複雑さを増す現代社会の中で、“頭の使い方”への関心が高まっています。テクニックや知識だけでは限界がある今、うまくいくための思考の土台となる「ものの見方」や「世界との向き合い方」をどう鍛えるのかがカギになります。
そこで今回は、読書のプロ・荒木博行さんに、「うまくいく頭の使い方」のヒントを得られる本を選んでもらいました。
荒木さんに選んでもらった本は、幸福研究、神経科学、動物言語学など多岐にわたります。一見バラバラに見える領域ですが、荒木さんが読み解くと、その背景にはある共通点が浮かび上がってきました。ビジネスパーソンのみなさんが、明日の判断と行動をより豊かにするヒントをつかむための5冊をご紹介します。
史上最長の研究が教える「幸福」のカギ
1. 『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』 ロバート・ウォールディンガー、マーク・シュルツ著、児島 修訳、辰巳出版
今回紹介する『グッド・ライフ』は、最近読んだ中でも特に印象に残った本です。テーマはずばり、「人間の幸福とは何か」。この難しい問いの答えを探るための土台になっているのが、ハーバード成人発達研究による、史上最長とされる成人追跡研究です。そのデータ量がとにかく圧巻で、1938年に研究を開始して以来、724人の人生を80年以上、しかも3世代にわたって追い続けてきたといいます。
長い時間をかけて人々の歩みを見つめながら、幸福の分岐点はどこにあるのかを探り続けたこの研究。一人ひとりの人生を追跡していくと、若い頃は輝いていたのに晩年は孤独な最期を迎えた人もいれば、反対に、若い頃は鳴かず飛ばずでも、人生の後半で豊かさや幸福を手にしていく人もいました。そうして導かれた最終的な結論は、「人間関係こそが幸福の決定要因である」というものでした。
そう言われると、“まあそうだよね”と当たり前のように聞き流してしまうかもしれません。でも、よくよく考えてみると、僕らはその「人間関係」を知らぬ間に後回しにしていることにも気づくはずです。
仕事に余白ができたら今度は他の仕事を片付けよう、今のうちにお金の勉強をしよう…と、つい“効率的なこと”に時間を投資してしまう。その一方で、「目の前にいない誰か」とのつながりを後回しにしてしまう場面は、決して少なくありません。僕自身も仕事ばかりに意識が向いてしまい、人間関係のケアに時間を割けていないなと自覚する瞬間があります。
今回の選書テーマは「うまくいく頭の使い方」ですが、もしかすると多くの人が思い浮かべたのは、「仕事をいかに効率的に片付けるか」といった思考術だったかもしれません。でも、本来「うまくいく」ということの定義は、人生というもう少し長い尺度で捉えるべきものなのではないか、とも思うのです。「人間関係こそが幸福の決定要因である」と結論づけた本書は、そんな“当たり前”だったはずの頭の使い方を、僕らに思い出させてくれる貴重な1冊だと思います。
脳の「構造」を知れば、生産性は劇的に変わる
2. 『BRAIN DRIVEN (ブレインドリブン) パフォーマンスが高まる脳の状態とは』 青砥瑞人著、ディスカヴァー・トゥエンティワン
著者の青砥さんは神経科学を軸に様々な挑戦をしている方なのですが、この『BRAIN DRIVEN』で紹介されている「神経科学的欲求五段階」というパートは、まさに“頭の使い方”に新たな気づきを与えてくれる内容でした。
青砥さんは、脳を「延髄」「大脳基底核」「間脳」「大脳辺縁系」「大脳新皮質」という5つの層に分けて、それを“下部(ボトム)”と“上部(トップ)”という2つの機能に整理して説明します。下部に位置するのは、延髄や大脳基底核、間脳といった、より本能的・動物的な領域。体温調整や呼吸、心拍、食欲など、僕たちの無意識の働きを担っています。一方、上部にある大脳辺縁系と大脳新皮質は、人間らしい学習・記憶・思考といった高度な機能をつかさどる場所です。
興味深いのは、「上部の働きは、下部が整っていないと機能しない」という指摘です。やる気が出ない、頭が働かない…そんな状態に陥ったとき、僕らはつい「自分の意志が弱いからだ」と考えてしまいがちですが、実際には“下部の脳に栄養が行き届いていない”ことが原因である場合が多い。だから必要なのは、気合でも特別な工夫でもなく、朝に太陽の光を浴びる、適切な食事を摂るといった基本的な習慣であり、こうした日々の積み重ねが、上部の脳を最大限に働かせる土台になるのだといいます。
