スタートアップと連携するには、当然ながらスタートアップ側を引きつけなければならない。しかし日本では有名な大企業であっても、海外のスタートアップ界隈での知名度は低い。では、スタートアップに認知され、信頼を獲得し、パートナーとして協業へと持ち込むためには、具体的にどうすればいいのか。アメリカのスタートアップとの連携を成功させている栗田工業の事例などを『 企業進化を加速する「ポリネーター」の行動原則 スタートアップ×伝統企業 』から抜粋して紹介する。

「最初に受けたショックは知名度の低さ」

 「海外でスタートアップへのアプローチを開始して最初にショックだったことは、自分たちの会社が、あまりにも知名度が低かったことです」

 水処理の国内最大手である栗田工業の「探索」活動担当として、シリコンバレーで開拓の先陣を切った小林秀樹氏は当時をそう振り返る。

 日米の橋渡しをするベンチャーキャピタル(VC)という役回り上、筆者は過去に同様の悩みを幾度も耳にしてきた。海外での売り上げ比率が大きく、日本国内では「グローバル企業」として名が知られている大企業であっても、海外でも国内と同等の知名度があるとは限らない。海外のスタートアップ界隈という特殊なエコシステム内であればなおさらだ。

 どれほどの大企業であっても、シリコンバレーのスタートアップ界隈へ初めて足を踏み入れ、そのエコシステムの中で何のコミットも貢献もしていないのであれば、ゼロからの出発だと思ったほうが賢明だ。

信頼を獲得する5つの処方箋

 では、具体的にどうすればスタートアップに認知され、信頼を獲得し、パートナーとして協業へと持ち込めるようになるのか。レガシー企業が不得手な傾向にある「スタートアップの巻き込み」における処方箋として、次の5つが挙げられる。

■スタートアップの現場に何度も足を運ぶ
■スタートアップの「スピード」と「大企業に求めること」を理解する
■スタートアップからの信頼を得て、維持する
■シリコンバレーのルールを知る
■PoCを大切にする

 「スタートアップを理解し、並走し、信頼を勝ち得る」。5つの処方箋を端的にまとめるならばこの一言に尽きる。いずれも一見すると地道で当たり前のことのように聞こえるだろう。

 だが、スタートアップの聖地であるシリコンバレーで定点観測をしていると、これらのポイントを実践できていない日本企業が驚くほど多いのが筆者の実感だ。

地道なアプローチで認知度を上げた

 冒頭で触れた栗田工業のその後について紹介したい。工場などの水処理というニッチな領域ながらも、国内最大手の自負があった栗田工業だが、シリコンバレー進出当初は、自社の認知度の低さを痛感した。同社イノベーション本部オープンイノベーション推進部の部長を務める小林氏は、当時の体験を振り返る。

 「アメリカ出張の際に参加したカンファレンスで、水処理関連のスタートアップの方々と多数顔を合わせたのですが、栗田工業のことを知っているCEOはほとんどいませんでした。とにかく自分たちの知名度は圧倒的に低い。スタートアップの方々と話す際には『私たち栗田工業という会社は〜』という自社紹介から始めなければ、まったく話が通じなかった。『水処理のエコシステム内ですらこんなにも知名度が低いのか……』と大きなショックを受けたことを強烈に覚えています」

 だが、現在地点がわかったのであれば、そこから攻勢に転じるしか道はない。スタートアップとの協業探索担当を任命された小林氏は、地道かつ粘り強い具体的なアクションを積み上げていく。

 「まず、2014年にVCの力を借りて、データベースから約1900件のスタートアップ情報を閲覧して1社ずつチェックし、有望と思われるスタートアップを絞り込み、随時その動向をチェックするノルマを自分たちに課しました。

 リサーチと並行して、足で稼ぐことにも力を入れました。シリコンバレーに駐在者を置くことはできなかったのですが、現地で開催されるスタートアップ関連のイベントには出張の形で積極的に参加し、CEOの方々とコミュニケーションを取る機会を得ることを心がけました。

