鹿島茂さん(明治大学名誉教授)は、フランス文学者として、また希代の古書蒐集家(しゅうしゅうか)としても知られる。そこで、2025年7月に『古典に学ぶ現代世界』(日経プレミアシリーズ)を上梓(じょうし)した滝田洋一さん(名古屋外国語大学特任教授、日本経済新聞客員編集委員)と、東西の古典を巡る対談を行った。2回目は、渋沢栄一の「道徳と経済の合一」について。商売で長期的にもうけようとすると、道徳的にならざるをえない。デフレ打開もトランプ支持者への理解も、商売人の視点を忘れていてはおかしなほうに行ってしまう。

渋沢栄一の魅力とは?

名古屋外国語大学特任教授 滝田洋一さん(以下、滝田) 鹿島さんは渋沢栄一関連の本を何冊か書いていますが、どういうきっかけで書かれたのですか? 渋沢栄一がサン=シモン(フランスの社会思想家)主義の影響を受けていたからですか?

フランス文学者・作家 鹿島茂さん(以下、鹿島) そうですね。もともと僕はパリ万国博覧会とパリ大改造の研究をしていました。パリ万国博覧会はサン=シモン主義者が考えていた競争原理の実験場だったんです。渋沢栄一はパリ万国博覧会を訪れているし、「渋沢のことも調べないといけないな」と思っていました。

鹿島さんの著書『パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』(講談社学術文庫)。鹿島さんが渋沢栄一に興味を持ったきっかけは、パリ万国博覧会とパリ改造の研究だった。画像クリックでAmazonページへ
鹿島さんの著書『パリ万国博覧会 サン=シモンの鉄の夢』(講談社学術文庫)。鹿島さんが渋沢栄一に興味を持ったきっかけは、パリ万国博覧会とパリ改造の研究だった。画像クリックでAmazonページへ

 ちょうどそのころ、新宿の文壇バー「火の子」で文化人類学者の山口昌男さんに会って、「研究会に出ろ」と言われました。山口さんは電通総研の「経営の精神文化史研究会」の発足に携わっていました。それで僕はこの研究会に出て、サン=シモン主義について話したんですけれど、当時の山口さんはもう西洋嫌いになっていて、どうにも機嫌が悪くて(笑)。「これからは日本のことを研究する必要があるんだ」ということで、次は経済史家の長幸男さんを招いて渋沢栄一のことを聞くことになったのです。

滝田 そうでしたか。私も長さんの『昭和恐慌』(岩波現代文庫)を何度も読み返しました。

鹿島 長さんには渋沢栄一がフランスに留学したときの話などを聞きました。帰国後に渋沢が行った国家主導的なインフラ先行投資は、サン=シモン主義に通じます。僕が「渋沢はサン=シモン主義の影響を受けていたのでは?」と言ったら、長さんは正直な方ですから「私はサン=シモン主義をまったく知りません」とおっしゃいました。そこから「これからはちゃんと渋沢とサン=シモン主義について調べないといけないな」と思ったのがきっかけです。

滝田 渋沢栄一の魅力は何ですか?

鹿島 僕が一番面白いと思ったのは、孫文が日本に来たときのエピソードです。渋沢は孫文に「政治なんかやるのはやめて、経済をやりなさい」と言っています。なぜかというと「真に道徳的になるためには、経済人にならなければ分からない」から。つまり、いくら人の上から道徳を説いても意味がない。経済をやっていて、長期的に大きくもうけようとすると、道徳的にならざるをえない。これが「道徳と経済の合一」です。

滝田 まさにその部分に私も共感し、「道徳と経済の合一」については、『古典に学ぶ現代世界』でも触れました。

「渋沢は孫文に、『政治なんかやるのはやめて、経済をやりなさい』と言ったそうです」と話す鹿島さん
「渋沢は孫文に、『政治なんかやるのはやめて、経済をやりなさい』と言ったそうです」と話す鹿島さん

