「頭がいい人とそれ以外の人の違い」について、偏差値35から東京大学に合格した僕(西岡壱誠)が考える本連載。引き続き、世帯年収300万円台の家庭から、東大に合格した布施川天馬くんに話を聞きます。布施川くんの過去の発言で、僕にとって印象的だったのは「東大に合格しなかったら、子供をつくろうと思えなかった」というもの。その言葉の背後に、どんな考えがあったのでしょうか?
西岡壱誠(以下、西岡):僕と布施川くんは、お互い、東大生として知り合って、当時も今も、僕らにはまだ子供はいないわけですが、布施川くんが以前、「東大に合格して、東大に進学しなかったら、子供をつくろうとは思えなかった」と言っていたことがあって、すごく印象に残っているんですよね。
布施川天馬(以下、布施川):自分は、子供の人生に対して、金銭面で責任をちゃんと持てるようになるまで結婚したり、子供をつくったりしないようにしようと考えていました。
西岡:お金で苦労させるくらいだったら、最初から子供をつくらないほうがいいんじゃないか、という話でしょうか。今の布施川くんの言葉は、様々に解釈できると思うのですが、お金がないところから、あがけるだけあがいたからこそ、今がある布施川くんにとって、その考え方は、ある種の自己否定というか、「自分の人生の否定」になっているのではないかと思うのです。そのあたりはどうですか?

親が子供に注げるのは、お金と愛情の2つだけ
布施川:親が子供に注げるものって、お金と愛情の2つしかないと思うんですよ。だから、お金がないんだったら、ひたすら愛情を注ぐしかない。
僕の家にはお金がなかったけど、僕は、親からめちゃくちゃ溺愛されて育ったから、自分で言うのはなんですけど、それなりにまっすぐ育ったと思うんですよ。これで愛情もなかったら、僕はきっと、毎日、昼間からパチンコ店に入り浸っているような大人になったと思うんです。それが毎日パチンコ店じゃなくて東大キャンパスに入り浸れるようになったのは、ちゃんと親からの愛情があったからだと思うんですよね。
ただ、愛情があるのは最低限の問題で、愛情とお金が必要なんですけど、お金がないなら、せめて愛情だけでもという話です。うちに愛情があったからといって、僕が私立大学に行けたかといったらそういうわけでもない。
西岡:確か、布施川くんには、進学の選択肢として音大も考えていたとか。
布施川:そうです。音大に行きたい気持ちもありましたが、めちゃくちゃお金がかかるので、断念しました。
西岡:その経験も、もしかしたら布施川くんの人生に少し影響があったのかもしれませんね。「東大に入らなかったら、子供をつくろうとは思えなかった」という発言の背後には、「自分の子供が進みたい方向に進めるようにしたい」という思いがあって、その思いが、東大を目指す原動力にもなったかもしれないと考察しています。
布施川:そういう見方もあるかもしれませんね。僕は結果的にはこの道を選んでよかったと思いますよ。勉強が得意だったから、東大くらい行けると思ったし、稼ぎたいと思っていたし、稼ぐんだったら東大に行ったほうがいいと自分のなかで自然につながったからよかったです。
でも、自分が、もしも「いや、俺はどうしても音楽で食っていきたいんだ。だからどうしても音大を目指したいんだ」みたいな人だったら、相当しんどい思いをしただろうと思います。そう考えると、子供をつくるのならお金が必要、ということですね。
クリスマスには間に合わなくても「ニンテンドーDS」
西岡:なるほど。お話を聞いていると、布施川くんの場合、「愛されて育った」というのがキーポイントで、メンタルの強さや勉強にも生きているのかなと思います。どんなところで、親に愛されていると実感したのか、具体的な経験はありますか?
布施川:うーん……。クリスマスや誕生日に「あれが欲しい」と言ったものは必ずくれたことですかね。クリスマス当日には間に合わなくても、数週間後とか、数カ月後には必ず、もらえました。
西岡:欲しいものというのは、例えば?
布施川:「ニンテンドーDS」とかですね。金銭的には全然恵まれていなかったはずなんですよ。月に数万円どころか、数千円も自由なお金がなかったはずなんですけど、「あれが食べたいな」って言ったら、手作りして必ず出してくれたし。
だから僕、中学生ぐらいまで自分の家は中流家庭だと思っていたんですよ。家に電子レンジもあるし、洗濯機もあるし、冷蔵庫もあるし、家電は一通りそろっていて、何不自由なく暮らしていて。実は借金がめちゃくちゃあって、世帯年収300万円台だったんですけど、僕の視点ではそんなこと全然、分からないから、どの家も同じようなもんだと思っていました。
自分の家はマンションの一室で、あの人の家は一軒家で、一軒家の人はお金持ちなのかなあ、くらいは思っていたんですけど、じゃあ自分の家が貧乏だと思いますかと聞かれたら、違うと答えたと思います。
今考えると、確かに家族旅行は一度もしたことなかったし、外食も全然なかったです。外食は1年に何回か、行っても「サイゼリヤ」とかで、そういうところに低所得世帯の片鱗(へんりん)を感じさせるものはありましたね。高校に入るまで「サイゼリヤ」って結構値が張るお店だと思っていました。
西岡:物理的にもそこそこ満たされていたから、「愛されて育った」と。
「これくらいでは褒めないのか」という衝撃
布施川:精神的なところで言うと、何をやっても褒められたというところに尽きますね。本当に何をやっても「偉い」とか「すごい」とか「よくできる子」から話が始まって、「なんでこんなこともできないの?」だなんて1回も言われたことがない。
西岡:こんなことでも褒められた、みたいな具体例はありますか?
布施川:なんだろうなあ……僕にとっては当たり前すぎて、実はあまり思い当たらなくて。
逆に、世の中の親御さんを見ていて「これくらいでは褒めないんだ!」って、驚くことはいっぱいあります。家庭教師や塾講師のアルバイトをしていて、例えば、テストで平均点を取った子供に「あとちょっとだったね」って言う親御さんを見ると、「ああ、『あとちょっとだったね』って言っちゃうんだ」「良くないなあ」って思います。子供と一緒に普通に暮らしていたら、いくらでも褒めるポイントがあるのに、どうしてこの人たちは褒めないのかなって、思うことはたくさんありますね。
僕自身は、親から褒められることに慣れていて、褒めるハードルの低さも親から受け継いでいる。だから、自分が教えている子供が平均点を取ったら、「すごいね」って、まず思うし、周りの大人たちが「なんでこんな問題もできないの」みたいなことを簡単に言っちゃうのが本当に理解できない。
西岡:なるほどなあ。褒めるというのは、すごく重要なことなんでしょうね。
(次回に続く)
[日経ビジネス電子版 2024年1月19日付の記事を転載]
西岡壱誠(著)、日経BP、1760円(税込み)
