イタリア人についての苦情の最たるものが、時間にルーズということ。時間厳守が当たり前の日本人からすれば、最もイライラすることかもしれない。しかしイタリア人は、ただ時間にルーズなわけではない。そこには正確なルールとロジックがあり、それを理解することがイタリア人と上手に付き合う秘訣である。日経ビジネス人文庫『 最後はなぜかうまくいくイタリア人 』(宮嶋勲著)から抜粋。

アポの時間は努力目標と考える

 イタリア人について聞く苦情の最たるものが、時間にルーズだということだ。実はこれには地方差があり、北部ドイツ語圏のアルト・アディジェ地方などは日本人並みにパンクチュアル(時間を守る)であるし、ミラノでもかなり時間を守るが、問題はローマから南である。南に下るにつれてどんどん時間にルーズになり、プーリアあたりでは1時間遅れなど日常茶飯事である。

 ただ、単に時間にルーズなだけなのかといえば、実はそうではない。このルーズさにはイタリア人なりのロジックがあり、そのロジックに従ったルーズさなのである。

 たとえば午前10時からの記者会見を例にとると、たしかに10時きっかりに始まることはないが、少なくとも10時半には始まることが多い。律義に10時に会場に行くと、記者会見をする側の裏方さんがいて、マイクのテストやその他の準備をしているだけだろう。

 10時10分ぐらいに記者会見をする当事者たちが会場に着く。と同時に会見に参加するジャーナリストが徐々に集まり始める。10時半ぐらいにはジャーナリストは8割ぐらい集まる。残りの2割は1時間遅れる者もいるし、来ない者もいるだろう。ただ、本気で記者会見に参加する気があるジャーナリストは30分遅れでは会場に来るものである。10時25分ぐらいになると、主催者が「そろそろ始めますので着席してください」とアナウンスし、10時半に始まるというのがごく普通のパターンだろう。

 10時開始と言って10時半に始まっているのだから、たしかにパンクチュアルではないのだが、重要なことは、イタリアの習慣を知っている人間には十分に読める遅れであるということだ。要は「記者会見10時開始」と言われたら、「10時ごろからだらだらと人が集まって、10時半ごろ開始と読み直す」と知っていればいいのである。

 これが午後、そして夜のイベントとなると、時間の遅れはもっと大きなものになる。典型的なのがディナー・パーティーである。公式プログラムにはたいてい19時半アペリティフ(食前酒)、20時半夕食と書いてあるが、1時間以上(ひどい場合は1時間半以上)遅れるのが普通だ。

 19時半に会場に行くとパラパラと人がいて、グラスを片手に談笑している。アペリティフは基本的に立食だ。20時ごろから本格的に人が来始めて、20時半になるとアペリティフ会場は人であふれる。

イタリア人のルーズさにはイタリア人なりのロジックがある(写真:rh2010/stock.adobe.com)
イタリア人のルーズさにはイタリア人なりのロジックがある(写真:rh2010/stock.adobe.com)
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遅れて来た人に合わせる

 ただ、夕食が20時半の予定だからといって、ここで夕食会場(たいていは隣のホールにあり、こちらは着席する)にすぐ移動ということにはならない。20時半に来た人にも、アペリティフを楽しみながら多くの人とチャット(会話)できる時間を、1時間ほど取ってあげるのである。「遅れてきたのは自分の責任なんだから、いきなり夕食になっても文句を言う資格はない」というふうには考えない。

 先にちゃんと来ている人より、遅れて来た人の都合を優先するというのが、イタリア社会全体の時間が常に遅れる最大の原因である。21時ごろに、「夕食の準備ができましたので、会場に移動してください」とアナウンスが入り、だらだらと会場に移動して、着席し、最初のお皿が出てくるころには21時半というわけだ。当然のことだが、もし自分が19時半に会場に行っていたとしたら、2時間もアペリティフに費やさせられたわけだから、かなり腹が立つだろう。

 イタリアにおいては、「19時半アペリティフ、20時半夕食」という案内を額面通りに受け取る必要はない。これは「チャットしたければ20時ごろにアペリティフ会場に、それほどチャットしたくなければ20時半~21時に会場へ。夕食が始まるのは21時半ごろと予想されるので、21時15分までに来れば何の問題もなし」と読み替えればいいのである。そのうえでそんな遅い夕食は嫌だというのであれば、そもそも招待を断ればいい。

イタリア人の家に夕食を招待されたら

 重要なことは、この時間の遅れは十二分に予想可能で、しかもかなり正確なルールに基づいて遅れるということである。だから対応可能だし、極論を言えば、読み替えたあとのプログラムに従えばパンクチュアルですらある。

 友人の家に招待されたときの「20時に家に来てください」も額面通り受け取らないほうがいい。

 20時に行くと、向こうではまだソースの準備中といったことが多い。とくに南ではそうである。20時に来てくださいと言われたら、ミラノなら20時15~30分、ローマなら20時半~21時ごろにチャイムを鳴らすのが適当だろう。

 イタリア人にとって、アポの時間はあくまで数値目標である。選挙のときに出てくるマニフェスト(公約)のようなもので、「この数字を目指して頑張ってみます」といった感じだ。だから「夕食20時」と言われれば、「20時に向けて頑張ってくれているけれど、おそらく20時半~21時ごろだろうな」と読めばいいのである。

 大学の授業でも「教授は15分遅れてくるものだ」という暗黙の合意があるので、9時開始の授業だと生徒は9時15分を目指して集まってくる。だから、万が一、教授が9時に教室に来ようものなら、生徒はほとんど集まっていないし、授業を始めてから生徒がぞろぞろと教室に入ってくるという不愉快なことになる。だから教授もそんな事態を避けるために、「ちゃんと」ルールを守って15分遅れてくるというわけだ。

 イタリア人は時間にルーズなのではなく、建前として設定した時間と、本音として守ろうとしている時間にズレがあるだけなのである。そしてそのズレは少なくともイタリア人の間では共有されていて、社会はうまく機能している。

 15分から30分の遅れは、ちょうどハンドルの「遊び」のようなもので、杓子定規でない寛容な社会を、無意識のうちに生み出している気がする。

日経ビジネス人文庫『 最後はなぜかうまくいくイタリア人
イタリア人に学ぶ、心軽やかに生きるヒント

怠惰で陽気で適当なのに、ファッションから車まで、独自のセンスと哲学で世界の一流品を生み出している国イタリア。彼らの秘密を、日常のさまざまなシーンの行動・価値観や「イタリア人あるある」から、軽妙にひもとく。

宮嶋勲著/日本経済新聞出版/825円(税込み)