同じ立地、同じ客層、同じ品ぞろえでも繁盛店と衰退店があるのはなぜか。答えは、繁盛店は新たなマーケティングの勝ち筋を知っているから。具体的には、お客が「こうありたい未来の自分」に触れる仕掛けを上手に設計しているのだ。情報を見せ、時間を共にし、体験を共有する3段階の手法を解説。トップマーケター・神田昌典さんの新刊『存在起点のマーケティング』(日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

繁盛するコーヒー店、消えるコーヒー店

 あるコーヒー店があった。
 豆には自信がある。雰囲気も悪くない。SNSもやっている。新メニューも出す。LINEでクーポンも配る。イベントも開く。ひと通りやっている。
 でも、なぜか伸びきらない。
 人は来るが、定着しない。また行きたい理由が、深く残らない。

 そんなとき、店内でイヤホンをして小声で話している客が増えてきた。
 どうやらオンライン会議らしい。パソコンを開き、コーヒーを片手に、静かに、だが確かに誰かと話している。

 すぐ他の客から「クレーム」が入った。「長居していて迷惑だ」「カフェは、そんな使い方をする場所なのか」「静かに過ごしたいのに、声が気になる」などなど。
 店は、その客たちを排除した。オンライン会議は禁止。長時間利用はお断り。店の雰囲気を元に戻そうとした。

 排除されたその客たちは、すぐ近くに新しくできた別のコーヒー店に行き、同じことをした。
 その店は、同じ現象を見て、逆の判断をした。
 これは迷惑客ではない。まだ言葉になっていない需要ではないか、と見たのだ。

 その店は「オンライン会議歓迎」を掲げた。
 ただし、何でもありにしたわけではない。静かに過ごしたい人の席は守る。一方で、小声の打ち合わせができるエリアを分けた。イヤホンを忘れた人のために、貸し出しまで始めた。

 常連には「マイコーヒー」を登録してもらい、「いつものやつ」で通じるようにした。注文の迷いを減らし、時間のないビジネスパーソンがすぐ仕事に入れるようにした。
 顧客ごとの好みを記録することで、店頭では、よく選ばれるメニューだけに絞れるようになった。その結果、メニューの数は削れて、より効率的な運営が可能になった。

「変化体験タッチポイント」を設計

 今、本当に設計すべきマーケティングのポイントは何か。
 商品か、価格か、デザインか、ブランドイメージか。もちろん、どれも大事だ。
 でも、最後の決め手はそこではない。

 人は、どこで「この未来に入ってみよう」と思うのか。そこだ。

 私はそれを「変化体験タッチポイント」と呼んでいる。
 顧客が商品を買う前に、「この未来なら、自分も進んでいけそうだ」と感じる接点のことである。

 変化体験タッチポイントは、三段階で深まっていく。
 第一ステージ(情報の共有):断片を見せる
 第二ステージ(時間の共有):時間に入ってもらう
 第三ステージ(体験の共有):変化の瞬間に立ち会う

 先ほどのコーヒー店の例で説明しよう。

 第一ステージ(情報の共有)では、SNSにこんな言葉が出始めた。
 「ここだと、打ち合わせが進む」「ここで話すと、考えが整理できる」「なぜか、オフィスにいるよりも仕事が進む場所」――共有されているのは、機能説明ではない。
 「この店に来ると、仕事が進む自分になれる」という断片だ。

 第二ステージ(時間の共有)では、お客が実際に来てみる。
 静かな席と話せる席が分かれている。イヤホンを忘れても借りられる。マイコーヒーで注文に迷わない。席についたらすぐ仕事に入れる。
 「ここなら、止まっていた話を動かせるかもしれない」。この店の時間の中に入ると、そう感じ始める。

 第三ステージ(体験の共有)では、変化の瞬間が起きる。ひとりで煮詰まっていた相談が15分の会話で前に進む。止まっていた案件が動く。考えが整理される。
 そして人は、自分の言葉でこう語り始める。「ただ座る場所じゃなくて、また仕事が動き出す場所なんですよ」

 こうして、この店は「コーヒーの店」としてではなく、「仕事がまた動き出す場所」として記憶されるようになった。

やることは増やさない

 この店では、お客に「ちょっと未来の自分」を見せたのだ。
 それは、もっと洗練された自分でも、ひとりで問題を抱え込んだまま固まっている自分でもない。気兼ねなく話し、考えを整理し、仕事を前へ進めている自分である。

 来店理由と紹介理由が一致した。
 なぜ来るのか。なぜ人に勧めるのか。
 そのふたつが同じになったとき、店は本当に強くなる。

 これが、変化体験タッチポイントを設計するマーケティングだ。
 やることを増やすことではない。
 人がどんな少し先の自分に出会っているのかを見つけ、その筋道が伝わるように、発信も導線も、メニューも、空間も、時間の流れも組み替えることだ。

人が最後に動く決め手

 繰り返そう。今、設計すべきは、「変化体験タッチポイント」である。

 ここで人が見ているのは、商品そのものではない。その先で少し変わった自分だ。
 この場に入ったら、今の延長線を越えられるのか。
 慣れたやり方を手放してもいいのか。
 この世界に、自分も入っていけるのか。
 そうした問いが、静かに立ち上がる。

 ここを外すと、マーケティングはすぐ枝葉へ流れる。価格を調整し、機能を足し、見た目を整え、発信量を増やす。必要なことではある。だが、それだけでは人は動かない。
 人が最後に動くのは、「これ、良さそうだな」ではない。「この未来なら、自分も進んでいけそうだ」の感覚だ。

強い会社はすでに実践

 この変化体験タッチポイントが見えると、何が起きるか。
 やることが増えるのではない。やらなくていいことが、見えてくる。「捨てるマーケティング」だ。

 流行っているから。他社がやっているから。勧められたから。何となく必要そうだから。そういう理由で抱え込んでいたものを、外せるようになる。
 そして、ようやく本業に戻れる。顧客に価値を届け、顧客が本当に変わる体験をつくり、その変化の物語を増やしていくこと。

 捨てるマーケティングとは、手を抜くことではない。
 力を入れる場所を、やっと間違えなくなる、ということだ。

 変化体験タッチポイントをつくるのは、情報量でも、媒体の多さでも、導線の複雑さでもない。必要なのは次の3つだけだ。

 変わった人の断片が見えること。
 その世界の時間に触れられること。
 変化の瞬間が実際に起きていることを、体験として確かめられること。

 今、強い会社は、変化体験タッチポイントをつくっている。

繁盛店がやったことはたった一つだけ。(写真:Nomad_Soul/stock.adobe.com)
繁盛店がやったことはたった一つだけ。(写真:Nomad_Soul/stock.adobe.com)
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神田昌典著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)