『世界地図の中で考える』(新潮選書)は、「現実主義者の平和論」でさっそうと論壇デビューした政治学者の高坂正堯(まさたか)が、1968年に刊行した珠玉の文明論だ。当時、中国では文化大革命、米国によるベトナム戦争、国内では学園紛争の嵐が吹き荒れていた。同書は、5カ月滞在したオーストラリアのタスマニア島から見た洞察に始まり、終始、深い歴史観に基づく記述が連なる。グローバル化のきしみ、環境問題、人工知能(AI)など、現代の喫緊の課題を考える際にも、高坂の書物は道しるべになるだろう。

 透徹した史眼

 「ユダヤ人は偉大な民族ですが、国をつくると狂信的でありすぎるのかもしれません。現在イスラエルが中東でやっていることを見ると、気が気ではありません」

 これは現在のイスラエルとハマスの衝突についてのコメントと思われるかもしれない。ハッとする言い回しの主は国際政治学者の高坂正堯(1934~96年)。90年に新宿の紀伊國屋ホールで行われた6回にわたる講演の一節である。講演録は33年を経て2023年に刊行された(『 歴史としての二十世紀 』新潮選書)。

 含蓄に富む言葉がちりばめられている。「民主主義の場合、くだらない目論見とくだらない動機から案外いいことが起こりますが、共産主義は素晴らしい理論と素晴らしい動機から恐ろしい社会を生み出し、さらに引っ込みがつかなくなった」

 折しも冷戦は終わり、ソ連は崩壊しようとしていた。現在と異なり90年には市場経済への賛歌が奏でられていた。そんななか、こうくぎを刺すのも忘れない。「市場経済が無批判にいい仕組みなのだという甘い考えは捨てたほうがいいでしょう。資本主義と大衆民主主義の組み合わせは共産主義と同じくらい問題が多いのです」

 透徹した史眼。いささか陳腐になるが、そういう他ない。68年に刊行され、半世紀以上にわたり読み継がれている『 世界地図の中で考える 』(新潮選書は2016年刊)もそうした一冊である。当時、中国では文化大革命が吹き荒れ、米国によるベトナム戦争が本格化し、大学は学園紛争に直面していた。この本を最初に手にしたのは70年代前半だったが、冷めた記述がとても印象深かった。

『世界地図の中で考える』(高坂正堯著)
『世界地図の中で考える』(高坂正堯著)
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 「社会のさまざまな疾患の要因をひとつの要因に求め、それを除去することに血道をあげている人がいかに多いことか」「文化大革命も(禁酒法と)同様の無益な試みに終わるであろう」。「毛沢東思想しか知らない人間というのは、たとえば利己心という病原体にはきわめて弱い」。隔絶された孤島だったタスマニア島の現地人が外部からの病原体で滅んだのを引き合いに出してこう記す。文革にユートピアを夢見る知識人が多かった時代に、王様は裸だと告げたのである。

米国はなぜ失敗するのか

 米国がピーク時には50万人規模の兵力を投入していたベトナム戦争についても、その行く末をこう見通していた。「結局、南ベトナムはアメリカの努力にもかかわらず、共産化することになるだろう。アメリカはそれを妨げることはできない」。事実、75年4月には南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)は、北ベトナムの攻撃に陥落した。

 高坂は論文「現実主義者の平和論」で雑誌『中央公論』(63年1月号)にさっそうとデビューした。非武装中立を唱える理想主義が主流だった当時の論壇で、軍事など力の役割を重視するその姿勢は現実主義と呼ばれた。現実主義とは状況に追随するだけと思われがちだ。しかし高坂の場合は、歴史と経験を手掛かりにして現実の世界と対峙(たいじ)する立場だったのである。

 「文明の限界点」という言葉は印象的だ。米国は民主主義に象徴される自らの文明を世界中に広めようとし、ベトナム戦争で壁にぶつかった。苦悩し当惑する米国に対しても、単に突き放したりする言い方はしない。インドという植民地でその限界点に直面した英国の例を引きながら、「文明を伝えるという使命感を捨てて…一歩離れた態度をとること」と「微妙な判断が可能な専門家を作ること」を勧める。穏やかで委曲を尽くした助言である。

