うまくいかなかった場面で叱ったことで、「あのとき叱ったから次は良くなった」と感じることはありませんか。後輩や子どもを思っての言葉でも、その変化が本当に叱った効果なのかは、意外と見えにくいものです。そして、ここには「セレクション」という問題が潜んでいるかもしれません。セレクションにだまされないための経済学の思考習慣とは? 『原因と結果を武器にする思考』(安井翔太、伊藤寛武、金子雄祐著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けします。
叱るとサイコロが「良い出目」になるのはなぜ
「セレクション」とは、「どのタイミングで・どの対象に施策を行うか」が結果と強く結びついてしまい、効果が過剰または過小であるように見えてしまう仕組みのことです。まずは、この概念を直感的に理解するために、少し極端な例を見てみましょう。
突然ですが、実は私には、ものや人を叱咤激励(しったげきれい)することで成果を引き出す特殊な能力があります。
たとえサイコロのように完全に運に支配されたものですら、私が叱りつければ、たちまち良い出目を出すようになるのです……。怪しいですか? では、その効果をお見せしましょう。
1投目……1
「これはひどい。なんという目なんだ! 君の本気はそんなものじゃないだろう!」
きつく叱ったので、次は良くなるはずです。
2投目……4
お、良くなりましたね。
3投目……2
「この腑抜(ふぬ)けが!もう一度生まれ直してこい!」
4投目……6
やはり、私の言葉には力があるようです。
数回だけでは偶然かもしれません。そこで、このままサイコロを1000回振り、叱る前と叱った後の出目を比較してみましょう。その結果が、次の通りです。
・叱る前……1.44
・叱った後……3.53
叱る前の平均は約1.4、叱った後の平均は約3.5。なんと、叱ることで出目が約2も改善しています。
どうでしょうか。もちろん、サイコロに何を言ったところで、出目が変わるはずがありません。にもかかわらず、データを見ると、あたかも効果があったように見えています。
本当に「叱る」意味はあるのか
ここにもやはり、「見せかけの効果」(編集注:一見効果があるように見えるが、本当は効果がないもの)が存在しているのです。効果があるように見える理由は単純です。出目が悪いときだけを選んで叱っているからです。
例えば、出目が1だったので叱ったとします。このとき、次の出目が「2、3、4、5、6」のいずれかであれば、結果は「改善」します。次の出目がランダムでも、良くなる確率は6分の5もあるのです。言い換えれば、出目が悪い、つまり次の出目が良くなる可能性が高いタイミングを選んで叱っていたのです。
この問題を、「反実仮想」(編集注:実際には起きなかったケースにおける結果)の考え方で整理してみましょう。効果とは、「実際に起きた結果」と「反実仮想」との差です。つまり、「叱った後にどうなったか」を見るだけでなく、「叱らなければどうなっていたか」と比較しなければ、本当の効果は分かりません。しかし、この思考実験は単に叱った前後を比較しているだけで、反実仮想との比較は行われていません。
では、叱らなかった場合、出目はどうなっていたでしょうか。普通のサイコロであれば、叱っても叱らなくても、結果は変わらないはずです。また、少し落ち着いて考えれば、サイコロの出目の平均は大体3.5となることに気がつき、この叱りつけにはまったく効果がないと判断できるでしょう。
このように、結果と強く関係する要素に基づいて施策を行うだけで、その施策に本当に効果がなくとも、大きな効果があったように見えてしまいます。これはまさしく先ほど説明したセレクションに他なりません。セレクションは実に様々な場所に存在します。
後輩、子どもにも同じことをしてしまっているかも
例えば、「過去の購買額が大きいユーザーにクーポンを配ることで購買額が上がった」という事例もセレクションです。いつもサービスを使ってくれるユーザーにクーポンで還元することはビジネス上当たり前の発想です。しかし、データを見る際にはこれがセレクションとなり、見せかけの効果につながるのです。
一方で、これとは逆に、サービスを使わなくなったユーザーにクーポンを配ることもあります。これもやはりセレクションです。しかしこの場合、クーポンをもらう人の購買意欲は、もらわない人の購買意欲よりも低くなります。その結果、クーポンの効果は過小に評価され、場合によっては「クーポンを配ると売り上げが減る」という結論が得られることさえあります。
見せかけの効果は、セレクションの中身次第では本当の効果とは真逆の結果を示すことすらあります。これを信じてしまえば、ビジネス上の意思決定は壊滅的なものとなってしまいます。

セレクションや反実仮想は単に分析上の問題ではなく、私たちの知見やノウハウの獲得にも影響する重要な概念です。「結果が悪いときに施策を行う」というセレクションは、現実の世界でも頻繁(ひんぱん)に見られます。例えば、仕事やスポーツで失敗した社員や子どもに対して、上司や監督、コーチが叱責する場面を思い浮かべてみてください。叱る側は、「叱ったからパフォーマンスが上がる」と経験的に信じているかもしれません。
正反対の結果を避け正しく成長するために
しかし、その改善が本当に叱ったことによるものなのか、それともセレクションによってそう見えているだけなのかは、反実仮想を考えなければ分かりません。反実仮想を意識せずに経験を積み重ねてしまうと、こうしたセレクションによる見せかけの効果を、「自分のノウハウ」として学習してしまう危険があります。
このような状況を避けるために有効なのが、「もし、何もしなかったらどうなっていたのだろうか?」と立ち止まって反実仮想を考えることです。これは効果の誤認を防ぐだけでなく、「別の対応を選ぶ余地はなかったか」「違う学びが得られたのではないか」といった、意思決定の選択肢そのものを広げることにもつながります。
セレクションに気づき、反実仮想を考えることは、見せかけの効果を見抜くための技術であると同時に、私たちの意思決定と成長の幅を広げるための、重要な思考習慣です。
安井翔太、伊藤寛武、金子雄祐著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)
