独自の視点で物語と世相を読み解く、文芸評論家の三宅香帆さん。新著『 「夫婦」不在社会 』(講談社)ではパートナーシップに焦点を当て、現代の物語における「夫婦の不在」を指摘している(詳しくは 第1回 )。そんな三宅さんが、パートナーシップや人間関係につまずいたときに読みたい本をセレクト。最近読んで面白かった本や、本の選び方、読むペースについても教えてもらった。

夫婦の関係づくりについて考えるとき、小説などを読んで少し引いた視点から捉えると、見えてくることがある。文芸評論家の三宅香帆さんが読んで新たな気付きを得た、パートナーシップを考える本を紹介
夫婦の関係づくりについて考えるとき、小説などを読んで少し引いた視点から捉えると、見えてくることがある。文芸評論家の三宅香帆さんが読んで新たな気付きを得た、パートナーシップを考える本を紹介

ブラック企業勤めの夫とその妻 対話できない夫婦を描く小説

 私自身が読むと癒やされて、夫婦にはいろんな形があるから、「こうでなければいけない」という決まりはないのだと気付かせてくれるのが、山本文緒さんの小説『 なぎさ 』(角川文庫)です。訴えかけてくるものが多く、自分の経験や考えを振り返らずにはいられません。きっと多くの人が、アッと心を動かされるシーンに出合えると思います。

『なぎさ』(山本文緒著、角川文庫)/画像クリックでAmazonページへ
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 主人公は神奈川県の久里浜で暮らす、冬乃と佐々井という夫婦です。専業主婦の冬乃は、淡々と静かな日常を送っていました。一方の佐々井は、ブラック企業に勤め過酷な日々に疲弊し切っていて、出社せず釣りばかりするようになります。そんな中、冬乃の元に絶縁状態だった妹が突如現れ、「一緒にカフェを始めないか」と誘ってくるというストーリーです。

 及び腰になりながらも、カフェを始めることにした冬乃。それぞれ自分のことで精一杯で話し合う時間がなく、夫婦の距離は広がるばかり。冬乃は佐々井にねぎらいの言葉を掛けようとしますが、うまく対話できず、カフェのことも言い出せません。やっと話ができたのは、佐々井がいきなり会社を辞めたとき。そこで2人は初めて口げんかになり、冬乃が佐々井を傷つける言葉を投げ掛けたことで、決定的な亀裂が生じてしまう…。

 そこからどうやって夫婦関係を修復していくか。カギになるのは、第三者の存在です。この小説を読んで、夫婦の“外”にいる人の存在がこれほど重要なのか、と思い知らされました。2人だけだと、どうしても行き詰まってしまって、長く一緒にいるほどに同じ考え方や価値観の中に閉じ籠もってしまいがちですからね。

 印象に残っているシーンはたくさんありますが、特に好きなのは、正月休みに冬乃と佐々井が2人でフェリーに乗るシーン。話すべきことが山のようにあるはずなのに会話はなく、けれども、精神的に追い詰められた2人の心がかすかに浮上する、微細な瞬間が描かれているんです。こういう夫婦の瞬間は、日常生活では割とあることですが、日本のフィクションで描かれることはとても貴重だと感じました。小説だからこそできる表現だと思います。

「本当にいい小説なんですよ。山本さんの作品はどれも大好きです」
「本当にいい小説なんですよ。山本さんの作品はどれも大好きです」

他者とのつながりの本質が分かる一冊

 令和ならではの人とのつながり方や空気感が分かる本として紹介したいのが、『 なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない 』(新潮社)です。著者は臨床心理士で、現代人の心の問題に向き合う作家としても知られる東畑開人さん。本書は“読むセラピー”と言われるだけあって、ページをめくるたびに自分の中の葛藤や隠れていた思いが見えてくる感じがします。

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑開人著、新潮社)/画像クリックでAmazonページへ
『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑開人著、新潮社)/画像クリックでAmazonページへ