 シリコンバレーでスタートアップと会う機会を見つけては、自己紹介代わりに“Kurita is about $2B annual turnover…” のフレーズを繰り出し、栗田工業は年間売上高が約2000億円であること、水処理事業だけでそれを行っていること、つまり大きなマーケットを持つ企業なのだという事実を積極的にアピールし続けました。そうすると『え、すごい。どんな企業と取引しているの?』『実は電子産業大手の工場で水の浄化をしているのも栗田工業なんだ』となり、『じゃあ一緒に何ができるのか』と話の流れが生まれていきました」

 潮目が変わり始めたのは、そうした地道な活動をひたすら積み重ねて3年が経過した頃だったという。

 「水処理スタートアップのイベントに3年連続で参加したあたりから、栗田工業の名が徐々にスタートアップ界隈でも知られてきた実感がありました。『栗田工業と話がしたい』と申し出てくれる企業が徐々に増え、イベントのパネリストをやってほしいといった依頼も舞い込んで来るようになりました。スタートアップに詳しいリサーチ企業や業界向けアクセラレータ(スタートアップや起業家を集めて、事業の成長をサポートするプログラムなど)、VCなどのネットワークが拡張されたことで、2010年代後半になってからは、スタートアップから直接連絡をもらう機会も増加しましたね」

 栗田工業は現地に駐在者を置いていなかったため、小林氏の活動はすべて日本からの出張ベースに限られた。そのため時間は要したが、地道なアクションは着実に実を結んだ。2017年にはAPANAのシリーズA出資、翌2018年にはフラクタの株式を取得して子会社化している。小林氏のポリネーター(媒介者)としての活動が、オープンイノベーションによる事業領域の拡大に貢献したことは間違いないだろう。

 「私はシリコンバレーに派遣される前の部署では、JAXAとの共同研究の立ち上げに携わっていました。栗田工業としてはそこまで詳しくない宇宙産業におけるプロジェクトでしたから、自社だけではわからないことが多かった。そのときに、外との接点がいかに大事であり、自分たちだけではオープンイノベーションはできないことを実感として理解できたことも大きかったように思えます」

シリコンバレーのルールを知る

 どの業界にも可視化されていない不文律があるように、シリコンバレーにもルールがある。シリコンバレーに駐在する多くの日本企業がまずすべきことは、このルールを理解することだろう。シリコンバレーに限らず、日本国内も含め広くスタートアップと付き合う上で大事なポイントとなる。

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「償還の要求」より「一緒に汗をかく」

 投資家(VC/大企業)とスタートアップはフェアな関係でなければならない。お金の出し手である投資家がスタートアップを下に見るような交渉をすると、シリコンバレーにはいくらでも資金の出し手は存在するので、乗り換えられてしまうだろう。

 アメリカでは、シードステージの企業向けや増資の間のブリッジファイナンス(短期融資)において、コンバーチブルノート(Convertible Note)を使用することが多い。これは日本でいう転換社債である。このコンバーチブルノートを発行した後、スタートアップが次の増資を実行するのに苦しんだ際に、権利としては社債の償還を求めることができる。しかし、その要求をする投資家は非常に少なく、いかにして次の増資を成功させるかに一緒に汗をかく姿勢が求められる。

 優先株式の条件設定にも注意が必要だ。優先株式では、リスクを取って資金提供した投資家がリターンを確保するために、条件を付与することができる。だが、戦略的な目的を達成するための条件を付与するものではない。また投資時には、優先株式の条件とともに株主間契約の条件が付与されるが、そこにおいても事業会社にとって都合の良い条件を並べようとすると、既存株主から嫌悪感を抱かれ排除されることがある。少し専門的になるが、そもそも投資契約は集団投資スキームなので、1社が独自の権利を折り込むことはふさわしくもない。

