「どうして古典なんか勉強しないといけないんですか?」古典を教えていれば、必ず問われるのがこの質問です。
英語や現代文とは異なり、今となっては話す人もいない、「実学」とは言い難い古典。入試で出題されるから一応勉強はしているけれど、果たしてそれ以外に学ぶ意味はあるのか?と考えるのは無理もないことでしょう。
そんなとき彼らにいつも伝えるのは、作品を通じて当時の人々の考え方や、ものの見方を学ぶことには大きな意味があるということ。
例えば、美しい中秋の名月を見て、何となくもの悲しさを覚えるのは日本人特有の感覚で、その根幹には、私たちが幼い頃から親しんできた『竹取物語』の影響があるといわれています。また、近世文学を理解するうえで重要な役割を果たす「義理」という言葉を英訳しようとしても、それにマッチする訳語はなく、何ワードも費やさないと説明ができないそうです。
このように日本の文化や社会に深く根差した、ものの見方や価値観を私たちに示してくれるのが古典作品なのです。
日本人特有のこの感覚は古来、脈々と受け継がれてきたものなのだと知ることは、今の自分自身を正しく認識することでもある。それは、未来の文化を創造していく君たちにとって、とても大切なことなんだよ。
こんな話を、生徒たちに問われるたびに、いや、問われなくても折に触れて、伝えてきたような気がします。
また、そもそも古典作品は、面白くないわけがありません。
なぜなら、本屋さんも印刷技術もない時代から、読んだ人が手で紙に書き写す作業によって何代も何代も読み継がれてきたのが古典です。つまらなかったら、こんな地道で大変な作業が幾度となく繰り返されるわけがない。ですので、今残っているということだけで存在価値がある、それが古典なんですね。
すらすら読めて「古典常識」が頭に入る
しかしながら、その面白さを味わうためにはある程度の古典の知識が必要であるため、少々ハードルが高いのもまた事実。
そこでご紹介したいのが、田辺聖子さんの『 おちくぼ物語 』(文春文庫)。古典の世界への入り口としてお薦めの1冊です。
高貴な生まれにもかかわらず、継母にいじめられて貧しい暮らしをしている美しい姫と、そんな姫を一途(いちず)に愛する右近の少将とのシンデレラストーリー。
『落窪物語』の原文は、時代的に書き手がまだ洗練されていないため、少々読みにくいのですが、田辺さんは、それを非常にこなれた文体で今の時代に見事によみがえらせています。
原文を忠実に訳せば、たくさんの「注釈」が付くところを、田辺さんは文章の中に溶け込むような形で説明していきます。そのため、平安時代の結婚の形態や当時の貴族の生活など、いわゆる「古典常識」がさらさらと読み進めるうちに無理なく頭に入ってくるのです。
また、キャラクターが生き生きと描かれているのも本書の特徴の1つ。バリバリ仕事をこなし活発で生命力あふれる女房の阿漕をはじめ、魅力的な人物が登場し、彼らのテンポの良い会話によって物語が展開していきます。
ですから、古典の知識がまったくない読者でも、登場人物の感情をなぞりながら、王朝物語の世界を堪能することができるというわけです。
先生たちに聞いた人生を支える一冊
あの名門校の先生は、これから大人へと成長していく、中学生・高校生たちにどんな本を薦めているのでしょうか?生徒たちに薦めたい本、授業で扱った本、自分が好きな本を紹介しながら学校の特色や、本にまつわるエピソードまでをとことん語ります。
【掲載校】聖光学院/開成/灘/渋谷幕張/広尾学園/豊島岡女子学園/フェリス女学院/国際基督教大学(ICU)高校
平林理恵著、日経BOOKプラス編/日経BP/1760円(税込)
読み返すたびに理解が深まる手塚治虫の『ブッダ』
次に、私自身が高校時代に出合って夢中になった漫画『 ブッダ 』(手塚治虫著/潮出版社)を紹介します。
手塚治虫さんの代表作でもある本書は仏教の開祖であるお釈迦様の物語ですが、ほとんどがフィクションで、仏典そのものを漫画化したものではありません。ブッダの教えというよりブッダを巡る人間ドラマであり、オリジナルの登場人物やエピソードがたくさん登場します。
読者は冒頭のウサギのエピソードで、一気に物語の世界に引き込まれます。