さらに面白いのが、ボトムアップとトップダウンのエネルギーの扱い方です。例えば、おなかが空くとドーパミンが分泌されますが、通常はそのエネルギーは「食べる」という行動に向かいますよね。青砥さんは、この“ボトムアップのエネルギー”を、訓練によってトップダウンの行為、つまり仕事や学習に振り向けることもできると説きます。「空腹時の方がパフォーマンスが上がる」といわれる理由や、そのための訓練法も詳しく紹介されていて示唆に富んでいるので、ぜひ読んでみてください。
この『BRAIN DRIVEN』を読むと、僕らが「意志の力でなんとかするしかない」と思い込んでいた多くのことが、実は脳の構造や働き方によって左右されているのだと分かります。脳というハードウエアそのものをどう理解し、どう扱うか。構造を理解したうえで働かせるのか、知らないまま使い続けるのかで、パフォーマンスはまったく違ってくる──そのことを強烈に教えてくれる1冊です。
インプット過多時代の「心の処方箋」とは
タイトルの“自分の薬”というのは物理的な薬のことではなく、実は“日課”のこと。著者の坂口さんは、建築家・アーティストとして知られていますが、自身が躁鬱(そううつ)病であることも公表されていて、その経験から生まれた洞察がこの『自分の薬をつくる』に込められています。
坂口さん自身、躁鬱の症状に苦しんでいた時期に、毎日のルーティン=日課を丁寧に整えることで、自分の状態を安定させることができたといいます。もちろん、薬を飲むというのも、ある意味で「決まった行為を、決まったタイミングで行う日課」ですが、そこから発想を広げて、「自分の心身を整えるための行動そのもの」を“薬”と見なすというアプローチを教えてくれるのがこの本です。
今回の選書テーマにおけるこの本からの発見は、大きく2つあります。1つ目は、自分がどんな状態のときにパフォーマンスが上がるのか。自分自身を観察し、“自分の取扱説明書”を日課という形で組み立てていくことが、自分を守る“薬”になるという発見です。自分の心と体がどう動くのかを知り、それに沿って生活をデザインするという意味では、先ほど触れた『BRAIN DRIVEN』とも通じる部分があるように思います。そして2つ目。ここが特に興味深いのですが、その日課には“アウトプット”が必要だということです。
現代に生きる僕たちは、スマホを開けば情報が無限に流れ込んでくる。間違いなく“インプット過多”の状態です。それに比べて、アウトプットの機会は驚くほど少ない。このアンバランスさこそが、心身の不調を引き起こす要因になっているのだと、坂口さんは指摘します。だからこそ坂口さんは、アウトプットという日課そのものを“薬”として位置づけました。
本書の中で坂口さんが、色々な人の悩みに答えるパートがあるのですが、その対話もまさに、アウトプットを促す会話です。例えば、相談者が「今楽しいことがなくて」と言うと、昔は何をやっていたの? 楽器やってたなら今からやろうよ、いつまでにデモテープを僕に送って——といった感じで、半ば強制的に(笑)アウトプットをさせる。
面白いのは、仕事で生じるアウトプットとは違い、坂口さんが促すアウトプットは“自分の中に眠っている欲求”を引き出すきっかけになっている点です。自分の内側から湧き上がるものを、誰かに向けて外に出してみる。その行為自体が癒やしとなり、やがて日課となり、自分を整える“薬”へと変わっていく。現代はインプット過多で、心が詰まりやすい時代。だからこそ、自分の薬としての“日課×アウトプット”という視点は、「うまくいく」毎日を過ごすための救いになると思います。
「例外」の中にこそ解決の種がある
4. 『POSITIVE DEVIANCE(ポジティブデビアンス) 学習する組織に進化する問題解決アプローチ』 リチャード・パスカル、ジェリー・スターニン、モニーク・スターニン著、原田 勉訳、東洋経済新報社
「ポジティブデビアンス」はあまり聞きなじみのない言葉だと思いますが、日本語では「肯定的逸脱」を意味し、“同じ条件下にいながら、なぜか良い結果を出している少数派”のことを指します。有名な例として紹介されているのが、貧困地域の栄養失調問題です。多くの家庭の子どもが栄養失調に苦しんでいる一方で、一部の家庭だけはなぜか子どもが健康に育っていた。この“例外的にうまくいっている家庭”こそが、ポジティブデビアンスに当たります。