 これは日本国内での事例だが、日本を代表する事業会社2社と、私が担当するスタートアップに協調投資をした際に、投資契約に「他社に優先して自社と事業をすること」といった内容の条件を片方の企業が入れようとしてきた。私はスタートアップにもこの条項のリスクとアンフェアな点を説明して、削除を要請して合意してもらった。

 また、シリコンバレーの優先株式の条件に見られる条項に「Pay To Play」がある。将来の資金調達時に出資に参加しない場合には、優先株主の権利が失われるというものである。優先株式を保有することには、「権利」だけでなく「義務」も伴う意味と捉えても大げさではないだろう。

日本企業の「表敬訪問」は嫌われる

 日本企業に多い行動の1つに表敬訪問があるが、これはシリコンバレーでは非常に嫌われる。スピードを重視するスタートアップにしてみれば、意思決定権者に来てもらって、その場で口頭での契約を取り付けたい。もしくは契約に至るまでの条件を確認したいという気持ちでミーティングに臨む。それなのに、アジェンダのない表敬訪問で終わってしまっては、その落胆たるやない。

 日本企業のシリコンバレー駐在者にとって、前述したようにシリコンバレーに経営陣を連れていくことは重要な役割である。それだけに、このバランスは難しいところだろう。

 また、ネットワークは人に紐付くということを企業は忘れがちである。日本企業に多い3年ごとのジョブローテーションで、シリコンバレーにおけるネットワークを保持し膨らませるのはかなり難しい。

「ノー」の伝え方が重要

 ギブ&テイク。まずはギブであるという精神を持つということ。シリコンバレーでは、学歴は関係なく、何かを生み出す人が尊敬される。仕事を断るときでもフレンドリーであることが求められる。

 人のフィードバックを受け入れるオープンマインドを持つこと、人のアイデアを否定しないことも大事。これも生み出す人を尊敬するカルチャーと似た要素である。

 日本企業のポリネーターとなった人たちは、当初は多少困惑しながらも、このあたりのルールを理解し、今では当たり前のように行動している。このルールを理解しながら、スタートアップと付き合っていくと、普段の面談においての行動も変わってくる。

 筆者も初めてシリコンバレーにてスタートアップと面談した際に、“What is a next step?”とCEOに質問され、緊張感が増すことが何度もあった。ポリネーターは面談時にnext stepを明確にしておき、その後の対応も早ければ早いほうが良い。例えば投資の検討が難しいといった「ノー」の答えほど早いほうが良い。

 自身だけでは判断できず、事業部の判断が必要なときなどもあるだろう。しかし、スタートアップは、会社だけでなく、その窓口の人物を見ている。事業部にもスピード感の重要性を意識しながらスタートアップと連携していく。

 また、「ノー」の伝え方も重要である。VCの仕事でも、面談したスタートアップとの間でビジネスが生まれる可能性は非常に低い。つまり断ることが非常に多い。それだけに、スタートアップからの信頼を得るためには、断り方が大切である。「このタイミングでは、〇〇といった理由でノーだが、あなたの事業は〇〇で素晴らしい。こういったことがクリアされたら、我が社でもぜひ再度事業化に向けて話していきたい」といった前向きなフィードバックを付け加えることが大事なのである。

 ここまで書きながら思うのは、スピード感を除いては、スタートアップとの連携に限らず、取引先と誠実にフェアにビジネスを進めていこうと思えば、当たり前のビジネスマナーと言えることがほとんどである。ただ、言うは易く行うは難しで、これをやり続けられる人は多くはない。やり続けることができれば、スタートアップからも信頼を得られるだろう。

(写真:Shutterstock)
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企業進化のスピードを上げなければ生き残れない時代、その実現に向けた提言と事例が満載。日本の伝統的企業がスタートアップ企業と連携し、オープンイノベーションを推進していく上での実践的ポイントを解説。連携をスムーズに進めるためのカギとして「ポリネーター」に着眼し、その行動や育成について解説。

中垣徹二郎、加藤雅則(著)、根来龍之 (監修)、日経BP、2420円(税込み)