多くの人が一度は手に取ったことのあるベストセラー。あるいは、大ヒットドラマや映画の原作となった小説…。読んだことがある、内容も知っている、そんな名著を、少し角度を変えて見つめ直すと、そこに見えてくるのは今を生きる私たち自身の姿かもしれません。

 本をただ“読む”のではなく、“読み返す”ことで見えてくる新たな視点を、荒木博行さんとともに、6冊の本からたどっていきます。

「全身」ではなく「半身」で取り組む意義

1. 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 三宅香帆著、集英社新書

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 三宅香帆著、集英社新書/画像クリックでAmazonページへ
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 三宅香帆さんのこの本は、多くの人がタイトルに「え、自分のこと?」と共感して手に取った一冊ではないでしょうか。僕もさまざまな人に本をおすすめしている中で、「昔はたくさん本を読んでいたのに、最近まったく読めていなくて」と相談を受けることがよくあります。

 面白いのは、この「最近まったく読めていない」という言葉に込められたニュアンス。本を読めていないことへの焦りはもちろんあるのですが、同時にそれだけ仕事が忙しく充実しているという肯定、あるいは多少の自己陶酔を含んでいる場合も少なくないように感じます。

 でも、そんな状況に満足してしまうのは、少し危ういんじゃないか、と僕は思っています。なぜなら、本を読む余裕がないのは、組織や環境に“過剰適応しているサイン”だったりもするからです。

 この本に登場する印象的なキーワードに、「半身(はんみ)」という言葉があります。ビジネスの世界ではいまだ、仕事に「全身全霊」で「フルコミット」することが理想とされがちです。しかし、三宅さんは、労働という営みに対して「半身」で取り組むことを提案します。

 「常識」はものすごいスピードで変化している。生成AI(人工知能)の登場によってコンピューターサイエンスの常識が次々と塗り替えられているように、昨日まで「正しい」とされていた価値観も、あっという間に古びてしまいます。にもかかわらず、目の前の仕事、その世界観に「全身」を預けてしまったら、どうなるでしょうか。組織の思考体系に依存するうちに、自分の頭で考える力を失ってしまうかもしれません。

 これからの時代は、“組織の思考体系にすべてをベットしない”ことが、いっそう重要になってきます。だからこそ、仕事には「半身」で向き合い、個人で読書の時間を持つ。読書をすれば、自分自身の頭で思考する力を養うことができます。僕はこの本を、「思考の主権を取り戻すための一冊」だと思っています。

米国に過剰適応していないか、メタに見る

2. 『新装版 ハゲタカ(上)(下)』 真山仁著、講談社文庫

 真山仁さんの『ハゲタカ』は、ドラマ化や映画化もされた大ヒット作です。外資系ファンドの経営者・鷲津政彦を通して「日本経済の再生」を描いた物語として知られていますが、じっくり読み返してみると、「米国に過剰適応する日本」という構図が浮かび上がってきます。

『新装版 ハゲタカ』 真山仁著、講談社文庫/画像クリックでAmazonページへ(リンク先は「上」)
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 主人公の鷲津は、ニューヨークの投資ファンドを率いる経営者。外側は日本人だが、内側には米国的な合理主義を宿しています。僕自身、ビジネススクールを運営してきた経験からも、「米国のやり方こそ正しい」という前提が、僕たちの思考に深く刷り込まれていると実感しています。けれど実際には、米国は常に自国の利益を最優先に動き、都合のいいことを「正義」と呼んで押し付けてくる——そんな側面もあるのです。

 それなのに、バブル崩壊以降の日本は「米国に教わって復活した」という物語で語られることが少なくありません。それは、米国がつくり出したストーリーにすぎないのに、です。なぜ僕たちは米国に、過剰に適応してしまうのか——そんな問いを、『ハゲタカ』は静かに突き付けてきます。