 本書で東畑さんは、友人や仕事仲間といった公の関係を「シェアのつながり」、夫婦などの家族や深い仲の友人との関係を「ナイショのつながり」と呼びます。シェアのつながりでは、互いを傷つけないように努力をすることが多いと思います。ママ友も、仕事のプロジェクトのメンバー同士も、できることなら摩擦なく良好な関係を維持しようとするものですよね。ところが、恋人や家族、親密な友人との関係では、「自分を分かってほしい」という思いから互いの深部をむき出しにして、傷つけ合いがちです。本書では、そのぶつかりを修復するためには時間を取ることが必要だとも指摘しています。

 臨床心理士として現代のさまざまな人の悩みをリアルタイムで敏感に感じ取ってきた東畑さんの言葉は説得力があって、「今の“つながり”ってこういうものなのか」と学びがある一冊です。夫婦関係だけでなく、その他の家族や友人、仕事仲間などとの人間関係に悩んでいる人も参考になると思います。

食べたいものを食べるように、読みたいものを読む

 文芸評論家の私にとって、読書は仕事の一部になっています。ですが、個人的に読みたいものももちろんあって、そうしたものも欲望のままに読んでいます。おなかがすいたら、「今日は何を食べようかな」と考えるように、「今日は何を読もうかな」と。他の方の書評を読んで気になった本や、SNSで話題になっている本、書店で見かけて気になったものがあれば、つい買って積んでしまいます。電子書籍なら、即ダウンロード。だからどんどんたまって、積ん読の量を直視できない、という問題が起きていますが…。

「もうね…みんなどうしてるんだろうなって思いますね。本棚に入りきらず、打つ手もなく。とはいえ、『読まなくちゃ』というプレッシャーはあまりないです」
「もうね…みんなどうしてるんだろうなって思いますね。本棚に入りきらず、打つ手もなく。とはいえ、『読まなくちゃ』というプレッシャーはあまりないです」

 読むのは速いほうで、月に20冊くらい読みます。読むペースは、読書量が積み上がるにつれてだんだん速くなっている気がします。移動時間に読んだり、お風呂の中で読んだり。1日10分しか読めない日もあれば、2~3時間読む日も。1日まったく本を読まないことは、旅行中以外はないかもしれません。ネットの動画を見ない日はあっても、本を読まない日はありません。

 いつも複数の本を併読していて、本によっては一度閉じてから続きを読むのに結構な時間が空く場合もあります。最近読んですごく面白かったのは、『 宗教のアメリカ 』(藤本龍児著、岩波新書)という本です。著者は帝京大学文学部の教授で、宗教とアメリカの歴史の関係について論じています。以前、藤本教授の他の本を読んで面白かったので、何気なく手に取ったのですが、宗教がどのようにして資本主義を形作ってきたかなど、知らなかったことが書かれていてハッとさせられました。宗教と貪欲な資本主義の世界は相いれないようなイメージがあったので、自分が分かっていないことの多さに気付けたのも収穫でした。

 文学だと、第39回山本周五郎賞を受賞して、直木賞候補にもなった『 見えるか保己一 』(蝉谷めぐ実著、KADOKAWA)が印象に残っています。塙保己一(はなわ ほきいち)という、江戸時代に実在した全盲の国学者を主人公にした物語です。保己一は、幼い頃に失明したものの、驚異的な記憶力を武器に学問の道へ進み、国内最大の叢書『群書類従』の編さんという大仕事を成し遂げます。と紹介すると、障害に屈せずに偉業を成し遂げた成功物語をイメージするかもしれませんが、この小説はひと味違うんです。「保己一を主人公に仕立てるとは!」と驚き、期待して読んだら、実際にすごく面白かったです。

取材・文/茅島奈緒深 構成/大松佳代(日経BOOKプラス編集) 写真/洞澤佐智子、スタジオキャスパー(書影)