2023年、21歳にして藤井聡太が八つあるすべてのタイトルを獲得。将棋ファンだけでなく広く注目を集める将棋界。藤井聡太七冠の強さの秘密は何か。棋士の生きざまが多くの人を魅了するのはなぜか。また、最近、急増中の将棋を指さないけれど、対局を観ることを楽しむ「観る将」(みるしょう)とは? それぞれを知るためにお薦めの本やその魅力について髙野秀行六段にお話を伺った。

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髙野秀行氏
1972年6月、横浜市生まれ。1984年、6級で中原誠十六世名人に入門。91年初段、98年4月に四段、プロ棋士となる。2011年2月に六段昇段。棋風は居飛車本格派。四間飛車には急戦を好み、数々の新手を披露。「読売新聞」『将棋世界』などで健筆を振るい、親切な解説者としてファンに親しまれる。2008年から「経堂こども将棋教室」を主催。

 髙野秀行六段は、藤井聡太七冠のデビューからの連勝記録が18に伸びたとき、その印象を聞かれ「性能の良いマシンが参戦すると聞き、フェラーリやベンツを想像していたらジェット機が来たという感じ」とコメントして大きな話題になった。幾度となくユーモアあふれる言葉で棋士・藤井聡太を評してきた髙野六段は、現状の強さをどのように見ているのだろうか。

今、藤井聡太七冠に抱いている印象から教えてください。

髙野 正直、以前とそれほど変わっていません。6月20日に叡王戦で敗れて、初めてタイトルを失冠したわけですが、タイトル戦を22連勝してきたわけですよね。そして現在は七冠。先日、佐藤康光九段が「八冠あるうちの四冠持っていたら第一人者ですよね」と言っていたんですが、現状、タイトルが4つになる姿が想像できません。

あと3つ負けないと四冠になりません。

髙野 想像できないんですよね。叡王戦の四局目など、いろいろな勝ち方があったはず。その中でいつもの直線的ではなく、曲線的とでもいうのでしょうか、柔らかさを感じる指し手でまとめた印象で。こういう風にも勝てるんだと感心しましたね。

他の棋士との差も広がっていますか?

髙野 叡王戦で伊藤匠七段が勝ち、初めてタイトルを藤井さんから奪取した。なんといってもタイトル戦無敗を止めたわけですから、これは大きな変化です。ただ、他の棋士と差が詰まったといえるのか? これは今後を見ていかないと分からないところかなと思います。

藤井聡太さんの強さに言及した本は、たくさん出版されていますが、棋士の視点からご覧になって特に注目した本はありますか。

髙野 いきなり日経さんの本ですが、 『 藤井聡太が勝ち続ける理由 王座戦――八冠の先へ 』(日本経済新聞社編/日本経済新聞出版)ですね。日本経済新聞文化部の将棋担当の記者さんたちが、執筆・編集されたもので、昨年、藤井聡太さんが最後のタイトルとして勝って八冠を達成した王座戦にスポットを当てた本です。

 まず盛りだくさんですよね。藤井聡太さんのインタビューから、このときの対局相手だった永瀬拓矢九段のインタビュー。取材記者の座談会や、勝又清和七段による分析などなど、たくさんの内容が詰まっています。なかでも記者座談会は良かったですね。

『藤井聡太が勝ち続ける理由 王座戦――八冠の先へ』(日本経済新聞社編/日本経済新聞出版)
『藤井聡太が勝ち続ける理由 王座戦――八冠の先へ』(日本経済新聞社編/日本経済新聞出版)
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王座戦の取材などに関わった4人の記者の方が、当時のことを語っています。

髙野 中に書かれていた「まさかうちが藤井王座の八冠を一面のトップ記事にするとは思わなかった」という一文がリアルですね。たしかに『日経新聞』の一面が将棋の記事って、考えられないことですから。あと、王座戦で敗れた永瀬九段に終局後インタビューを依頼したら「えっ、それは義務ですか」と言われて「義務です」と返すところとかも現場にいる人ならではの臨場感でした。

永瀬九段の話は人間味が出ていていいですよね。この本の中に永瀬さんの「藤井八冠は人間をやめている」というフレーズがあり、そういったコメントでファンになった人も多いと聞きました。

髙野 私は、永瀬さんの「自分はほぼすべての棋書を読んでいるが、藤井さんは恐らく読んでいないんじゃないかな。それでも歴代の第一人者と将棋の考え方が同じなのがすごい」という言葉が印象的でしたね。すべての棋書を読んでいる人だけが言える言葉です。

棋士はすべての棋書に目を通すものなんですか?

髙野 通す人もいるし、通さない人もいる(笑)。でも、すべては大変だと思いますよ。あと、勝又七段のところは、藤井聡太さんの指し手にフォーカスを当てたもので、プロの私でもなかなか読み応えがありました。とりわけすごいのが、「藤井はここまで読んでいた」という読みのチャート表です。これはね、読めません(笑)。これを理解できる人はいるんでしょうか(笑)。

「藤井はここまで読んでいた」のチャート表
「藤井はここまで読んでいた」のチャート表
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実際の手順だけでなく「こう考えていた」という手順も入れた力作ですよね。

髙野 勝又さんは、多くの現場で実際に対局を見ていますが、ここまでのものを書くことは、なかなかできることじゃないですよ。私も観戦記を書きますが、棋士が棋士を書くのって骨が折れるんです。

どういうところがですか?

髙野 やはり他人の目もあるし、どこまで書いていいかという距離感も難しい。ただ勝又さんは、一門でもあり藤井さんとの距離も近く、わりと突っ込んだところまで聞けるのがすごいなと。

本書の中に、王座戦が最後の八冠目になったのは、実際に消費した時間を秒単位で記録する(=持ち時間の消費が早くなる)「チェスクロック方式」という棋戦の特徴も左右したのではとありましたが、そういったことは感じますか?

