2024年8月、日経文庫は創刊70周年を迎えました。その長い歴史の中で、日経文庫は数々のロングセラーや経済・経営・ビジネス実務の名著を生み出しています。そこで、日経文庫の平井修一編集長と編集者が、さまざまなテーマでおすすめの日経文庫を解説。今回は、いまさら聞けない「ITの基本」を押さえることができる6冊を紹介。編集長と一緒に解説するのは、IT関連の書籍を多数編集してきた栗野俊太郎。
平井修一編集長(以下、平井) これまで第1回「 何十年も売れ続けている定番の日経文庫11冊を編集長が解説 」や第2回「 ビジネスパーソンの『コミュ力を高める』日経文庫9冊を解説 」で紹介した本は、内容的にも長く読まれるテーマでロングセラーが多かったのですが、今回取り上げるIT分野は、ここ数年でも5G、メタバース、生成AI…など新しい言葉がどんどん登場し、変化がめまぐるしい。しかも、ある程度の知識がないとビジネスシーンで差がついてしまうものばかり。そういうときに強い味方になるのが、日経文庫なんですよ。
日経文庫のIT分野の著者は、野村総合研究所、日本総合研究所、NTTデータといった企業に所属している方が中心で、最新事情を常にウオッチし、世界中で行われている発表会などのイベントにじかに駆け付けたりして得た情報を基に書いているので、「信頼できる1冊」であることは間違いありません。自分でもネットでいろいろと調べることはできますが、正確性や新しさ、重要度などは判断できないですよね。だから必要な情報と知識が1冊に詰まっている日経文庫は、タイパ、コスパの面からもおすすめです。

また、「ビジュアル版」というシリーズでは、最新用語などを1項目につき見開き2ページで、図解を駆使して説明しているので、とても分かりやすいのが特徴です。では1冊ずつ紹介していきましょう。最初に紹介する本は、栗野さんの担当でしたね。
1冊で最高のコスパとタイパ 役立つ基本知識と等身大の事例
『いまなら間に合う デジタルの常識』(岡嶋裕史著、日経文庫)
第1編集部 栗野俊太郎(以下、栗野) もともとはベテラン編集者の先輩が著者の岡嶋裕史さんにIT関連の資格本の執筆をお願いしていたんです。その後、私が新書も書いていただきたいと思い、依頼しました。岡嶋さんは『 いまさら聞けない ITの常識 』(日経文庫)という本も書いていて、それをアップデートしたのがこの本です。
ChatGPT、Web3、メタバース、5G、STEM教育…といったことがこの1冊で分かります。2023年7月発行の本としては珍しく、あとがきが生成AIで書かれています。まえがきにも書いてありますが、「上司に何か聞かれたとき」「IT関連の仕事を担当するとき」に、「どんな技術でどんなことができるのか」を説明し、「無難に立ち回る」にはとても役立つ本です。
平井 確かに、表紙を見ても、ビジネスで知らないままでは済まされない用語が並んでいますね。
栗野 著者の岡嶋さんが「最高のコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスをたたき出すように設計してあります」というほど自信の1冊です。
例えば、AIの解説やAIで何ができるかは多くの本で書かれていると思いますが、この本では例えば「人間が『この会議はムダですよね』というと角が立つが、AIならドライに回答するため他者も受け入れやすい」といった、現場に寄り添った具体例が挙げられていてイメージしやすいと思います。
平井 事例の解説が等身大の内容ですね。
栗野 一方、冷静な分析もあります。例えば、「Web3」は「Web2.0の次に登場したもの」と受け取られがちですが、実は全くの別物、バズワードだと岡嶋さんは言います。また、Web2.0の初期にはさまざまな人がホームページやブログで「自己表現したい」という動機があったのに、いつの間にかアフィリエイトなどで「いかにもうけられるか」という視点に変わってしまった…など、ITと社会の変化についても丁寧に解説しています。
平井 基本的なITの知識とその背景が1100円(税込)で読めるのは、ありがたいですね。内容を充実させて、専門的な部分まで情報を詰め込むと、かえって読者に敬遠される場合もあるでしょうから、この本は、適度な情報量で基本をしっかり押さえられるようにまとまっているのが特徴だと思います。
続いて紹介するのは、『データサイエンティスト入門』と『ビジュアル データサイエンティスト 基本スキル84』のセットですね。
解説を深めるショートストーリーが面白くてリアル
『データサイエンティスト入門』(野村総合研究所 データサイエンスラボ編、日経文庫)
