鹿島茂さん(明治大学名誉教授)は、フランス文学者として、また希代の古書蒐集家(しゅうしゅうか)としても知られる。そこで、2025年7月に『古典に学ぶ現代世界』(日経プレミアシリーズ)を上梓(じょうし)した滝田洋一さん(名古屋外国語大学特任教授、日本経済新聞客員編集委員)と、東西の古典を巡る対談を行った。1回目は、古典の魅力について。古典を読む面白さは、人間の思考をさかのぼっていくことにある。人というのは結局、「自己利益」から逃れられない。だから経済の観点から古典を読むのはとても重要だ。後半では翻訳の日本語論議に話題が及んだ。
古典を読む上で経済は重要
日経BOOKプラス編集部 「日経BOOKプラス」で滝田洋一さんに連載していただいている「 滝田洋一の『古典に学ぶ現代世界』 」が1冊の本になりました。もともと、この連載は古典を単に古典として読むのではなく、現代の読者に役立つような本を選んで、論評をしたらどうかという構想のもと始まりました。率直なところ、鹿島さんは本書を読まれて、どう思われましたか?
フランス文学者・作家 鹿島茂さん(以下、鹿島) 非常に面白かったですよ。日経の本だけあって、経済的な観点から古典を読んでいるのがいい。人間の思考の原点というのは理性ですが、理性とは基本的に「自分がいかに得をするか」だと思います。そのことをあまり露骨に出すと問題が生じますけれども。結局、経済というのも「自分が得をするにはどうすればいいか」という活動ですよね。そうした考え方は『 ラ・ロシュフコー箴言集 』(二宮フサ訳/岩波文庫)にも通じていて、面白く読みました。

名古屋外国語大学特任教授 滝田洋一さん(以下、滝田) 大変ありがとうございます。そうおっしゃっていただいて、すごくうれしいです。私も鹿島さんの『 ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789-1815 』(講談社学術文庫)を読んで、目からうろこが落ちました。実はフランスの人権宣言の「自由・平等・博愛」という、教科書的で美しい言葉の裏側には、タレーラン(18~19世紀のフランス政治家)の利得や情念が渦巻いていたと書かれていました。鹿島さんの著作も古典を論じつつ、経済やその裏側にある人間の情念を書いていますね。
鹿島 古典が面白いのは「元をたどる」思想に行き着くところです。マルクスもエンゲルスも、元をたどると社会思想家のフーリエに行き着きます。フーリエは超絶変人ですが、すごいことを言っているんですよ。「人間に『道徳的たれ』と言って、うまくいった試しが人類の歴史で一度でもあっただろうか」と。「結局、人間はみんな自己利益でしか生きない。ならば理想社会をつくるには経済に限らず、人間の強欲さをうまく利用する以外にない」とも言っています。

人間はいくら倫理観とか正義感とか言っていても、お金がからんでくる限り、絶対に守らない(笑)。例えば、回転寿司に行くでしょう。そこでひからびた寿司が回っているとします。「では、私がこのひからびた寿司を自己犠牲で食べてやろう」という人は一人もいない。なぜかと言うと、お金を払っているからです。お金が介在すると自己犠牲は働かない。この意味で経済を知ることは古典を読む上で非常に重要です。
「人間とは何か」を知りたい
鹿島 『古典に学ぶ現代世界』ではケインズ、シュンペーター、フリードマンの3人を対比させているのも面白いですね。
滝田 ありがとうございます。ケインズは世界恐慌後の経済立て直し、シュンペーターは資本主義の原動力である起業家精神、フリードマンは政府の介入を最小限に抑える市場の役割と、おのおの向き合った課題は違いますが、最後は経済の担い手である人間、つまり人間性の部分をうまく捉えていると思います。
鹿島 そうですね。人間理解というところですよね。僕は文学畑の人間ですが、渋沢栄一や小林一三、菊池寛などの本も書いています。やっぱり「人間とは何か」を知りたいんですね。その点、バルザックの作品には社会の階級制度や資本主義の問題など、人間を取り巻くすべての要素が入っています。
滝田 『古典に学ぶ現代世界』では、鉄鋼王のカーネギーや渋沢栄一を取り上げています。関連のある本を探していたら、鹿島さんが『 カーネギー自伝<新版> 』(アンドリュー・カーネギー著/坂西志保訳/中公文庫)の解説や『 渋沢栄一「青淵論叢(せいえんろんそう)」 道徳経済合一説 』(渋沢栄一著/鹿島茂編訳/講談社学術文庫)の現代語訳を手掛けているのを知り、すごい目配りだなと驚きました。
鹿島 特に目配りをしているわけではないけれど、やっぱり根源志向ですね。物事には必ず原因があって、結果が出ているんだから、その根源的原因のところまでさかのぼらないといけないということです。今度、僕は吉本隆明の『 共同幻想論 』(角川ソフィア文庫。リンクは改訂新版)の解説本を出すのですが、吉本の思考もさかのぼり思考ですね。「フロイトとマルクスに尽きる。なぜなら、この2人ほど根源的な人はいないから」といった意味のことを言っています。
英語は1つの単語にたくさんの意味がある
滝田 なるほど。「さかのぼる」という古典の視座に触れた思いがします。ところで私は、渋沢栄一の『 論語と算盤 』(角川ソフィア文庫)を取り上げたのですが、鹿島さんは『青淵論叢』に注目されました。これはどうしてですか?
鹿島 僕は渋沢の書いた本をほとんど読んでいますが、『青淵論叢』は渋沢の人間性をよく表していると思ったからです。でも、伝記『 渋沢栄一(上)(下) 』(文春文庫)を書いたときに渋沢の言葉を引用しようとすると、明治の書き言葉だから、今の読者にとっては難しく、飛ばして読んでしまうことに気づいた。だから、『青淵論叢』も現代語訳をする必要がありました。ただ、分かりやすい言葉に変えすぎるのも良くないので、原則として名詞はそのまま、古びている形容詞や副詞だけ変えて、読みやすくしました。
そういえば、完読するのが難しいとされるケインズの『一般理論』を超訳した『 超訳 ケインズ『一般理論』 』(山形浩生訳/東洋経済新報社)では、「money」を資本や通貨ではなく「お金」と訳していましたね。
滝田 「お金」としたのは、翻訳者である山形浩生さんの画期的な訳だったと思います。ケインズ語ではなく、街を行く人の言葉である「お金」という言葉のニュアンスを生かしたのですから。
鹿島さんはバルザックの作品を翻訳していますが、実際に欧米人が使っている言葉の意味をくみ取って日本人に伝える際に、どのような工夫をしていますか。

