スペインの思想家、オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』は、ポピュリズム(人気取り)が語られるとき、必ず話題に上る本である。近代社会がもたらした生活水準の向上を、オルテガは率直に認めるが、問題は大衆自身がそれを持て余しているところにある。要は大衆とは近代文明の相続人であり、私たちは誰もが「人類史の中の甘やかされたお坊ちゃん」なのだ。

社会的権力の前面に躍り出た大衆

 選挙イヤーといわれた2024年。インドでも、フランスでも、英国でも、日本でも、各国の与党は総じて苦戦し、敗北した。11月の米大統領選ではドナルド・トランプ候補が劇的に復活した。韓国での非常戒厳騒動と大統領の弾劾も、元はといえば4月の総選挙での与党の敗北にある。選挙と絡んでポピュリズム(人気取り)が語られるとき、必ず話題に上る本がある。

 スペインの思想家、オルテガ・イ・ガセット(1883~1955年)の『 大衆の反逆 』(佐々木孝訳/岩波文庫/原著は1930年刊)である。「現在のヨーロッパ社会には一つの重大な事実がある。それは、大衆が社会的権力の前面に躍り出たことである」。大衆を正面に見据え、大胆に批判の矢を放つ本書は、世の中が騒がしくなるたびに脚光を浴びる。

『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット著)。画像クリックでAmazonページへ
『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット著)。画像クリックでAmazonページへ

 1973~74年に第1次石油危機が起き、日本が2桁インフレに襲われたころもそうだった。高度経済成長には突然、幕が引かれ、人々はスーパーへとトイレットペーパーの買いだめに走った。そのとき雑誌『文藝春秋』を舞台に、匿名の学者集団が警鐘を鳴らした。学習院大学の香山健一教授がリーダーとなった「グループ1984年」である。

 同誌75年2月号の「日本の自殺」は、ローマ帝国の滅亡を引き合いに、パンとサーカスに明け暮れることの帰結を描いた。グループが思いをはせた思想家がオルテガだった。

 オルテガのほかにもう一人。『中世の秋』、『ホモ・ルーデンス』で知られるオランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガ(1872~1945年)を、グループは挙げた。ホイジンガの大衆社会批判の書は『朝の影のなかに』で、『わたしたちの時代の精神の病の診断』の副題を持つ。オルテガとホイジンガはともに、日本の騒然とした世相への頂門の一針と思えた。

 ホイジンガの『朝の影のなかに』が危機の1930年代を論じつつ静ひつな余韻を残すのに対し、オルテガの『大衆の反逆』は時代を正面からとらえ、どこまでも挑戦的である。今から半世紀も前の当時読んだ神吉敬三訳を再読し、佐々木孝の新訳も読んだが、圧倒されるような疲労感は変わらない。訳はともに練れているのだから、原著の熱量によるというほかない。

 大衆は自らを律することができず、ましてや社会を統治することもできない。その大衆が社会的権力の前面に躍り出たということは、「ヨーロッパが今や、民族、国家、文化として被り得る最大の危機に見舞われていることを意味している」。書き出しから「最大の危機」などといわれると、心穏やかにはいられない。

 「超デモクラシーの勝利」。そこでは、「大衆が法に対する情熱のないまま直接行動に訴え、物理的圧力をもって自分たちの望みをごり押ししている」。大衆は凡庸ではないのか? そう。「むしろ現代の特徴は、凡庸な魂が、自らを凡庸であると認めながらも、その凡庸であることの権利を大胆に主張し、それを相手かまわず押しつけることにある」

 こうした大衆批判は時代の潮流に独りあらがうドン・キホーテのようでもある。オルテガはスペインの新聞王を父に持ち、自らも生粋のジャーナリストであった。ドイツ留学でカント派の哲学を我がものとし、帰国後は母国スペインの大学で教壇に立った。かつては大帝国を築きながら、今は周縁部で停滞するスペインの社会を目覚めさせよう。そんな情熱が、あえて現代文明の根本問題を正面から論じる姿勢につながっている。

生活水準の向上を持て余す現代人

 孤独を恐れぬ批判は、しばしば貴族主義的となり、「昔は良かった」という懐古趣味につながりかねない。しかし、ほぼ半世紀ぶりに『大衆の反逆』を読み返して気づかされたのは、オルテガの認識がその反対だったことだ。「大衆の勝利と、その結果としての生の水準の素晴らしい上昇」「大衆の反逆は、生命力と諸々の可能性の信じ難いほどの増大を意味している」

 近代社会がもたらした生活水準の向上という成果を、オルテガは率直に認めている。1800年に至る12世紀の長きにわたって、欧州の人口は1億8000万人を超えなかった。ところが1800年から1914年までのわずか1世紀強の間に、欧州の人口は4億6000万人に達した。今ならGDP(国内総生産)を用いるところだろうが、人口という即物的な尺度を用いるあたりが、象牙の塔にこもった思想家ではない。ジャーナリストの面目躍如である。

 何より深刻な問題は、その「生の水準の素晴らしい上昇」を、大衆自身が持て余しているところにある。「平均人は素晴らしい道具、ありがたい薬品、先々を考えてくれる国家、快適さを保障してくれる種々の権利に囲まれている」。要は近代文明の相続人が大衆なのであり、彼らは「人類史の中の甘やかされた子供」で、「ひとえに相続することしかしない相続人」である。人ごとではない。

 オルテガのいう「満足しきったお坊ちゃん」は、誰あろう現代に生きる私たち自身なのだ。甘やかされた子供は自制心を欠くので、野蛮人の立ち居振る舞いとなる。そして未来に挑戦する気概を失うようだと、肝心の文明の足元を侵食してしまう。欧州文明は「その高さを維持できず、…後退し低い水準に落ち込む恐れさえある」。欧州人・オルテガは欧州の危機を語るが、その波はすでに世界中をのみつくしている。

周縁から現代文明の核心を突く

 警世の書『大衆の反逆』が出版された1930年の欧州は、ロシア革命で誕生したソ連の共産主義とムッソリーニのイタリアのファシズムという、左右の全体主義から挟み撃ちにあっていた。1930年代にはナチスドイツがファシズム陣営の先頭に立ち、スペインも左右が衝突する内戦の舞台となり、オルテガも亡命生活を余儀なくされる。

 第1部で大衆の反逆を解剖する本書が、第2部で「世界を支配しているのは誰か」を論じるのは、こうした時代相を映している。深刻になる欧州の国家対立に対するオルテガの処方箋は、欧州の統合つまりヨーロッパ合衆国だった。第2次世界大戦の惨禍を経て、実際に欧州連合(EU)が誕生した。

 オルテガの先見性が際立っていたといえる。だが、そのEUも今まさに大衆の反逆の矢面に立たされている。スペインという周縁部にいたからこそ、現代文明の核心を突いた本書は、変わったものと変わらざるものを見極める視座を提供してくれる。典型的な大衆社会となった今日の日本が抱える問題を考えるうえでも、本書はまたとない羅針盤といえるだろう。

写真/スタジオキャスパー