 例えば、トランプ関税をめぐる動きも、結局は「自国の利益を最優先にしたディール」にすぎません。良くも悪くも、米国は常に“自分たちの軸”で動いている。本来、僕らも相手を模倣するのではなく、“どう付き合うか”という視点で考えるべきだと思うのです。真山さんが『ハゲタカ』で描いたのは、まさに「米国をメタに見る日本人」になるための問いかけではないか。最近の米国と日本の関係を見ていると、改めてその視点の重要性を痛感します。

 メタな視点を失った瞬間、思考は停止してしまいます。三宅さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でも学んだように、どんな環境の中でも「半身」で向き合うこと。思考の主権を取り戻すこと。それが、真山さんが示した僕たちへの警鐘なのだと感じました。

 「米国は正しい」という前提は、ビジネスの世界に深く根づいています。米国発のベストセラーやビジネス書は数多くありますが、そうした本を読むときこそ、米国に過剰適応しないためのリテラシーが問われているのだと思います。

テクノロジーによってこそ、自然と共生できる

3. 『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』 安宅和人著、NewsPicksパブリッシング

4. 『「風の谷」という希望――残すに値する未来をつくる』 安宅和人著、英治出版

『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』 安宅和人著、NewsPicksパブリッシング/画像クリックでAmazonページへ
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 安宅和人さんの『シン・ニホン』は、2020年に刊行されて大きな話題を呼んだベストセラーです。“AIやデータサイエンスによって日本をどう変革していくか”というテーマは、まさに時代を射ぬくものでした。刊行から5年。生成AIが暮らしに浸透した今、改めてこの本を手に取るとき、同時に注目したいのは、続編として書かれた安宅さんの新著、『「風の谷」という希望』(2025年7月刊行)の存在です。

『「風の谷」という希望――残すに値する未来をつくる』 安宅和人著、英治出版/画像クリックでAmazonページへ
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 『シン・ニホン』で描かれたのは、「テクノロジーで社会をどう変えるのか?」というHowの物語でした。一方、新著の『「風の谷」という希望』では、「社会はなぜテクノロジーを追求するのか?」というWhyが問われています。効率や成長を突き詰めた先に、我々はどんな社会を望むのか。安宅さんは、都市と自然が共存するためにこそテクノロジーが必要だ――という、これまで対立的に語られがちだった2つを、2冊の本を通じて橋渡ししようと試みています。

 安宅さんが伝えたいのは、単なる環境論や地方創生の話ではありません。僕自身、北海道・浦幌町のまちづくりに関わる中、テクノロジーがもたらす効率化の裏で「では、その先のビジョンは何か?」を問われる場面に何度も直面してきました。労働人口の減少や人手不足という課題は、浦幌町に限らず地方の至る所が直面している。そうした課題をAIやロボットで“解消”できる部分もあるでしょう。でも、安宅さんが問うのは、「その先のビジョンまで想像できているか」ということなのです。

 これからの日本には、“風の谷”的な視点――つまり、テクノロジーに傾倒するだけでなく、自然や生命の感覚をどう取り戻すかという視点が不可欠になっていく。『シン・ニホン』は、その問いの出発点に立つための本であり、テクノロジーの「その先」を考えるとき、今こそ読み返す価値のある一冊だと思います。ぜひ、『「風の谷」という希望』と合わせて読んでみてください。

結局、「意志」は「縁」によって導かれる

5. 『国宝(上)(下)』 吉田修一著、朝日文庫

『国宝』 吉田修一著、朝日文庫/画像クリックでAmazonページへ(リンク先は「上」青春篇)
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 吉田修一さんの『国宝』は、歌舞伎の世界を舞台にした壮大な人間ドラマです。映画の大ヒットで改めて注目されていますが、原作では、映像では描ききれない、より深いテーマが見えてきます。物語の中心にいるのは、任侠(にんきょう)の一門に生まれた青年・喜久雄。上方歌舞伎の名門の当主に引き取られ、歌舞伎の世界に入った彼は、任侠の血という運命にあらがうように、自らの「意志」で芸を極めていきます。