鹿島 マルクスが自著の英訳本が出たとき、「自分はこんなに簡単なことを論じているのだろうか」と言ったという逸話があります。ドイツ語は単語と単語を組み合わせ、造語する傾向がある。それに対し、英語は1つの単語にたくさんの意味をこめる。「money」を欧米人は広がりを持った言葉として読んでいるんですね。
翻訳をしていると、1つの言葉が広い意味を包括していることを忘れそうになります。日本の場合は明治時代の人が一生懸命に造語して、元の意味を伝えようとしてくれました。でも、独特の漢字の、難しい語句が定着してしまうと、現代では意味が通じなくなる。いかにして現代の読者に分かるように訳すかに気をつけています。
滝田 なるほど。
鹿島 そういえば昔、『資本論』を読む新左翼の党派の読書会に参加したことがありました。僕は向坂逸郎訳の『 資本論 』(岩波文庫)を読んでから行こうとしたんだけど、もう全然分からない。そうしたら、その党派の人に「『 国民文庫 』(岡崎次郎訳/大月書店)で読まなきゃ、分かるわけないだろう」って言われました。「だって、『国民文庫』といえば(その党派と敵対している)民青(日本民主青年同盟)の人が読むことが多い本なんじゃないか」と言ったら、「そんなことは関係ないんだ。分かりやすいのが一番なんだ」と。
そういえばゴーリキーも、レーニンに「私はボリシェヴィキの医者にかかることにしました」と言ったら、「やめなさい。ブルジョワの医者にかかりなさい」と止められたそうです。思想と実際は反するんですよ。
滝田 そんなことが(笑)。それにしても母国語の意をくんで、日本語に持ってくる努力が近年の経済書では顕著です。私が学生時代に読んでいた本と比べると、格段に進歩していると感じます。
鹿島 向坂逸郎訳では「捨象する」という訳語が使われています。こういう言葉に引っかかってしまって読めなくなるんですね。
滝田 確かに。『古典に学ぶ現代世界』でも書いたのですが、アダム・スミスの『 国富論(上)(中)(下) 』(山岡洋一訳/日経ビジネス人文庫)では、今まで「生産力」と訳していた部分に「生産性」という言葉をあてています。「生産力」というと生産力と生産関係を考えなければいけませんが、「生産性」となると要するに「分業して生産性を高めることだな」と直感的に理解できます。分かりやすく訳す努力は必要ですね。
鹿島 昔は専門書となると、大学教授以外は翻訳できないような雰囲気がありましたが、今はプロの翻訳家が訳すことが増えています。そのほうが読みやすくていいですよ。
滝田 まずは読まないことには古典の面白さが分かりませんからね。
(第2回に続く)
取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
AIと超高齢化、ポピュリズムと全体主義、権力の偏重とタテ社会、人情と情緒、外交と経済運営――。長きにわたって読み継がれてきた古典は、私たちが抱えている課題解決へのヒントになる。ジョージ・オーウェルから有吉佐和子まで、数々の名著を現代の視点から読み解く。「日経BOOKプラス」の好評連載を大幅加筆。
滝田洋一著/日本経済新聞出版/1210円(税込み)