平井 この本を執筆したのは、野村総合研究所のデータサイエンスラボの皆さんです。2012年に米国の情報技術・経営学の教授が「21世紀で最もセクシーな職業はデータサイエンティストだ」と絶賛して、データサイエンティストという職業に大きな注目が集まりました。一方、実際のデータサイエンティストたちは「俺たちがセクシー?」と言ったり、将来有望な職種なのに人材不足が続いたり。そこで、野村総合研究所では2021年にデータサイエンスに関するノウハウや価値を共有する場として「データサイエンスラボ」を立ち上げたそうです。
栗野 確かに米国では、2012年ごろからデータサイエンティストが注目されていましたが、日本ではこの本が出た2021年ごろでも、それほどメジャーな職種ではありませんでした。そこで本のタイトルも工夫しました。『データサイエンス入門』だと、ありきたりな入門書になってしまうため、あえて『データサイエンティスト入門』としました。
結果的にはそれが功を奏して、データサイエンティストという職業に興味がある学生や転職したい人などに読まれるようになりました。
「データサイエンティストとは、どんな人か」というと、さまざまな定義がありますが、この本では「データを使ってビジネスを変革できる人」としています。仕事上の課題を解決したり、今まで不可能だったビジネス課題を、ITを駆使することで突破したり実現したりする人ですね。著者の皆さんと最初に打ち合わせをしたとき、「気象予報士はデータサイエンティストですか」と聞いたら、「データを扱うので広義にはデータサイエンティストといえるけれども、この本で定義しようと考えているデータサイエンティストとは違いますね」という答えが返ってきました。
平井 なるほど。先ほど紹介した教授の話で考えると、データサイエンティストはビジネスの変革者となれるからこそセクシーであるということなんですね。
栗野 はい。この本では「データサイエンティストに求められる3つの能力」についても触れています。それは、「ビジネス力」「データサイエンス力」「データエンジニアリング力」です。データサイエンティストがこの3つの能力を発揮して実際にどんな仕事をしているか、どんな課題に直面しているかについてもこの本には書かれています。特に面白いのは、それを6つのショートストーリーで説明しているところです。
平井 IT系の解説書で、ショートストーリーが出てくるのは珍しいですよね。
栗野 例えば、「温泉旅館に客を呼び込むには」「製薬会社のMRのスキルを上げる」「ファーストフードの新規店舗の売り上げ予測」といったテーマのストーリーが出てきます。読み物としても楽しめると思いますよ。野村総合研究所の著者の1人がストーリーづくりが好きだったので、この形式になりました。
平井 この本は、どんな人たちに読まれていますか。
栗野 意外とビジネスパーソンよりも学生からの反響が大きいですね。今は大学でもデータサイエンス系の学部が増えていて、興味を持つ学生が多いようです。この本で基本的な内容を押さえた後にぜひ読んでほしいのが、次の1冊です。
辞書としても使える 入門書と専門書の橋渡し的存在
『ビジュアル データサイエンティスト 基本スキル84』(野村総合研究所 データサイエンスラボ編、日経文庫)
栗野 この本は、データサイエンティストの実務や必要なスキルが分かる1冊です。一般的にこの分野のスキル本となると、機械学習やディープラーニング、プログラミング言語のPythonなどを扱った内容になり、一気に難しい印象になると思います。この本はどちらかというと、入門書と専門書の橋渡しをするようなイメージでつくりました。先ほどの『データサイエンティスト入門』のおさらいができ、データサイエンティストの基本的な仕事内容、必要な資格やスキルを説明しています。
平井 ショートストーリーは7話ありますね。見開き2ページで1つの用語を図解を駆使して解説するので、とても分かりやすい。辞書的な使い方もできそうです。
栗野 初心者にはハードルの高い「回帰分析」「重回帰分析」といった重要用語についても説明しています。実は、1つの専門用語を見開き2ページで解説するのは編集としてはとても大変で…。難しい用語をかみ砕いて説明しようとすると文字数が多くなりますし、文字数を少なくするために注釈ばかり入れるのも避けたい。なおかつ「ビジュアル版」ですから、ビジュアルも成り立たせなくてはいけない。大いに悩みながらつくりました。そのかいあって『データサイエンティスト入門』よりもこちらのほうが売れています(笑)。
