「ミルトン・フリードマンは新自由主義の旗頭だから、格差を拡大させた張本人」。そんなふうに思っている方は『資本主義と自由』をひもといてほしい。市場と政府の役割分担の大切さを、身近な事例と直截(ちょくせつ)な言い回しで訴える。何かというと政治に頼ろうとする風潮のある今、本書は一種の解毒剤の役目を果たす。
※本連載をまとめた書籍『 古典に学ぶ現代世界 』(日経プレミアシリーズ)を発売しました(2025年7月10日追記)

生産者は徒党を組みがち

 一般のドライバーがお金を取って自家用車で乗客を運ぶ。「ライドシェア」が2024年4月から始まり、鳴り物入りで報道された。だが、一般のドライバーが旅客を運べるのは、国土交通省が「タクシー不足が生じる」と指定した地域と時間帯に限られる。しかもライドシェア事業を運営する主体はあくまでもタクシー会社である。

 試みに関東運輸局のホームページを見ると、こう記されている。「法人タクシー事業を経営するためには地方運輸局長への許可が必要です」「一般の法人タクシー事業の許可申請を行うと、法令試験を受験していただくこととなります」。

 米国で急速に普及したライドシェアが、日本ではなかなか進まない。その理由としては、乗客の安全確保やトラブル防止などとともに、業界の利益保護という要素が見逃せない。ほかでもない。「職業免許制度にも共通するのは、いずれも生産者を守る措置だということだ」。ミルトン・フリードマンは『 資本主義と自由 』(村井章子訳/日経BPクラシックス)でそう喝破している。

『資本主義と自由』(ミルトン・フリードマン著)
『資本主義と自由』(ミルトン・フリードマン著)
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 フリードマンは小さな政府と市場万能を唱える新自由主義の旗頭。今日の格差社会を招いたのは新自由主義だから、フリードマンなど時代遅れ。そんな三段論法が横行しているが、今から60年以上前の1962年に刊行された本書をひもとくと、どっこい経済活動の本質がズバリえぐられている。しかも個々の問題に対する提案がとても具体的である。

 輸送業を営むタクシー運転手について、フリードマンは許認可ではなく登録制を推す。夜、乗客を1人で乗せるとき、運転手は盗みを働くチャンスが多いのではあるまいか。それを防ぐためには、「一人ひとりに登録番号を与えて車内に提示するよう義務づけ、被害者はその番号を通報すればよいようにするのは、効果があるかもしれない」。

 それにしても、生産者を守る措置が幅を利かせるのには訳がある。「生産者は消費者より徒党を組んで政治的な力を持ちやすい」からなのだ。私たちは生産者であるとともに消費者でもある。だが、消費者は数千種類のモノやサービスを利用している。それに対して生産者は理髪師にせよ医師にせよ、その職業を取り巻く事情に精通している。

 「利益集団の力に対抗するには、『これこれの事業は国がやるべきではない』という認識が広く浸透するしかない」。これが小さな政府を求めるフリードマンの原点なのである。市場を舞台とする自由な競争を妨げるのは政府ばかりではない。「民間企業が政府を利用してカルテルや独占を取り決め、実行していること」にも大きな問題がある。

 「同業者が集まれば、たとえ楽しみや気晴らしのための集まりであっても、結局は毎回のように世間を欺く策略の話、つまり値段を吊り上げるうまい手はないものかといった話になるものだ」。アダム・スミスの『国富論』の一節を引きながら、価格カルテルなど談合を批判する筆致は辛辣(しんらつ)であり、今日の日本にもそのまま当てはまりそうな話である。

企業は利潤追求に専念せよ

 こうした姑息(こそく)な手段で私利を追求することにもまして、企業にとって今日的な課題がある。「社会的責任」論だ。「企業経営者や労働組合の幹部は株主や組合員の利益を考えるだけでなく、『社会的責任』を果たすべきだとの見方が広まっている」。こんな記述に接すると、フリードマンは60年以上も前から「社会的責任」の議論に注目していたのが分かる。賛成していたのか。

 否、逆である。これは「市場経済というものを根本的に見誤った主張」だというのだ。「公正かつ自由でオープンな競争を行うというルールを守り、資源を有効活用して利潤追求のための事業活動に専念すること」。まっとうな利潤追求こそ企業に課せられたただ1つの社会的責任であり、それ以外の社会的責任を引き受けることほど、「自由社会にとって危険なことはない」。

 世間受けを気にする学者ならもっと言葉を選んだであろう。あえて直截な言い回しをするのはほかでもない。社会的責任という政治的な要素が持ち込まれることによって、政治と経済の境界が曖昧となり、企業活動が政治の僕(しもべ)となりかねない。そんな事態にフリードマンは警鐘を鳴らしたのである。例えば、次のような社会的責任の“実践”に思い当たらないだろうか。

 「企業や労働組合には、物価上昇を防ぐために製品価格や賃金を低く抑える責任があるという論調である」。だが、価格統制は経済にひずみをもたらす。「必需品などの深刻な品不足が広い範囲で起きたら、政府による配給制だの賃金政策だの労働力配分計画だのを求める声が否応なく高まるはずだ」。これらが本当に実現したら「市場経済は確実に破綻する」。

 冒頭の部分をこう書き換えたらどうだろう。「企業や労働組合には、デフレ脱却を図るために製品価格や賃金を引き上げる責任がある」。賃金と物価の好循環を実現するための今年の春闘の合言葉そのものである。政府、経営者、労働組合がスクラムを組むのは、鳥もちのようにこびり付いたデフレからの脱却のために欠かせないにせよ、副作用に警戒を怠るべきではない。

 「市場は経済活動の運営を政治権力による支配から切り離し、強制力の源を排除する。こうして経済は、政治権力を抑制する方向に働く」。というのも「市場は、政治の場で決めなければならないことを大幅に減らし、政府が直接ゲームに参加する範囲を最小限に抑える役割を果たす」からだ。

 こうした主張のどこが古びているといえるのか。日本では政府の温情に期待する声が人気を博しやすく、政治の世界は大きな政府に傾きがち。そんな中にあって、市場と競争の役割を正面から擁護した本書が、原著刊行後60年以上を経てもロングセラーになっているのは興味深い。一種の解毒剤としてなのだろう。

写真/スタジオキャスパー

日経プレミアシリーズ『 古典に学ぶ現代世界
名著の中に問題解決の道を探す

AIと超高齢化、ポピュリズムと全体主義、権力の偏重とタテ社会、人情と情緒、外交と経済運営――。長きにわたって読み継がれてきた古典は、私たちが抱えている課題解決へのヒントになる。ジョージ・オーウェルから有吉佐和子まで、数々の名著を現代の視点から読み解く。「日経BOOKプラス」の好評連載を大幅加筆。

滝田洋一著/日本経済新聞出版/1210円(税込み)
日経BPクラシックス『 資本主義と自由
世界の構造改革のバイブル

1962年初版、フリードマンが最も愛した著作、待望の新訳。郵政改革、教育バウチャー、規制撤廃など絶対自由主義(リバタリアン)の政策の意味を説いた名著。

ミルトン・フリードマン著/村井章子訳/日経BP/2640円(税込み)