、こうした感覚は100年前に形成され、今日まで受け継がれてきたわけです。

 もっとも、2020年代の日本出版界では、漫画を除きミリオンセラーの話題が少なくなってきており、寂しいところです。

(第2回に続く)

取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子