 その象徴的な場面が、神社での祈りのシーンです。自分の娘に「何をお願いしたの?」と無邪気に聞かれ、喜久雄は「ただ芸がうまくなりたい、他には何もいらない」と願い、「悪魔と取引した」と答えます。子どもの前で、芸以外は何もいらないと言いきる残酷さには、芸に人生をささげる覚悟と痛みがにじんでいました。喜久雄と一緒に稽古を積んできた、上方歌舞伎の名門の御曹司で血筋というアドバンテージを持つ俊介とは、対照的な存在です。

 この物語の核にあるのは、「意志」か「縁」か、という対立です。血脈という「縁」に縛られず、自分の「意志」で道を切り開く。そんな喜久雄のような生き方に、僕たちは共感しがちです。けれど吉田さんが描くのは、それだけではありません。喜久雄は結局、逃れようとしていた任侠の血に導かれ、過去と向き合いながら生きていく。つまり、「意志」もまた「縁」の作用によって形づくられるものなのです。

 僕はこの構図に、どこか仏教的な世界観を感じます。人は自分の「意志」で生きていると思いながらも、実は無数の「縁」によって生かされている。「意志」と「縁」は対立ではなく、重なり合って存在している。『国宝』は、その事実を静かに突き付けてくる小説です。

 特に若い人たちは、自分の意志でなんとかしようと懸命に生きています。でも、その裏には、これまで自分が育った環境や、人との関わりの影響が必ずある。だからこそ、それらを拒むのではなく、受け入れてみることも大切なのではないか。そんなことを、この作品は静かに教えてくれているように思います。

スマホによって鮮明化する「理性」と「欲望」

6. 『スマホ時代の哲学 増補改訂版』 谷川嘉浩著、ディスカヴァー携書

 SNSを眺めていて、気付かないうちに“誰かの価値観”の中で動かされている自分にハッとする瞬間はありませんか? 今、見ているものは、本当に自分が見たいと思ったものなのか。それとも、流れてきたから見ただけなのか。そんな小さな積み重ねのうちに、他人がつくった「好き」が、いつの間にか自分の「好き」になっている。そうした僕たちの無自覚な「理性」と「欲望」に哲学の光を当ててくれるのが、谷川嘉浩さんの『スマホ時代の哲学』です。

『スマホ時代の哲学 増補改訂版』 谷川嘉浩著、ディスカヴァー携書/画像クリックでAmazonページへ
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 この本は、スマホという現代的な題材を通して、実は人間が昔から抱えてきた根源的なテーマを描いています。理性とは何か。欲望とは何か。僕たちはそれを二項対立として語りがちですが、実際にはその境界はとても曖昧です。

 「好き」という感情一つをとっても、それが本当に自分の内側から生まれたものなのか、それとも他者がつくった価値観に影響されたものなのか。その区別は簡単ではありません。谷川さんは、そうした「境界の曖昧さ」こそが、スマホ時代を生きる僕たちの哲学的な課題だと示しています。

 人間は常に「自分」と「社会」の間で揺れ動いてきました。社会の価値観に影響されながら、自分の理性で「自分らしさ」を確立しようとする。その“自分らしさ”とはいったい何なのか。結局のところ、社会的動物である僕たちは、社会という土壌の中でしか自分を形づくれないのかもしれない。しかも、他者に影響される「欲望」とのせめぎ合いは、今スマホというテクノロジーによってより苛烈になっています。

 とはいえ、この「理性」と「欲望」には、実は明確な分かれ目など存在せず、僕たちが勝手に線を引いているだけなのかもしれません。僕たちはそれを、つい二項対立で捉えてしまいがちです。そしてこの構図は、三宅さんの「全身と半身」や、真山さんの「米国と日本」、吉田さんが描いた「意志と縁」、安宅さんが示した「テクノロジーと自然」、とも地続きにあります。

 物事を二項対立で捉えることはたやすいですが、その境界の間(あわい)を見つめていくことでこそ、初めて見えてくる景色があるのだと、この6冊は教えてくれます。

取材・文/金澤英恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集) 編集協力/山崎綾