エンタメ作品における世界観は、シミュレーション的な発想とセットになっている。優れた世界観IPは、キャラクターたちを動かし、物語を紡ぎ出すための「システム」を内包している。だからメディアのフォーマットにかかわらず、その世界観をベースにして新しいストーリーやキャラクターでも勝負ができるのである。『 オタクベースの物語づくり入門 永久不滅のIPの法則 』からの抜粋で解説する。
ゲームクリエイターだからたどり着いた結論
私がストーリーIP、キャラクターIP、世界観IPという3つの視点を初めて持ったのは、『Fate / Grand Order』を作っていた当時のディライトワークスの宣伝プロデューサーから「イシイさん、ストーリーとか物語作りってどうすればいいか、現場に向けて講義してくれないか」と依頼されたときだった。
この考え方は、私がマンガ家でもアニメ監督でもなく、ゲームクリエイターだからたどり着いた結論だと思っている。原作モノとオリジナルモノが混在するゲーム開発者の視点から、「どんな作品だったら100年続くんだろう。どんな作品ならマンガやアニメ、ゲームすべてで成功可能なんだろう」と考えていったら、「ストーリーIPやキャラクターIPを最終的に世界観IPに昇華できればいいのかもしれない」ということに気づいた。世界観が確立していれば、メディアのフォーマットにかかわらず、その世界観をベースにして新しいストーリーやキャラクターでも勝負ができるのである。
「作品の世界に戻りたい」と感じる状態
世界観IPとは、その作品の「世界」そのものがブランドとして確立され、ファンが特定のキャラクターに会うためだけでなく、「その世界に戻りたい」と感じる状態を作り出しているIPを指す。
たとえば、『スター・ウォーズ』のファンは、必ずしもルーク・スカイウォーカーの物語だけを求めているわけではない。ジェダイやシスが存在し、フォースが流れ、ライトセーバーで戦うあの銀河の世界観にこそ惹かれており、その世界で起こる新たな物語であれば、主人公が誰であっても楽しみたいと思っている。
『ガンダム』『ポケットモンスター』『Fate』シリーズなども同様に、主人公が交代しても、あるいは初代作品の主人公が登場しなくても、ファンはその世界で紡がれる物語に魅了され続ける。これこそが、世界観IPの持つ強さの根源である。
「ワールドビルド」と「ワールドビュー」
ここで、「世界観」という言葉が持つ2つの側面を明確にしておきたい。
一般的にエンタメの文脈で「世界観」と言う場合、それは架空の世界の具体的な設定やルール、すなわち「ワールドビルド」を指すことが多い。『機動戦士ガンダム』におけるモビルスーツやスペースコロニー、『ハリー・ポッター』における魔法の存在などがこれにあたる。
しかし、エンタメにおける「世界観」にはもう1つの重要な側面がある。それは、その世界を「どのように見せるか」「どう捉えるか」という視点や思想、すなわち「ワールドビュー」である。
たとえば、『スター・ウォーズ』では宇宙空間でも爆発音が聞こえる。これは物理的な設定(ビルド)がリアルではないというより、「宇宙をそのように(子供にもわかりやすくドラマティックに)見せる」という製作陣の視点(ビュー)が反映された結果だ。対照的に、ほぼ同時期の『機動戦士ガンダム』は、無重力描写や大気圏突入時の圧縮熱といったリアルな描写を追求した。これは同じ宇宙という舞台であっても、それを「どのように見せるか」というワールドビューが異なっていたことを示している。
世界観の核心は「現実との差異」
フィクションにおける世界観、すなわち「ワールドビルド」の核心は、「現実との差異」にある。現実の世界には存在しないものが、その物語の世界には存在していることこそが、われわれを惹きつける。
『機動戦士ガンダム』の世界にはモビルスーツとスペースコロニーがあり、『ポケットモンスター』の世界にはポケモンが存在し、『アベンジャーズ』の世界にはスーパーヒーローがいて、『ハリー・ポッター』の世界では魔法が使える。この「現実との差異」が魅力的であればあるほど、ファンはその世界にもっと触れたいと感じ、キャラクターやストーリーが変わってもIPは存続しうるのだ。
強固な世界観は、メディアミックス展開においても絶大な力を発揮する。アニメ、ゲーム、小説、実写映画などメディアが変われば、得意とする表現方法も物語の語り口も変わる。しかし、魅力的な世界観という共通の土台があれば、それぞれのメディアに最適化された新しい物語を生み出しながらも、IPとしての一貫性を保つことができる。キャラクターの魅力が特定のメディア、たとえばアニメの作画や声優の声に強く依存してしまうことがあるのに対し、強固な世界観はメディアの壁を越えやすいのである。
