2024年2月から2025年3月まで日本経済新聞朝刊で連載された小説『登山大名』(諸田玲子著、日本経済新聞出版)が刊行された。主人公である岡藩3代藩主・中川久清は「入山」と号し、大船山に人馬鞍(くら)に乗って登山し、自らの墓を大船山に築かせるほど山を愛したという。当時の岡藩を取り巻く環境や、久清の人物像を竹田市歴史文化館・由学館の佐藤晃洋学芸員が解説する。

大きな瞳、高い鼻、彫りの深い顔に濃い髭が印象的な肖像画。描かれているのは、豊後国(現在の大分県)岡藩7万石の3代藩主中川久清(1615~1681)。久清の肖像画は、寛文6年(1666)に隠居した後に描かれている。存命中に描かれたことから、描かれている久清の容貌は本人が認めたものと考えられる。
この中川久清が小説の主人公となった。諸田玲子氏の『 登山大名 』(日本経済新聞出版、リンクは上巻)である。久清とはどのような人物で、小説の主人公になるようなエピソードがあったのであろうか。「中川氏御年譜」等の史料をもとに久清の生涯を見てみよう。
久清は、岡藩2代藩主・中川久盛の長男として、慶長20年(1615)正月10日、京都伏見で誕生した。母は侍女の安井忠右衛門娘。ただし、幕府への届は、正室の松平隠岐守定勝(さだかつ)娘・万となっている。幼名は津九。
久清は、幼少期を伏見や江戸で過ごした。岡(現在の大分県竹田市)へは、寛永5年(1628)正月、久盛とともにはじめてのお国入りした。
承応2年(1653)、久盛の死去により久清が跡を継ぎ、岡藩3代藩主となった。翌年、久清は参勤交代で岡に戻り、早速、藩政改革をスタートさせた。家老や奉行等へ御条目(ごじょうもく=箇条書きにした守るべき決まり)を示し、家老や奉行等の職務の明確化を図るとともに、合議による藩運営の仕組みを作った。また、異国船が日本近海に出没していることを理由に、承応4年(1655)から藩の軍制強化にも取り組んでいる。火器の整備に力を入れ、軍事訓練を行ったと伝えられている。
明暦3年(1657)には、領内に69か条の本格的な藩法令を発布した。領民の衣食や生活のあり方、年貢納入の完納、領民同士の相互扶助等、細かく規定した。岡藩における以後の藩法令の基本とされた。また、久清は、万治元年(1658)から翌年にかけて、菱竿(ひしざお)を使用した新しい手法による領内の正確な検地を実施し、年貢などの増量に努め、藩財政の安定化も図った。万治3年(1660)には、久清は若き日に師事した陽明学者の熊沢蕃山(ばんざん)を岡山藩より招聘(しょうへい)して、その献策により植林や水路開削、郷村制度の強化を行った。
寛文4年(1664)には、久清は岡城に「西ノ丸(御殿)」を完成させ、本丸から移った。本丸・ニノ丸・三ノ丸の機能を集約した最大の曲輪(くるわ)で、政務などが効率的に行われるようになった。翌年、久清は完成したばかりの西ノ丸に領内の大庄屋64人を呼び出し、領内支配について直接申し渡した。庄屋たちは久清からの直接の申し渡しに感激したという。
久清は、キリシタンの取り締まりにも力を注いでいる。江戸幕府が慶長18年(1613)に全国に出した禁教令に基づき、岡藩でもキリシタンの取り締まりが行われていた。そのような中、万治3年(1660)に「豊後崩れ」といわれる豊後国各地で大量のキリシタンとされた人々が捕縛(ほばく)される事件が発生した。久清は、長崎から踏み絵を借用して絵踏を行い宗門改めの徹底を図った。捕縛された人々は、長崎などに送られ収監または処刑されたほか、送られずに岡城下の牢に収監された人々もいた。久清は、寛文5年(1665)に切支丹奉行を任命し、キリシタンの嫌疑を受けた人々を専用の牢舎に収監した。
このように積極的に藩政運営に取り組んだ久清ではあったが、「中川氏御年譜」には興味深いエピソードも記されている。例えば、明暦2年(1656)に徳川家康が調合したことで有名な薬「烏犀円(うさいえん)」を調合しようとして、大きな事件になったことが記されている。「烏犀円」調合のために「狐ノ肝」を領内から集めようとした際、狐が領内の子どもの生き胆を抜くという虚説が広がり、領内の多数の百姓男女が他領に逃散したというのである。この事件が府内目付から幕府に報告されたが、久清が事態の収拾とともに親類に当たる大名などに連絡しておいたことにより事なきを得たというのである。
また、久清は、足が不自由だったといわれている。そのため、甲冑師の春田派が欅(けやき)板で製作した「人馬鞍」と呼ばれる鞍を屈強な男性に担がせて、大船山登山や領内の視察を行っていた。久清は、寛文6年(1666)に老齢を理由に長男久恒に家督を譲って隠居した。その後も実権は掌握していたと言われている。そして、大船山中腹1300mを超える台地上に墓所を定めた。
天和元年(1681)11月初旬、久清は江戸からの帰国途中に発病し、11月20日に岡城にて逝去した。享年67歳。
フィクションであるからこその知られざるドラマ
このような生涯を送った久清は、地元では「岡藩中興の英主」と称されている。しかし、全国的に有名とは言えない。名前も知らなかったという人も多いであろう。このような人物が、小説の主人公となりうるものであろうか。そのような思いも抱きつつ、小説『登山大名』を手に取ると、同時代の有名な人物や事件が大きく関わっている。点でしかなかった久清の時代の史実一つひとつが、想像力を広げて線として繋(つな)がれていき、さらに面となることで小説『登山大名』の世界が構築されている。そこには、フィクションであるからこその知られざるドラマが生まれ、久清の視点でその時代が描かれ、久清をはじめ登場人物たちがその時代を精いっぱい生き生きと躍動していた。
竹田市歴史文化館・由学館では、『登山大名』とのコラボレーション企画として「中川久清の時代と『登山大名』の世界」展(2025年8月30日~10月19日)を開催している。「中川氏御年譜」や久清の肖像画、「人馬鞍」などの各種資料により久清の足跡やその時代をたどるとともに、安里英晴氏が描いた新聞連載時の挿絵原画を並べ、解説パネルにより『登山大名』の登場人物やストーリーを紹介した。展示の準備をする中で、改めて虚と実の出合いを楽しむことができた。
題材の新しさや面白さとともに史実に基づくフィクションが盛り込まれた『登山大名』の世界を、ぜひお楽しみいただきたい。
「中川久清の時代と『登山大名』の世界」
会場:竹田市歴史文化館・由学館
大分県竹田市竹田2083
2025年8月30日(土)~10月19日(日)
開館時間:9:00~17:00 ※最終入館は16:30まで
休館日:毎週木曜日
天下をゆるがした島原の乱の余燼がくすぶり、幕藩体制が盤石ではなかった時代。見えない敵と戦ってきた豊後・岡藩主が目指した理想郷とは? 大名はなぜ山に登ったのか?
諸田玲子著/日本経済新聞出版/各2200円(税込み)