髙野 いや、どうなんでしょうか。実際のところは本人に聞かないと分からないですが、藤井さんなら、どのルールにも合わせられると思います。昨年、秒読みに必ずなる持ち時間の短い将棋もJT杯は優勝でNHK杯と銀河戦は準優勝。これで「負けた」という印象になってしまうは藤井さんだけです(笑)。関連があるといえば「羽生の3分」という言葉を思い出しまして。

「羽生の3分」

髙野 羽生善治九段の勝ち将棋は最後3分残していることが多かった。3分あれば、詰みなどかなり読めて、トラブルにも対応ができると。チェスクロック方式はそれができない。藤井さんにしても影響があるのかなぁと。それにしてもこの成績です。そこまで大きな差がつくとは、私には思えないですが。

強い人はなんでも強い?

髙野 そうなんです(笑)。強い人はなんでも強い。私から見れば、タイトル戦に出るような人はみんな「怪獣」。その人たちが藤井聡太をターゲットに研究している。それは強くなりますよね。そんな「藤井聡太対全世界」のなかで、この成績を残しているんですから、普通ではありません。

そんな藤井さんのすごさが多角的に分かる本ですね。

髙野 担当の方の熱意があってこそ生まれた良書だと思います。

「楽しみなリターンマッチ」

『藤井聡太が勝ち続ける理由』は、昨年の王座戦にスポットを当てた本ですが、今期の挑戦者が永瀬九段に決まりました。

髙野 40年来の付き合いがある、鈴木大介九段がベスト4に勝ち上がってきたので、応援していたのですが、熱戦の末、永瀬九段に敗れてしまって。残念でした。

挑戦者決定戦には羽生九段が勝ち上がってきましたね。

髙野 本当にすごい以外の言葉が見当たりません。会長職をやりながら、今期は勝ちっ放しで。本当にすごい! 挑戦者決定戦は永瀬さんが終始安定した指し回しを見せ、挑戦権を獲得しました。楽しみなリターンマッチですね。

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上質なミステリーのような藤井七冠の将棋

 ここでもう1冊、藤井聡太七冠の強さに言及した本を紹介したい。それが髙野秀行六段も著者の1人である『 あの棋士はどれだけすごいの?会議 』(髙野秀行・岡部敬史・さくらはな。/扶桑社新書)だ。本書は、藤井七冠から始まり、大山康晴などのレジェンド棋士、そして現役の棋士たちはどこが強いのかを、髙野六段が分かりやすく解説したものだ。

『あの棋士はどれだけすごいの?会議』(髙野秀行・岡部敬史・さくらはな。/扶桑社新書)
『あの棋士はどれだけすごいの?会議』(髙野秀行・岡部敬史・さくらはな。/扶桑社新書)
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同書の中に「藤井さんは、勝っているだけでなく、将棋が面白いですよね」という印象的なフレーズがあります。

髙野 そうなんです。藤井さんは、強いだけでなく、将棋に華があるんですよ。棋士なら誰もが一度は指してみたいなという手が次々と出てくる。

守りの役を果たすことが多い桂馬が最後の詰みに絡んでくる対局なども見ますが、そういうことは普通あまりないのですか?

髙野 ありません(笑)。この本の中で、全然関係なさそうな駒が最後に大活躍するから、まるで上質なミステリーのようだって書きました。ああいうことは藤井さんの将棋ならではです。

その要因として「藤井将棋は、全員攻撃、全員守り」を挙げておられます。

髙野 藤井さんはあまり「玉」を堅く囲わないんです。囲いに使う駒は、基本的には動かず、攻める駒にはならない。でも藤井さんは囲わないから、すべての駒が攻めにも守りにも働くから、面白いんですね。

また、この本には、AI(人工知能)と藤井聡太さんについて「『AIがあったから勝っている』といった論調もたまに見かけますが、それはまったくの見当違いで、AIがなくても彼は勝ちます」という印象的な一節もあります。何かと同じ文脈で語られがちな藤井さんとAIですが、この点についてもお聞かせください。

髙野 まず、大事なことは藤井さんはAIがなくても勝つということです。これは間違いありません。羽生さんがAIの時代でも強いのと一緒です。強い人はどの時代でも強い。

「強い人はなんでも強い」は、どんな文脈でも通じますね(笑)。

髙野 はい(笑)。ただ頭のいい人は使い方も上手なので、AIによって強くなるスピードが早くはなっているでしょうね。AI以前は、その手の良しあしを人間の感覚だけで判断していたわけですから。

AIを使えば、その良し悪しが数値でわかりますもんね。

髙野 ただ、AIのない時代に藤井さんが生まれていたら勝てなかったかといえば、絶対に勝ちますよ。

藤井聡太さんが勝ち続ける理由は、AIではないわけですね。では、髙野先生が考える「藤井聡太が勝ち続ける理由」はなんですか?

髙野 うーん。やはり自分自身で考え抜く力が飛び抜けているからでしょうか。結局、最後は自分で考え抜くという意思があるんでしょうね。そこが一頭地を抜いている。

誰がどう見てもこの一手という場面でもすごく時間を使って考えたりしていますよね。

髙野 いろんな事前の準備もしていると思うんですよ。でもそれを暗記するということではなく最後は自分で考えて決断するということをしている。その力がないと八冠はないですから。考える力、そして考えようという意思がすごい。これが、私の見立てです。

取材・文/岡部敬史 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 協力/渡辺和博(日経BP総研) 写真/木村輝