世界観を駆動させる「システム」の力
世界観IPが持つ「その世界に戻りたい」と思わせる力は、単に魅力的な背景設定があるだけでは生まれない。その根幹には、キャラクターや物語を半ば自動的に生成する、強固な「システム」の存在がある。
これは私がSF好きで、さらにゲームクリエイターならではの視点なのかもしれないが、強固な世界観IPは、シミュレーション的な発想とセットになっている。世界観とはプログラムにおけるOS(オペレーティングシステム)のようなものであり、あるいはゲームエンジンやプラットフォームと言い換えてもいい。そのOSやゲームエンジンが作り出した世界の中に、キャラクターやストーリーが乗っているわけだ。優れた世界観は、キャラクターたちを動かし、感情を揺さぶり、物語を紡ぎ出すための「ルール」や「仕組み」、すなわち「システム」を内包している。ファンはそのシステムの面白さに気づいているからこそ、たとえ登場人物が変わっても、その世界で起こる新しい出来事を見たいと感じる。
コンテンツの持つ「コアシステム」を見つけ出すことが、世界観IPへの第一歩であり、それを維持すれば、周辺が変化し続けてもシリーズのアイデンティティは保たれるのだ。
『Fate』シリーズの「聖杯戦争」という発明
ゲームにおけるコアシステムの好例が、『Fate』シリーズだ。『Fate』シリーズでは、万能の願望機「聖杯」をめぐり、魔術師(マスター)が、歴史上・伝説上の英雄(サーヴァント)を「召喚」し、「聖杯戦争」というバトル・ロワイヤルが繰り広げられる。第一作にはセイバーや衛宮士郎など象徴的なキャラクターも登場した。
一方で、派生作品において彼らが「同一の属性を持った別人物」として再配置されても、ファンはそれを受け入れ、熱狂している。こうしたストーリーやキャラクターの受容を可能にしている基盤こそ、「召喚」や「聖杯戦争」という優れたゲームシステムなのである。
この聖杯戦争というバトル・ロワイヤルのシステムがあることによって、そこには必然的にドラマが生まれる。異なる時代、異なる価値観を持つ英雄たちが、現代に召喚され、自らの願いをかけて殺し合わなければならない。その葛藤、マスターとの絆、サーヴァント同士の宿命的な対決。これらすべてが、「聖杯戦争」というシステムによって半ば自動的に生成されていく。『Fate』シリーズは、キャラクターや作家までも入れ替えながら無数の物語を生み出しているが、それはこの根幹システムが強固であるからに他ならない。
「甲子園」という究極の世界観システム
突飛に聞こえるかもしれないが、私は日本の高校野球、すなわち「甲子園」もまた、ストーリーとキャラクターを生み出し続ける究極の世界観IPであり、システムによって成り立っていると考えている。甲子園というフォーマットの上に、『ドカベン』もあれば『タッチ』も『ダイヤのA』もある。なぜこれほどまでに多くの物語が生まれ、われわれは毎年熱狂するのか。それは、甲子園が極めてドラマティックなゲームシステムを有しているからだ。
トーナメント制:たった一度の敗北が「終了」を意味する一発勝負の形式。
時間制限:「高校三年生の夏」という、二度と戻らない有限の時間。負けたらチームが「解散」となり、チームメイトはプロ、大学、引退とそれぞれの道を歩み始めるので、同じチームで再び試合が行われる可能性はほぼない。
勝者と敗者の構造:たった一校の勝者と、それ以外のすべての敗者が生まれる構造。ドラマは「勝者の栄光」よりも、むしろ「美しき敗北」にこそ宿る。

このシステムがあるからこそ、毎年キャラクター(高校球児)が入れ替わっても、われわれはそこに新たなドラマを見出し、感情移入する。私のようなゲームクリエイターは、どのような主人公を置いても面白くなるギミック、つまり「ドラマティックな設定」から物語を発想する傾向があり、甲子園はまさにその究極の形に見えるのだ。
これはアニメプロデューサーの平澤直との議論で生まれた理論だが、平澤はさらに、夏の甲子園が日本人にとって「終戦の記憶」のメタファーになっているのではないか、という仮説を提示してくれた。サイレンが鳴り響く真夏に、丸刈りの少年たちが戦いに敗れ、泣きながらグラウンドの土を持って帰る。その姿が、日本人の心の奥底にある「敗北の美学」や判官贔屓の精神性と重なり、国民的な儀式として機能しているのではないかというのだ。
こうした現実の歴史や文化的な背景を世界観に接続させることは、物語に奥行きと深みを与える上で極めて有効な手法となる。
イシイジロウ(著)/日経BP/1980円(税込み)
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