この本は、問題解決や社会変革に向けたユニークなアプローチを紹介しているのですが、注目すべきは「特別な資源があるからうまくいっているのではない」という点です。条件が同じなのに“うまくいってしまう”人たちが必ず存在し、その行動にこそヒントがある。
冒頭の貧困地域の例でも、健康に育っていた家庭を調べてみると、一般的には「子どもに食べさせるべきではない」とされていた川エビや野草を、少量でも日々の食事に加えていたことが分かりました。その“例外的成功”を他の家庭にも広げたことで、地域全体の栄養状態が改善したといいます。
この発想は、ビジネスにも大いに応用できます。たとえば営業チーム全体の成績が低迷しているとき、僕たちはつい“不振の理由”を探りがちです。でも、チームの中に一人だけ好調な人がいたりしますよね。多くの場合「あの人は例外だから」と片付けられてしまいますが、ポジティブデビアンスの視点では、その“例外”こそ、最大の手がかりになり得るのです。
その人がどんな工夫や行動パターンを持っているのか。それを抽出してチーム全体に共有することで、成果が底上げされることがある。そして興味深いのは、優秀な少数派のやり方は、時に既存のルールや常識から“ほんの少しだけ逸脱”している場合があるということ。もちろんコンプライアンス違反は論外ですが、「営業とはこうあるべき」という固定観念の外側に、突破口が隠れていることは珍しくありません。
今はルールや規範に敏感な人が増えていますが、そのことが時に停滞を生むこともあります。だからこそ、ネガティブなマジョリティーの声だけに耳を傾けるのではなく、ポジティブなマイノリティーに意識を向けてみる。その“肯定的逸脱”が、組織やコミュニティーに新しい風を吹き込むことがある。本当に「うまくいく」ためには、多数派のやり方に“ただ乗る”だけではダメだということに気づかせてくれる、刺激的な1冊だと思います。
「見る人」だけが世界の本質に気づく
タイトルからしてユニークな本書ですが、中身はさらに振り切れていて、読んでいて本当にワクワクする本です。著者の鈴木さんの肩書は「動物言語学者」。動物に言葉があるのか? という素朴な問いを学問として追究してしまう、その姿勢にまず引きつけられずにはいられません。
僕らは「言葉を操るのは人間だけ」と思いがちですが、鈴木さんは、鳥が“文章”をつくり、意味を持った言語体系を持っていることを発見してしまう。しかもその研究生活は、どこか楽しげです。
そんなユーモアあふれるエッセーなのですが、僕の中で強烈に焼きついたのは、鈴木さんの「観察力」です。鈴木さんの観察は、僕らが普段思い浮かべる“観察”とは次元がまったく違う。人里離れた場所で何時間も、食事も忘れて、ただただ鳥を見続ける。その徹底ぶりは、もはや「普通じゃない」と思えるほど(笑)。でも、だからこそ見えてくる世界がある。
一方、僕らはどうでしょうか。見たつもり、聞いたつもりで、実は何も観察できていないことが多い。スマホが絶えず刺激をくれるから、“観察している気分”にはなるものの、自分の目で世界を見る時間はどんどん失われています。鈴木さんの研究を読んでいると、観察が“好奇心によって駆動されている”ことがよく分かります。義務や使命ではなく、「面白いから見続ける」。遊ぶように研究して、遊ぶように働く。その“好奇心の純度”が研究を圧倒的に面白くしているのでしょう。
そしてこの本は、これまで紹介してきた本ともつながっている。 『グッド・ライフ』 は80年単位で人生を観察し、 『BRAIN DRIVEN (ブレインドリブン)』 は自分の脳とパフォーマンスを観察する。 『自分の薬をつくる』 は日課とアウトプットを通して内面を観察し、 『POSITIVE DEVIANCE(ポジティブデビアンス)』 は少数派の中の“例外”を観察する。そして最後にこの本 『僕には鳥の言葉がわかる』 が、“観察”そのものの極致を見せてくれる。
もちろん鈴木さんのような観察をまねすることはできませんが、毎日の中で少しだけ“自分の目で見る”という行為を取り戻すだけでも、世界の見え方は確実に変わります。鳥の言葉がわかる——そんな魔法のような響きの裏側には、好奇心に突き動かされた徹底的な観察がある。人間の知性の面白さをあらためて感じる1冊です。
取材・文/金澤英恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集) 編集協力/山崎綾