 2016年の米国大統領選挙でトランプが選ばれたとき、日本の多くの知識人は思考停止になってしまいました。鹿島さんは『 渋沢栄一「青淵論叢(せいえんろんそう)」 道徳経済合一説 』(渋沢栄一著/鹿島茂訳/講談社学術文庫)の解説で、「米国の民主党やその支持母体はブルジョワ階級で、自分たちの生活は安全地帯にあるのに、金銭を卑しみ、利潤追求に否定的な面がある。そうした人たちはトランプ支持者の怨念を分かっていないのではないか」といったことを書かれていますが、そうした発想は普通の経済学者からは出てきませんでしたよね。

「デフレになったらぜいたくしろ」

鹿島 もともと僕は酒屋の息子ですから。うちのおやじは、これほど無能な商売人はいないだろう、という人でした(笑)。昔、細川隆元や藤原弘達が出ている『時事放談』(TBS系列)というテレビ番組があったのですが、おやじはそれを「うんうん」とうなずきながら見て、「自民党の政治はけしからん」と言っていた。それで選挙があったときに「どこに投票したの?」と聞いたら「自民党」って。「何だよ、せめて民社党に入れろよ」と思い、「どうして自民党に投票したんだ?」と聞いたら、「死票にしたくない」と。それは面白い発想だなと思いましたけどね。商売人が保守的になるのは、絶対的に運転資金が必要だからです。

滝田 私も実家が小さな洋品店ですから、よく分かります。

鹿島 商売というのは仕入れて、売って、もうけが出るまでに時間差があります。経済が止まったらその時間差が延びることになる。だから、一番嫌うのはデフレです。インフレはそんなに困らない。

滝田 はい。『古典に学ぶ現代世界』でもケインズのところで触れました。インフレになっている限りは在庫の評価が常に高くなる。次の売り上げが前期より増えるという、お金の循環が働くわけですよね。

鹿島 おやじは無能な商売人だったけれど、それでも高度成長期には確実に生活が豊かになってきているという実感がありました。配達をするのもオートバイからオート3輪、小型のバンになりましたからね。

滝田 ミゼット(オート3輪)からバンになったと。

鹿島 人口要因が大きかったとはいえ、日本全体が上向いていると感じられました。一寸先は闇というより真っ白、どうなるかは分からない。でも、「なんとなく良い方向に行くんだろう」という予感が社会を覆っていましたね。

滝田 そう思います。バブル崩壊後、メディアは経済が停滞している理由を道義的に説明しようとしていました。その次は構造改革やガバナンス(企業統治)でしたが、私はどうもなじめませんでした。「来年の売り上げが今年よりも増えない限りは解決しないじゃないか」と思っていたんです。何しろ日本企業の売上高は、足元でインフレになるまでの31年間で合計5%しか増えませんでした。

「来年の売り上げが今年より増えない限り、経済は回復しないと思っていました」と話す滝田さん
「来年の売り上げが今年より増えない限り、経済は回復しないと思っていました」と話す滝田さん

鹿島 そうですよね。デフレの中で唯一まともなことを言っていたのが吉本隆明です。「デフレになったらぜいたくしろ」って。デフレになったら子どもの習い事を3つから2つに減らすんじゃなくて、4つにしろと。消費を増やさないと経済問題は解決しないからです。

滝田 おっしゃるとおりです。まさにケインズの有効需要。鹿島さんが渋沢栄一やカーネギーに共感する文章を書いている理由が分かりました。

鹿島 渋沢栄一にしろ、カーネギーにしろ、経済と道徳の結びつきを忘れてはいけないと思いますね。

(第3回に続く)

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子

日経プレミアシリーズ『 古典に学ぶ現代世界
名著の中に問題解決の道を探す

AIと超高齢化、ポピュリズムと全体主義、権力の偏重とタテ社会、人情と情緒、外交と経済運営――。長きにわたって読み継がれてきた古典は、私たちが抱えている課題解決へのヒントになる。ジョージ・オーウェルから有吉佐和子まで、数々の名著を現代の視点から読み解く。「日経BOOKプラス」の好評連載を大幅加筆。

滝田洋一著/日本経済新聞出版/1210円(税込み)