 歴史は繰り返す。冷戦終結でソ連が舞台から去り、唯一の超大国となった米国は2001年9月の同時多発テロへの反撃として、アフガニスタンに軍事侵攻しタリバン政権を打倒する。そして03年にはイラク戦争でフセイン政権を倒した。だが、戦後のイラクの混乱や結局はタリバンが再び政権を奪取した経緯をみるにつけ、実感させられるのは文明の限界点だ。

 「世界化時代の危機」。本書のいう「世界化」は、冷戦終結後にあいさつ代わりとなった「グローバル化」の難題を先取りしている。南の途上国が直面するのは食糧危機である。その原因として、先進国から伝わってくるさまざまな技術に大きなギャップがあることに、高坂は光を当てている。

 医療技術は早く伝わるのに、食糧生産の技術は伝わりにくい。いきおい、人口の増加に対して食糧供給が追い付かなくなる。「先進工業国からの技術の導入は、アジア・アフリカ諸国がそれまで持っていたある種の国内的均衡(生態学的均衡)をうち破った」。南の国々がグローバルサウスと呼び名を変えても、克服されたとは言い難い課題である。

狂信と懐疑の間に道

 北の先進国にも技術進歩の問題は突き刺さってくる。ひとつは環境破壊だ。60年代後半に社会問題化していた公害、なかでも大気汚染としてスモッグを取り上げているのは分かるとして、再読して驚いたのは次の記述だ。

 「石炭、石油、天然ガスなどを燃す場合には必ず炭酸ガスが発生するがそれが長期間にわたって集積されると大気中の炭酸ガスの量は増大する。…今後ますます盛んに燃料が使用され、大気中の炭酸ガスが増加するならば、それが世界の気候に目立って影響し、したがってわれわれ人間の生活にも影響することは十分に考えられる」

 気候変動問題を半世紀以上前から指摘していた、などというのは結果論かもしれない。むしろ驚くべきは、みんなが意識していないデータとファクトを結び付けて、先行きを見定める洞察力だろう。その点では「現代社会の決定機構は大衆民主主義と電子計算機という二つのものによって象徴されている」との言い回しも味わい深い。

 電子計算機は今ならさしずめ人工知能(AI)だろう。二つのシステムが発達すればするほど、人々は自らが決定を下したという実感を持ちえない。そこに人々の不満が生じる。「狂信に人々が取りつかれるのは、こうして人々の心が不安と不満によって悩まされているときである」。そして「狂信と懐疑の中間に踏みとどまる」という巻末のメッセージは今日に通じる。

歴代政権のブレーンに

 高坂が象牙の塔にこもらず、佐藤栄作、大平正芳、中曽根康弘らの政権でブレーンを務めたのは、ごく自然だったように思える。そのきっかけは、吉田茂の現実路線を再評価した『中央公論』(64年2月号)の「宰相吉田茂論」である。「現実主義者の平和論」とともに論壇登場の手引きをしたのは『中央公論』の名編集者として知られる粕谷一希である。

 高坂は「吉田茂論」をまとめる過程で、粕谷と二人で63年10月ごろ大磯に隠せいする晩年の吉田を訪ねた。「高坂先生、大学を辞めて政界に出られませんか。政界にはタヌキやキツネがたくさんいて面白いですぞ」。粕谷が紹介する吉田の話は人を食っていて面白い。

 それ以上に興味深いのは、エンサイクロペディア・ブリタニカの百科事典の追補年鑑の巻頭論文として、吉田が幕末から戦後に至る日本を紹介した『 日本を決定した百年 』についてだ。日本経済新聞社から書籍として出版され、その後中公文庫にも収められたこの論文の代筆を、吉田が高坂に依頼したというのだ。政治がブレーンを重んじた時代らしい話である。

 粕谷はその件を生前の高坂に確かめなかったが、99年に刊行された中公文庫版の解説でいう。「精読してみて、この文章は百%高坂氏のものであることを確信した。発想や文章が、私と接してきた高坂氏のものと全く同じなのである」。確かに同書を読めば、粕谷の指摘に得心する。

 総合雑誌を舞台にした論壇はネット空間に押され、学問の世界は重箱の隅をつつくような研究が中心となり、政治を巡っては大局を見失った議論が繰り返される。日本全体が視界不良になっている今だからこそ、歴史を紡ぐような高坂の書物に道しるべを求めたい。そんな気持ちが募る。

写真/スタジオキャスパー