平井 データサイエンティストが世の中で認知されるようになり、より実務的な内容を求める人が多いのかもしれませんね。2冊セットで読んでもらえれば、データサイエンティストに関して一通りのイメージはつかめると思います。
5年たった今読んでも古さを感じない、根幹の解説
平井 この本を出版したのは2019年で、ちょうど機械学習がブームになり始めたころでした。AIは現在、第3次ブーム。私が学生だった1980年代は第2次ブームで、1990年に発売された『ドラゴンクエストⅣ』にAIが搭載されたときも話題になりました。今は、機械学習やディープラーニングが可能となり、AIがより身近になってきましたね。より一層、「AIでできないことは何か」「人間の存在意義とは」ということを問われているように感じます。
栗野 本当ですね。この本は「ChatGPTを使いこなすための効果的なプロンプトとは」といった最新知識を紹介しているような本ではありませんが、「AIとは何か」という根幹について丁寧に書かれています。やはり、日経文庫らしい「基本がわかる」「はじめの1冊」です。だからこそ、発売から5年たった今読んでも、古さを感じないんですよね。
本の中には、議事録作成、スマートスピーカー、コールセンターのオペレーター支援といった用途のAIが出てきますが、今でもAIをビジネスに使う基本的な構造は同じですから、古さはありません。まさに、「はじめの1冊」として基礎知識について学べます。
平井 こちらもビジュアル版ですから、図解が入っていて分かりやすいですね。続いては、生成AIについて書かれた『まるわかりChatGPT & 生成AI』です。
使える生成AI一覧と活用法が図解でまるわかり!
『まるわかりChatGPT & 生成AI』(野村総合研究所編、日経文庫)
平井 ChatGPTに関する本はたくさん出ていますが、この本は日経文庫らしく「まるわかり」できる内容です。「○○入門」「○○常識」というタイトルにするとちょっと堅いイメージになるので、話題のテーマを分かりやすく解説した本には「まるわかり」という言葉を使うことがあります。
栗野 そうですね。この本はタイトル通り、1冊でChatGPTと生成AIの基本がすべて分かります。特におすすめしたいのは第4章。パワーポイントの作成支援、音声読み上げ、動画生成など、「ビジネスで使えるツール」を丁寧かつ詳細に紹介しています。

それに、読者が一番知りたいのは「生成AIを何にどう使えるか」だと思うんですよ。「論文をChatGPTで書くのはアウト」だということは分かりますが、ビジネス上でどこまで使えるのかは判断がつきにくいですよね。そこで、一般的なプロジェクトのフェーズごとに「今の生成AIはこの段階のこの部分には使える」「将来的にはこの部分も生成AIができるようになる」「反対にこの部分は人が作業すべき」といったポイントを整理しています。

量子コンピュータを使っている約70社のサービス事例が充実!
『量子コンピュータまるわかり』(間瀬英之著、身野良寛著、日経文庫)
平井 あのビル・ゲイツが「自分は数学や物理をある程度知っているつもりだが、量子コンピュータについては何のことか全然分からない」と言うほど、量子コンピュータというのは難しいジャンルです。そこをなるべく分かりやすく解説し、企業やスタートアップがどんなビジネスにどう生かしているかといった事例も紹介しているのがこの本です。
栗野 量子コンピュータを使った企業を紹介した第3章が充実していますよね。70社ぐらいのサービス事例が掲載されています。この分野に興味のある人はもちろん、就職や転職を考えている方にとっては読み応えがあると思います。
平井 「量子コンピュータと聞くと気が遠くなる…」という人もいるかもしれませんが、「量子コンピュータには2種類ある」など、そもそもの成り立ちや活用事例についての解説も丁寧です。
栗野 そうそう、量子コンピュータには「量子ゲート方式」と「量子アニーリング方式」があるのですが、両者の違いなどは本書で整理できました。
平井 私がつねづね疑問に感じているのは、これだけ経済のIT化が進んでも、日本のGDPは30年前とさほど変わっていないことです。人口構成の変化やパソコンの性能の進歩をどう評価するかなどテクニカルなこともあるのかもしれませんが、30年前の何倍もの生産性で仕事をしているはずなのに不思議。いつか誰かに解説してもらいたいですね。
栗野 日経文庫で『まるわかり 日本のIT化』という本をつくりたいですね。そうすれば答えが見つかるかもしれません。
取材・文/三浦香代子 構成・写真/長野洋子(日経BOOKプラス編集)





