稀代の経営者、稲盛和夫氏の逝去から3年。今なお信奉者が多い稲盛氏とは何者だったのか。稲盛氏自身が手本と仰いだ江戸時代後期の農政家、二宮尊徳の生き様と重ね合わせ、稲盛哲学の真意を深掘りした『稲盛和夫と二宮尊徳』から、その内容の一部を抜粋して紹介する。第3回は2人が思想の根本とした「純粋できれいな心」について。
思想を1本の木に見立てると、まず土壌があり、そこに張る根がある。土壌には幼い頃からの経験、学んだ知識など、生まれてからの雑多なものが混ざっているとしよう。根はそこから思想形成に必要な水分、養分を吸い上げ、幹を作り、枝葉を広げ、思想の花を咲かす。どのような木になるかは、まず根っこが決める。
稲盛はそれを「純粋できれいな心」と言い、尊徳は農民出身らしく「美しい心田」と表現した。つまらない表現だろうか。そうであれば、今の社会はここまで利己的で、荒(すさ)んだものになってはいないはずだ。
稲盛はすべては心が決めると語り、それは絶対法則だとまで言い切った。自著『心。』(サンマーク出版刊、2019年)で、こう書いている。
「純粋で美しい心をもって事にあたるならば、何事もうまくいかないものはない。つねに心を磨き、自己を高めつづけていれば、いかなる苦難に見舞われようと、運命はかならずやさしく微笑(ほほえ)み返してくれる」
こうも言う。
「今日にいたるまで、私の人生はつねに〝心〞について探求を重ね、また自らに心のありようを問いつづける日々でした。いかに生きるかという問いは、すなわちいかなる心をもつかと同義であり、心に何を描くかが、どんな人生を歩むかを決定します」
人生の根っこに「純粋できれいな心」を張ったのは、小学生の頃に患った肺結核がきっかけだったと振り返る。当時、結核は死の病と恐れられた病気で、自分はこのまま死ぬのではないかと怯(おび)え、ひどく落ち込んだという。だが、たまたま近所の人に病床で読むよう薦められた宗教書に心を奪われた。
そこには、どんな災難もそれを引き寄せてしまうのは人の心だと書いてあった。当時、稲盛家では同居していた叔父が結核に罹(かか)っていたが、両親や兄は嫌な顔ひとつせず看病した。ところが、自分は結核を怖れるあまり、叔父を忌み嫌うかのように鼻をつまんで叔父のそばを通り過ぎていた。結果、結核に罹ったのは家族で自分だけだった。
これだけだと因果応報を恐れる子供っぽい話となるのかもしれない。だが、稲盛はその後の受験失敗や大学を出て入社した松風工業での苦難を経て、「運命は自分の心次第」という考えを確信し、生き方の根っこに置いた。
京セラの経営では、顧客との間でも社内の仕事でも、心と心で結ばれた強い信頼関係を築けと説き続けた。経営方針の演説が霊魂の存在論で始まり、心の構造論でほぼ終わってしまうことすらあった。部下の登用でも、才気走ったエリートより心の純粋な者を選んだ。
思い返すと、稲盛の最初の著書は1989年、昭和が平成に切り替わる年に出した『心を高める、経営を伸ばす』(PHP研究所刊)だった。他界する3年前、最晩年の2019年に出版されたのが前述の『心。』だ。その最終章「美しき心根を育てる。」で稲盛はこう締めくくっている。
「いかなるときも自分の心を美しく、純粋なものに保っておくということが大切です。それこそが自分の可能性を大きく花開かせる秘訣(ひけつ)であり、幸福な人生への扉を開く鍵なのです」
心に始まり心で終わった稲盛の著作人生は、思想家・稲盛の根っこが心の純粋さにあった何よりの証左である。
心田を耕す
心田を耕す――。尊徳が遺(のこ)した最も美しい言葉の1つだろう。福住正兄の『二宮翁夜話』(佐々井典比古・訳注、致知出版社刊、2018年)にはこうある。
幕府からいずれ正式に日光仕法を命じるので、とりあえず仕法書(プロジェクト計画書)を事前に提出せよと言われた時、尊徳が不満げに語った言葉。
「私の本願は、人々の心の田の荒蕪(こうぶ)を開拓して、天から授かった善い種、すなわち仁義礼智というものを培養して、この善種を収穫して、又まき返しまき返して、国家に善種をまきひろめることにあるのだ」
弟子たちは師の念願だった日光の仕法を幕府が認めたことを祝ったのだが、照れ隠しか、自分がやりたいのは日光の再開発そのものではない、人々の心の開拓なのだと言った。
こうも続けた。「一人の心の荒蕪が開けたならば、土地の荒蕪は何万町歩あろうと心配することはない」。
耕し方については斎藤高行の『二宮先生語録』(佐々井典比古・訳注、致知出版社刊、2020年)に出てくる。「土地を耕すには、一度に一鍬(くわ)ずつ掘り起こすのが限度である。いくら力のある人でも、一度に二鍬ずつ掘りおこすことはできない。もし無理にそんなことをしようとすれば、農具をこわすばかりでなく、からだも傷つけてしまう」。
人の心は一夜にしては直らない。少しずつ、少しずつ掘っていくしかない。これは一家離散の後、少年期に身につけた積小為大の考えに基づく。小さなことを面倒くさがって大きなことを望む者に成功はない、との教えだ。
桜町仕法に取りかかった頃、まだ40歳そこそこの尊徳は怒りっぽかった。村々を巡回し、さぼっている者はもちろん、疲れからやむを得ずひと時の休息を取っている老夫にも瞬間湯沸かし器のように怒ったという話が残る。尊徳からすれば、ほかの者も疲れているのに働いている。あなたも早く仕事に戻ったらどうだと諭したつもりだったが、当人にはそうは伝わらない。尊徳自身、こうした短気を直すのに一歩一歩、相当の時間がかかった。
桜町3村の仕法で尊徳は復興が思うように進まないのは、人々の心にやる気を起こすことができない自分のせいだと初めて気づいた。以来、尊徳は仕事でも、自分の人生でも心田を耕すことに心血を注いだ。
12歳までに四書を読み込んだといわれる尊徳の心田論は、孟子の「志は気の帥なり 気は体の充なり」から来たとする研究もある。人の心にやる気と目標を持たすことができない限り、農地復興などほど遠い。これが600余村の復興に携わった尊徳の根っこになった。
尊徳は誰よりも早く田畑に出て、誰よりも遅く家に帰った。尊徳が曙光、夕焼けを見ながら、鍬鋤を手にひたすら仲間と自分の心を耕したことを考えると、今の時代、今一度、自分の心と真正面から向き合う必要を感じざるを得ない。
井上裕著、日経BP、2420円(税込み)


