稀代の経営者、稲盛和夫氏の逝去から3年。今なお信奉者が多い稲盛氏とは何者だったのか。稲盛氏自身が手本と仰いだ江戸時代後期の農政家、二宮尊徳の生き様と重ね合わせ、稲盛哲学の真意を深掘りした『稲盛和夫と二宮尊徳』から、その内容の一部を抜粋して紹介する。第2回は尊徳が「度を越した善人」だった父親から受けた影響と人生訓。

 幼少期の影響はまず親から来る。尊徳の場合は父・利右衛門から得た教訓が良きこと、悪(あ)しきことを合わせて大きかった。

 体が弱かった利右衛門には、仕事よりむしろ読書や人との語らいが好きな趣味人の一面があった。2町3反2畝の中級農民の頃から施し癖があり、請われると気前よくカネを貸していた。村で困っている農民がいると喜んで助けた。尊徳一家が生活苦に陥る中でも利右衛門の施しは続いた。要は、度を越した善人だったのだ。

 初めは父の理不尽に納得ができず、訝(いぶか)っていた尊徳も、次第にその良心の尊さに気づいていく。こんな話がある。

 生活苦に病気が重なった利右衛門はある時、切羽詰まって田畑の一部を売り、それでつくった2両を薬代にと村医者を訪ねた。しかし、その医者はカネを頑として受け取らない。村人が困った時、あなたが施しをしてきたことを私は知っている。貧富は水車のようなもので廻り、巡る。今はあなたが困っているのだから私は受け取らない。いつかあなたに富が巡って来たときにいただきましょう、と。

 これを知った尊徳は、見返りを求めず人のためにしたことは必ず返ってくる、と幼心に刻み込んだ。見返りを求めず人のために。まさに稲盛の利他の精神そのものだ。

 この村医者の一件は、尊徳の死後に一番弟子と言われる富田高慶が著した『報徳記』に詳述されている。徳を以(も)って徳に報いる。報徳は尊徳思想そのものだ。子供には大人にはない、あるいは大人が失った感受性がある。物事の本質を大人より鋭く見抜く。尊徳12歳、報徳思想の芽生えだった。

 面白いことに、子供は感じたことをすぐに実行に移す。この頃、尊徳は病床の父に代わって、酒匂川の護岸工事に出ていた。

 だが、そこはやはり子供。工事現場では大人のようには働くことができなかった。

 何か埋め合わせをしなければ申し訳がないし、気が済まない。そこで始めたのが寝る時間を削っての草鞋(わらじ)作りだった。

片方だけの草履と松の苗と

 明治が近づいていたとはいえ、当時の日本はまだ鎖国。農家に靴はなく、仕事に出るにも何をするにも草鞋は必需品だった。草鞋なら皆さん喜んで貰(もら)ってくれるだろう。暇を見つけては草鞋作りに励んだが、1つ悩みがあった。自分は差し上げたいのだが、手渡しでは売りつけているようで具合が悪い。そこで、道端にさも落としたかのように置いてみたのだが、忘れ物と思い、誰も持っていかない。そうか、片方だけを置いておけば、捨てたと思い拾ってくれるに違いない――。

 この涙ぐましい、いささか的外れの工夫も、じきに尊徳の所業だと村人の知るところとなる。村人たちは笑い、感心し、さすが善人、利右衛門さんの息子だと最後は草鞋を買ってくれるようになった。そのカネで酒を買い、酒好きだが酒代に困っていた父にふるまった時、利右衛門は感極まっておいおい泣いたという。

 代金を得たという意味では、草鞋作りが尊徳の最初の仕事だったのかもしれない。善人の金さんは、時に滑稽にも見えるそのど真剣さで、次第に村の人気者になっていく。

 護岸工事での自分の非力さの埋め合わせにと尊徳がやったことは、もう1つある。13歳で子守りの仕事を得た時のことだ。200文を貰い、それで買ったのが200本の売れ残りの松の苗だった。その松を酒匂川の堤防に植えた。

 堤防の松林は現代の私たちも見慣れた風景だ。松の根が瘦せ地や湿地、乾燥の悪条件に耐える力を持っているからで、尊徳もそれを知っていた。雨天で工事現場の手伝いに出ない日も、松苗が無事に育っているか、1本1本堤防を見て回った。そこで付いたあだ名が「土手坊主」。貧しいが、村人に愛されていた。

 尊徳の読書好きも明らかに父の影響だった。極貧生活で尊徳は寺子屋にも通うことができなかった。それなのに、今でいえば普通の子供が小学校を卒業する12歳の頃には、寺子屋に通った子と同等か、それを上回る知識を身につけていた。尊徳の読書は6歳には始まったといわれる。

 実際、利右衛門はかなりの蔵書を持っていたようだ。生活苦から手放した本も多かったが、「論語」「大学」といった儒教書や手紙の慣用語句を集めた「消息往来」、江戸期の代表的農書「農業全書抜粋写本」などは利右衛門の死後にも残った。

 尊徳は庶民向けの教訓書「実語教」や子供に道徳を説いた「童子教」など、当時一般的に用いられていた教科書も繰り返し読んだ。こうした書物は利右衛門から薬代を受け取らなかった村の医師や鎌倉期から村にある曹洞宗の古刹、善栄寺の和尚から薦められたとされる。善栄寺は二宮家の菩提寺で、尊徳の遺髪も埋葬されている。

 寺子屋に通えなかった尊徳が読み書きできたのは、母・よしのお陰(かげ)でもある。一通りの読み書きや算術ができたよしは、火鉢の灰や箱に入れた砂の上に棒で文字や数字を書き、尊徳に教えた。母は母なりに自分にできることで尊徳を立派な人間に育てようと必死だったのだ。

善栄寺(小田原市)にある二宮金次郎「少年勉学の像」(写真:井上裕)
善栄寺(小田原市)にある二宮金次郎「少年勉学の像」(写真:井上裕)
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利他の心で“ど真剣”に生き、働くことが人生の価値を高める唯一の道――。この信念こそが、「稀代の経営者」稲盛和夫氏の哲学の根幹です。逝去から3年。いまだに信奉者が多い稲盛氏の思想を、氏自身が手本とした「ど真剣の元祖」二宮尊徳の生き様と重ね合わせて深掘りします。自己利益と効率だけを追求しがちな今、ビジネスパーソンが立ち返るべき人生、仕事の向き合い方とは。経営学者、楠木建氏の解説も必見です。

井上裕著、日経BP、2420円(税込み)