飢えて倒れる年老いた僧侶。それを見た動物たちは、僧侶のために食べ物を探して届けます。ところがウサギだけはどうしても食べ物を見つけられず、僧侶の目の前でたき火の中に飛び込み、自分自身を食糧として差し出すのです。
僧侶は自分を犠牲にしてでも他者を助けるウサギの行動に涙を流し、ウサギを月へと高く上げる。だから月にはウサギがいるんだよ、という仏教神話ですが、これが9ページにわたるセリフがないコマだけで一気に語り上げられるのです。冒頭でいきなりそれを描き切る、作者の圧倒的な構成力。
このウサギのエピソードは作品全体に流れる最大のテーマでもあり、冒頭だけでなく終盤でも同様のエピソードが再び取り上げられ、ブッダが自分なりの解釈を聴衆に語る場面が描かれます。
生きる意味とは何か、これが作品に通底する問いでしょう。ブッダであっても、最後の最後まで迷い続ける。そして、命はつながっていて、命あるものはすべて誰かのために生きている、これが生きる意味なのだというところへ到達するのです。
私自身は、このメッセージ性の強い『ブッダ』を高校生のときに読むことができてよかったと思っています。当時はテーマを自分なりに受け止めていたつもりでしたが、年齢を重ね、その後の読書や体験を経て次第に解像度が上がっていきました。だからこそ、高校生のときから何度も読んでいますが、読むたびに理解が深まる感じがします。
そんな読書ができたら、とても幸せなこと。生徒たちにはぜひともそんな作品に出合ってほしいと思います。
喪失感を抱えていた私を救ってくれた本
最後の1冊として、私の中では『ブッダ』につながる小説を紹介します。
小川糸さんの『 ライオンのおやつ 』(ポプラ文庫)を読んだのは、コロナ禍のさなかでした。
実はその頃、私はお世話になった方々を立て続けに亡くし、喪失感を抱えていました。そして、どうやってその感情に向き合ったらいいのかが分からなかったのです。
そんなとき、まったくの偶然だったのですが、この本を私に薦めてくれた方がいました。この本のおかげで、私は自分の感情に折り合いをつけることができたのです。
物語は、若くして医師から余命を宣告された主人公の雫が、最後の日々を過ごす場所として選んだホスピスに向かうところから始まります。
ホスピスを運営するマドンナは、入居者がもう一度食べたいおやつをリクエストできるお茶会を毎週日曜日に開催しています。
「人生の最後に食べたいおやつは何ですか?」マドンナの問いから浮かび上がってくるのはその人の人生にほかなりません。そうして、入居者それぞれのリクエストと人生とこの世からの旅立ちが描かれていくのです。
人生で本当にしたかったことは何なのか、最後のおやつに自分は何を食べたいのか。なかなかその答えを出すことができなかった雫が、食べたいおやつをリクエストし、本当につながりたかった人たちとつながり、旅立っていく。
物語の終盤、マドンナは雫に宛てた手紙の中で、人生を1本のろうそくに例えます。ろうそくは「一度火が灯ったら、自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかない」。そんなろうそくは、「自分自身の命をすり減らすことで、他の誰かの光になる。そうやって、お互いにお互いを照らしあっている」。
喪失感の中にいた私はこのマドンナの言葉を読んだとき、生前お世話になった方に自分が照らされて生きているのだ、と思うことができたのです。いなくなって悲しいとか、もう会えなくて寂しいという感情の中、気持ちの整理ができずにいた状態から、そのときフッと抜け出せた気がしました。
それから、生きること自体、つまり自分自身の命をすり減らすことが、他の誰かの光になっている、そう思うことが前に進むための勇気になった。
これはまさに先ほどお話しした『ブッダ』のテーマにもつながります。今回『ブッダ』を読み直して、以前にも増して腑(ふ)に落ちた感覚がしたのは、『ライオンのおやつ』を読んだことと結び付いているのでしょう。
読書を通じて得ることができるのは、知識だけではありません。心の豊かさを深めたり、将来を考えたり、人生を振り返ったり。生徒たちには、聖光学院に通っている今はもちろん、これから大学に進み社会人になってからも、そんな心の糧になるような読書体験をたくさん積み重ねてほしいと願っています。
取材・文/平林理恵 構成/南浦淳之(日経BOOKプラス) 写真/稲垣純也





