経営学者の楠木建氏は、大学時代に野中郁次郎氏から本を「読む」ではなく「理解してくるように」と課題が出た経験を振り返る。一方、独立研究者の山口周氏は、歴史学者・上原専禄氏と阿部謹也氏のエピソードを紹介する。2人が導き出した結論は「真に分かるとは、自分自身が変容する」ということだ。書籍『知的生産のセンス』(楠木建、山口周著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成。

楠木建氏(左)と山口周氏
楠木建氏(左)と山口周氏
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「読む」だけではなく「理解する」

楠木建氏(以下、楠木) 理解の重要性を知ったきっかけの一つは、大学時代に受講した野中郁次郎先生の講義です。「マックス・ウェーバーの『 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 』(大塚久雄訳/岩波文庫)を読んで理解しろ」という課題が出ました。当時大学3年生の僕は、ハードルが高いなと思いつつ、岩波文庫で読みました。野中先生は単に「読め」ではなく「理解してこい」とおっしゃる。最初はかなり当惑しましたが、これが「理解」を意識した初めての経験でした。ウェーバーは要するに何を言っているのか、ノートを取りながらじっくりと読みました。

 ごくあっさり言えば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は「プロテスタンティズムが生み出した勤勉の精神や合理主義は、近代的・合理的な資本主義の精神に適合し、このことが近代資本主義の駆動力となった」という論理を提示しています。古典にして名著ですから、AI(人工知能)はもちろん、インターネットがなかった当時でも、ちょっと調べればこの程度の要約はすぐに手に入りました。それは読む前から分かっている。

 それでも、この本に出てくる構成概念とその間の因果関係についての見取り図を書きながら読んでみると、これまでの「読書」とはレベルが違った知的感動がありました。もしかしたら、これが僕にとって初めての「考える」ということだったのかもしれません。このときに、理解の重要性に気づきました。理解しないと、その先へはいけないと思い知りました。

楠木 建
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楠木 建(くすのき・けん)
経営学者、一橋大学PDS寄付講座・シグマクシス寄付講座特任教授
専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院客員教授、一橋ビジネススクール教授を経て2023年から現職。

真の理解は自己変容を伴う

山口周(以下、山口) 「考える」というのはどういうことか? そういう問いを立てた時に思い出されるのが、一橋大学の学長を務められた歴史学者の阿部謹也先生の言葉です。僕は阿部先生のファンで家の書棚には永久保存のための全集もあります。その阿部先生の指導教官だったのが、歴史学者の上原専禄先生でした。

 その上原先生に関して『 自分のなかに歴史をよむ 』(阿部謹也著/ちくま文庫)という本の前半にこういうエピソードが出てきます。上原ゼミの学生が発表をすると、上原先生はいつも「それで、何が分かったんですか?」という質問をしたそうです。例えば「中世の人たちはこういう食事をしていたらしい」とか、「こういう仕組みで労働市場が機能していたらしい」といった発表をすると、いつも「それで、何が分かったんですか?」と返ってくる。そこで学生たちは戸惑うわけです。「食事の内容が分かりました」「労働市場の仕組みが分かりました」と発表した後で「それで、何が分かったんですか?」と聞かれるわけですから。

 ところが、さすがは阿部先生で、こういうやりとりを聞いているうちに、この質問に重大な深みがあるということがだんだん分かってくる。逆に言えば「『分かる』ということがどういうことなのか」が分からなくなってくるわけです。そこで、あるとき上原先生に直接、「先生、『分かる』というのは、どういうことなんでしょうか?」と聞いてみたそうです。すると上原先生は「分かるというのは、それによって自分が変わるということでしょうね」とおっしゃったそうです。分かってしまった以上、分かる前の自分とは同じではいられない、それくらい大きいことなんだ、と。

山口周
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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。ライプニッツ代表。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン コンサルティング グループなどで戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。

楠木 まさに「理解とは何か」を物語っていますね。

山口 「理解」というのもストロークの深い言葉だと思います。「理解する」という用語は、単に「承知した」とか「把握した」といった用語で置き換えても元々の文脈通りに意味が成立することが多いように思いますが、ここで楠木先生が言っている「理解」はもっと奥行きが深いと思います。例えば「承知した」とか「把握した」という行為には「自分自身の変容」が必ずしも伴いませんが、楠木先生が言う「理解する」とは、物事の構造や因果を捉える新しい枠組みやフレームが自分の中に同時に出来上がる、つまり自分自身が変容して、従前の自分とは同じでいられない、ということも含んでいますよね。

 野中先生が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を「読んでこい」ではなく「理解してこい」と言ったのは、「読んで自分を変えろ」という意味も含めていたのではないでしょうか。本当の意味で「分かる」ということは、自分の世界を見る認知フレームが変わる、つまり自身のパラダイムシフトが起こるということだと思います。

写真/斎藤弥里

経営学者の楠木建氏と独立研究者の山口周氏による白熱の対談録。2人の知性が示す「仕事の原理原則」。知的生産のプロセスである「入力」「保存」「変換」「出力」の各段階における、両氏の思考と実践をひもとく。

楠木建、山口周著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)